
『ノルウェイの森』を視たよ。
原作はもう何回も読んだ。
この映画、感じ方が人それぞれだろう。
画一的な意見は恐らくない。
もしかしたら原作よりも映画の方が多様な感想がありあそうだ。
つまりそれほど深い映画なんだと思う。
村上氏はこの自分の原作による映画を視てどう思ったのだろう。
おそらく絶賛したと思うんだけどなあ。
ワタナベは40歳手前。
ドイツへ向かう飛行機の機内のBGMからシンフォニーが流れる。
『ノルウェイの森』だ。
20年前の出来事がよみがえり、ひどく混乱し始める。
あまりにもリアルな高原の風景、草のにおい、風の音。
しかし直子の顔を思い出すには時間がかかる。
『私のことを覚えていてほしいの。私がこの世に存在していたことを忘れないでほしいの。』
ボクのやがては薄れていく記憶や、思い出自体の虚無性、もしくは思い出自体が本当にあったことなのかどうか、、、
人はそうなることを直子は知っていたのだ、という回想から物語は始まる、本ではね。
そして、直子はボクのことを愛してさえいなかったのだ。
映画ではこのプロローグが省略されてスタートする。
だから原作読まずに映画を視るといささか混乱する。
映画には様々なテーマがあるが、男女の愛についてがメイン。
性描写が赤裸々で、会話自体がR12指定なのだが、これは男女間の会話で誰でも口にすることだ。
それは愛なのか欲望なのか誰でもお互いに疑問に持ち続けることである。
直子はそのギャップにひどく傷つく。自己を責める。
恋人のキズキが自殺したのは自分のせいなんだ。。
苦悩の中で直子は彼女なりに答えを出す。
その答えがあまりにも残酷なため、直子が行きついた先は、、ということだ。
全編、オイラ的にはとても切ない映画だった。
誰しもが経験し、そして解決できなかったことを、また自らに問う事になる。
20代は否定し、30代はそう捉えようと努力し、40代は自分の如く正面から向き合える。
それぞれの年代でその思いは変化する。
さて。
ビートルズの『ノルウェイの森』は確実にオイラのベスト10に入る曲である。
昔、ひっかけたんだかひっかけられたんだか、とにかく女の部屋に行ったらノルウェイの森みたいだったんだ。
彼女の部屋のラグに座り、2時までとりとめのない話をし、酒を飲んだ。
彼女は明日仕事だから寝るわよ、と言って、オレはバスタブに寝た。
朝目覚めたたら鳥は飛び去っていた。(彼女はいなくなっていた)
オレは暖炉に火をくべた。
そこはノルウェイの森みたいな部屋だった。
ざっとこんな感じだ。
実は、この曲の中に映画が含まれていた。オイラは知らなかった。
映画の中の挿入歌で曲が含まれていると思ったんだが逆だった。
そもそもノルウェイの森は挿入歌ではなく、エンディングクレジットの曲だった。
監督が悩んだに違いない。
原作では直子の20歳の誕生日にワタナベがプレゼントするのはビートルズの『サージェント・ペパー』。
二人でアルバムを通して聴くのだ。そのシーンがない。
映画には一切ビートルズという言葉が出てこないし、直子がノルウェイの森が大好きだとも言っていない。
ビートルズと映画をどうやって結びつけるかを監督は悩んだ末、断ち切った。
つまり断ち切るほど強いつながりを持っているという事なんだなとも思った。
ジョンが歌った歌詞の主人公は紛れもなくワタナベである。
ひっかけたかひっかけられたかの彼女は直子と正反対の性格の緑である。
緑のいる世界でワタナベは葛藤する。
ノルウェイの森というのは、ベッドと解釈している文献もある。
彼女はベッドに誘った、というのである。
その歌の結末は、朝起きていなくなっていたのは緑だけではなく直子もだったんだな。
歌詞自体が非常に意味深で、もはやジョンは他界しているので本当の意味はわからない。
She told me she worked in the morning
And started to laugh.
I told her I didn't
And crawled off to sleep in the bath
このラフ、とバスとジョンが歌った後に、リンゴがとても力強くバスドラを叩いている。
このバラードにはふさわしくない叩き方だ。
これってワタナベの張り裂けそうな心境なんだろうなと勝手に解釈する。
なんだか、村上春樹は小説ノルウェイの森を使って、ラバーソウルというアルバムをトータルアルバムにしたかったんではいか??
と思ってしまう。
なんたってIQ85の人だから。
緑が、ワタナベくん、今一体どこにいるの???と聞く。
その問いかけにワタナベくんは軽くパニックを起こす。
自分の家の前にいるのに。
ここってどこなんだろう???ってワタナベくんが答える。
我々は一体どこへ向かってるんだろう。
まわりの人たちは示し合せたように自分から遠ざかっていく。
Nowhere Manが暗に登場するというわけだ。
結局のところ世界は君の意のままになるんだぜ、
という自己治癒的な答えはジョンが出しているんだな。
だから村上氏やワタナベくんは文章を書いている。
などと勝手にオイラは思う。