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農業の現場の おはなしなどなど。

カッパを撃った男のはなし。

2022-08-03 22:12:41 | Weblog
カッパを撃った男のはなし。
2014年分のリンク先及び内容を一部変更して再掲載
です。 暑気払いに よろしかったら。


前回は、長い年月をかけて沖水川がつくり出した​長田峡​をご紹介しま
した。そして、この長田峡の周辺では、

 ● 沖水川周辺では、河童は “がぐれ” と よばれていること
 ● その がぐれ に関するはなしが 伝承されている

というお話を、すこしばかりさせていただいたのです。そんなことを
考えながら毎年夏が近づくたびに涼を求めて長田峡の周辺に通ってい
たのですが・・・本年[注・2014年]の4月末に 寝耳に水のビッグ
ニュースがとびこんできました。

なんとそれは、「都城市にある都城島津伝承館にて4月19日から
6月22日までの間、江戸時代に三股町の川岸で銃殺されたカッパの
手足が初公開される」というもの。← 注・2014年です。

その都城島津伝承館によるカッパの手足の写真 こちら 。
そしてこの展示に関する新聞記事が こちら となります。

この新聞記事にはありませんが、じっさいにの会場ではもっと詳しい
謂われが、この手足とともに伝わっており、その添付文書によれば

 文政年間、侍の上村休助が現在の三股町梶山でカッパを銃で射止
 めた後、急病になったが、 友人の大川原世則が修験者にまじない
 を頼み回復。世則は休助からお礼にカッパの両手足をもらい、
 一対を同家に献上した


と記されていたのです。

カッパの手足が本物か否かももちろん気になります。が、それより
も重大なのは、

 ● 事件に関する前後の詳細が残っている
 ● 関係する人物の氏名がわかっている
 ● 撃った場所が特定できる

ことだとおもいます。

そうなんですよ、とかく “正確性を欠く伝承ばなし” として伝え
られることばかりの、カッパというUMAの存在が、このような
章という形としてはっきりと残っているのがすごい
なと、でかけて
いった都城島津伝承館でカッパの手足を眺めながら私は思いました。

そしてなんといっても感嘆するのは撃ったという上村休助さんです。

見かけたカッパをいきなり[だと思う]撃つって、すごく豪胆です
ねっ。そのごの祟りなど怖くなかったのか、あるいはもとより鉄砲
に精通されていて反射的に引き金をひいたのか。   そのあたり、
会えるものなら本人に会って話を聞いてみたいものです。

まあ、よぽどカッパが悪さしてたのかしらん・・と思いもしますが。


晴れ ちなみに 添付文書にあるカッパの撃たれた 三股町梶山。
  この場所は深山なのかと思えば、これがさにあらず。なんと
  先日ご紹介した​長田峡​よりも かなりな下流にあるんですよ。
  ・・ということはですよ、沖水川の上流にあたる長田峡や、
  そのもっと上流には いまでも カッパ/がぐれ が いて
  くれるかも 
って思ってしまいますよね、UMA好きなら。


51P4M6yKWYL__SL500_SS75_.jpg夢で終らせない農業起業」「 本当は危ない有機野菜」


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