その時刻、僕は長崎から羽田に向かう機上にいた。
機は伊豆大島上空で旋回を始め、
すぐさま地震のため羽田滑走路に着陸規制が入った旨を伝える機長のアナウンスがあった。
機長の、『非常に大きな地震のため』という説明に、心臓が1回、大きく鼓動した。
上空旋回待機が1時間近くあり、やがて機内のモニターにNHKが流れた。
やがて10Mクラスの津波が来るという警告。
相模湾も大津波警報内に入っている。
空の上なので、全く状況がわからない。
関東は微震なのか?凄く揺れたのか? 大きな不安でいっぱいになる。
機は定刻を大きく遅れて着陸。
しかし、駐機場が決まらない。そこで1時間待機。
駐機したが、バスやバゲージを運ぶ車両が来ない。また数十分待つ。
羽田に着くも交通は全てストップ。ロビーはヒト、人、ひと。。。
結局、羽田空港の冷たい床で一晩過ごすことに。
空港にはいくつもの液晶モニターがあるが、
それには発着便を知らせる情報と、繰り返し流れるタバコのCMのみ。
なんなんだ?わざわざ専用モニター使った広告って???
その状況下では、世の中で一番いらないものだ。そう思った。
情報収集に頼るは携帯とノートPCのネット情報。いささか乏しい。
情報自体がまとまってないのだ。
地震直後だもんな。
帰宅したのは羽田到着20時間後。
帰宅難民になるとは思いもよらなかった。
そういうのが嫌で都内で働きたくなく湘南に移り住んだのに。。
僕は、近頃出張がとても多く、その週は月曜から鹿児島に入り、
1週間かけて宮崎、大分、熊本、長崎とまわってきた。
その前の週は東北地方で、仙台に入り、仙石線で石巻に入り、
大槌町や、陸前高田、そして南三陸町を回った。
海沿いのファミレスで昼食をとった。
景色のいい漁港の町を春の暖かい日差しを浴びてクルマを走らせた。
その町の取引会社の人たちと会話をし、
その町に済むその会社の従業員を集めて講習をした。
典型的な東北のマジメ人気質の人たちで、
若い男の子も女の子も熱心に聞いてくれた。
僕は彼らの緊張をほぐくためちょっと冗談を言い、
彼らは笑ってくれた。 僕も笑い返す。
その町のファミレスのウエートレスの可愛いヤンキー娘も、
給油でたちよったGSのオジサンも、
その海沿いの取引会社の若い人たちも、
今、まさに瓦礫と泥土の中で救助を待っているかもしれない。
あの黒い波にさらわれ、冷たい海で浮いているかもしれない。
なんとも、実になんとも言えない気持ちで胸が張り裂けそうになる。
出張が、東北と九州が逆転していたら、
僕は乗ってた仙石線列車もろとも黒い波に巻かれていたに違いない。
生死の岐路はどこにあるかわからない。
人は、僕も君もアナタもお前も、明日死に、1時間後に死に、瞬き後に死ぬ。
日に日に惨状が拡大してきた。
自分は何ができるだろう。
余計な飲食物を買わない。
極力節電する。 着込めばいいだけだ。
明日からは仕事の上で東北地方の取引先を支援する。
恐らく当面、僕のいる本社も人道的、経営的に操業の是非を検討しなくてはならない。
部品調達ルートが事実上ないのだ。
それから海は、極めて自粛しなくてはならない。
ツイッターで、現地のサーファー同士の安否確認がされてるなか、
ニューモデルの告知や動画の紹介を楽しげにしているウインドギアメーカーがあった。
セイルをメインに扱っているディストリビューターだ。
とてつもない嫌悪感を感じる。
日本の半分を壊滅させた波があり、その恐怖が語られている中、
波乗りについてお気楽表現で書いているツイッターだ。
津波とサーフの違いがわかるのはサーファーだけで、そんなこと被災者はわからない。
サーフ精神があればそのようなことは書けないのだよ。
原子炉メルトダウンの可能性が否めなく、余震が続き、
津波にさらわれた我が子の名を海に向かって叫ぶ親の姿がTVに映し出されているのに。。
日本最悪の日に、なんだっていうんだ。 残念で涙が出る思いだ。
断固として抗議する。