遭遇しちゃったのかも・・・な話。
長田峡[こちら]の駐車場から峡谷の下流のほうの遊歩道に
でて、大人ふたりが ぎりぎり並んで歩けるくらいの道幅
を、張り出した枝に頭をぶつけないように注意を払いつつ
同行者とふたり、右手に峡谷を見ながら上流の方向へ歩く。
歩を進めると、かなりな下に見えていた川面が次第に
うえに せりあがってくるのがわかる。
そうこうしているうちに 峡谷をせき止めている堰/せき
が姿をあらわし
ごうごうという音を立てながら堰を乗り越える清流の生
み出す水しぶきが、あたり一面を ひんやりとした空間
へと 変化させる。
堰の上流は せき止められた水で 満ち満ち・・・上流
のほうへといくほどに、堰からの落水のつくりだす水音
は遠のいて、あたりを静寂が包みはじめる。
水の生み出す、こんな動と静の対比を、しばし目をつむ
って身体全体で感じていたちょうど、そのとき。
関係者以外は立ち入り禁止となっているはずの 鎖のかけ
られている川の上流方向から なにものかが近寄ってくる
気配をかんじた。
右手には川面、左には用水。大人ひとりがやっと通れるほ
どの川面と用水に挟まれた小径の向こうから音もなく歩い
てこられたのは、洗濯したてであるような作業服の上下を
きこしめしたご老人。白髪の短髪で眼鏡をかけておられる。
その方がうやうやしい態度で、両手でなにやら四角い籠を
おしいただくような格好をしながら 歩いてこられている。
見た目で推し量る年の割には しっかりとした足取り。
立ち入り禁止の上流から あの足場の悪い細い径を無事に
歩いてこられたのだから、
これはこの道の通行に慣れた現地の水利組合の方なのかな
・・・などとおもいをめぐらせつつ、
なにせ狭い通路であるので こちらが避けねば危ないとお
もい、足元をみて道の端に寄って、こんにちは と声をか
けながら、われわれ二人は 道をゆずった。
こんな場面と径の状況には 手馴れたご様子のご老人は
しっかりとした声で、こんにちはと返事を返され,狭い径の
幅など意に介さぬ様子で なにごともともなかったように
すっとすれちがって道先に歩をすすめられた。
しかし。そのとき。 自分は見たのだ。
すれちがった、そのご老人がうやうやしくおしいただく
竹籠のなかには 和装の男の赤ちゃんがいるのを。
これは妖しい。あまりにも奇妙。
こんな危険な、一歩間違えれば 冷たい川や堰や峡谷に
転落する可能性がおおいにあるせまい道を、赤子がはいっ
た籠を押し頂きながら、立ち入り禁止の道のほうからやっ
てくるご老人がいるなんて。
そんな不審を感じたのは、私のうしろにいた同行者も同じ
らしく、このご老人はいったい何者なんだといったかんじ
で[いろいろなことを想像しつつ]ゆっくりと振り返った私
の顔を怪訝そうな顔でみつめている。
そして。さらに 私が驚かされたのは、同行者のうしろ。
振り返った私の視界から、すれちがったはずの ご老人、
赤子のはいった籠を もっていたはずの ご老人の姿が
視界から消えていたのだ。
たしかにすれちがって数メートル先には、遊歩道にいる
自分たちからは死角となる、直角にまがった峡谷の駐車場
へとつながる上りの階段がある。まちがいなくその階段は
存在するのだけれども、
ただしかし籠を抱えたご老人が それほど素早く移動とは
思えないほどの時間しかたっていなかったはずであるのに、
あるべきはずの後ろ姿が 振り返った私には確認できない
のだ。
これは階段方面を見に行ったほうがいいのかなと思いつつ、
そのとき はっと気づいて、前方を見た。ここでやっと立
ち入り禁止の場所にかけられているはずの鎖、鎖の存在に
気がついのだ[鎖は下から2枚目の写真に写っています]。
視界に入ったのは、しっかりと左右の手すりに かけられ
たままになっている鎖。
籠を抱えて両手がふさがっているはずのご老人は、どうやっ
て この鎖をかけられた場所をすっと通過できたというのか。
おもいだそうとしても思い出せない。 私の頭のなかでは、
すれちがったときの、竹籠のなかの赤ちゃんの穏やかな笑い
顔しか思い出せないのです。
後になって考えても理解できないことだらけの、不思議で
不可思議な、いまから8年ほど前の、夏の長田峡での体験で
した。
このご老人と赤子の二人連れには、なんとも品の
ある気高さみたいなものを感じました。水の精霊
というか自然神という性格を持つ[こちら]ものも
カッパと称するというのであれば・・・おふたり
こそが 沖水川のカッパであらせられたのかも。。
とにもかくにも、こちらは最上級の敬意をもって
接したのもよかったな と思う今日この頃。
「夢で終らせない農業起業」「 本当は危ない有機野菜」
のの
長田峡[こちら]の駐車場から峡谷の下流のほうの遊歩道に
でて、大人ふたりが ぎりぎり並んで歩けるくらいの道幅
を、張り出した枝に頭をぶつけないように注意を払いつつ
同行者とふたり、右手に峡谷を見ながら上流の方向へ歩く。
歩を進めると、かなりな下に見えていた川面が次第に
うえに せりあがってくるのがわかる。
そうこうしているうちに 峡谷をせき止めている堰/せき
が姿をあらわし
ごうごうという音を立てながら堰を乗り越える清流の生
み出す水しぶきが、あたり一面を ひんやりとした空間
へと 変化させる。
堰の上流は せき止められた水で 満ち満ち・・・上流
のほうへといくほどに、堰からの落水のつくりだす水音
は遠のいて、あたりを静寂が包みはじめる。
水の生み出す、こんな動と静の対比を、しばし目をつむ
って身体全体で感じていたちょうど、そのとき。
関係者以外は立ち入り禁止となっているはずの 鎖のかけ
られている川の上流方向から なにものかが近寄ってくる
気配をかんじた。
右手には川面、左には用水。大人ひとりがやっと通れるほ
どの川面と用水に挟まれた小径の向こうから音もなく歩い
てこられたのは、洗濯したてであるような作業服の上下を
きこしめしたご老人。白髪の短髪で眼鏡をかけておられる。
その方がうやうやしい態度で、両手でなにやら四角い籠を
おしいただくような格好をしながら 歩いてこられている。
見た目で推し量る年の割には しっかりとした足取り。
立ち入り禁止の上流から あの足場の悪い細い径を無事に
歩いてこられたのだから、
これはこの道の通行に慣れた現地の水利組合の方なのかな
・・・などとおもいをめぐらせつつ、
なにせ狭い通路であるので こちらが避けねば危ないとお
もい、足元をみて道の端に寄って、こんにちは と声をか
けながら、われわれ二人は 道をゆずった。
こんな場面と径の状況には 手馴れたご様子のご老人は
しっかりとした声で、こんにちはと返事を返され,狭い径の
幅など意に介さぬ様子で なにごともともなかったように
すっとすれちがって道先に歩をすすめられた。
しかし。そのとき。 自分は見たのだ。
すれちがった、そのご老人がうやうやしくおしいただく
竹籠のなかには 和装の男の赤ちゃんがいるのを。
これは妖しい。あまりにも奇妙。
こんな危険な、一歩間違えれば 冷たい川や堰や峡谷に
転落する可能性がおおいにあるせまい道を、赤子がはいっ
た籠を押し頂きながら、立ち入り禁止の道のほうからやっ
てくるご老人がいるなんて。
そんな不審を感じたのは、私のうしろにいた同行者も同じ
らしく、このご老人はいったい何者なんだといったかんじ
で[いろいろなことを想像しつつ]ゆっくりと振り返った私
の顔を怪訝そうな顔でみつめている。
そして。さらに 私が驚かされたのは、同行者のうしろ。
振り返った私の視界から、すれちがったはずの ご老人、
赤子のはいった籠を もっていたはずの ご老人の姿が
視界から消えていたのだ。
たしかにすれちがって数メートル先には、遊歩道にいる
自分たちからは死角となる、直角にまがった峡谷の駐車場
へとつながる上りの階段がある。まちがいなくその階段は
存在するのだけれども、
ただしかし籠を抱えたご老人が それほど素早く移動とは
思えないほどの時間しかたっていなかったはずであるのに、
あるべきはずの後ろ姿が 振り返った私には確認できない
のだ。
これは階段方面を見に行ったほうがいいのかなと思いつつ、
そのとき はっと気づいて、前方を見た。ここでやっと立
ち入り禁止の場所にかけられているはずの鎖、鎖の存在に
気がついのだ[鎖は下から2枚目の写真に写っています]。
視界に入ったのは、しっかりと左右の手すりに かけられ
たままになっている鎖。
籠を抱えて両手がふさがっているはずのご老人は、どうやっ
て この鎖をかけられた場所をすっと通過できたというのか。
おもいだそうとしても思い出せない。 私の頭のなかでは、
すれちがったときの、竹籠のなかの赤ちゃんの穏やかな笑い
顔しか思い出せないのです。
後になって考えても理解できないことだらけの、不思議で
不可思議な、いまから8年ほど前の、夏の長田峡での体験で
した。
このご老人と赤子の二人連れには、なんとも品の
ある気高さみたいなものを感じました。水の精霊
というか自然神という性格を持つ[こちら]ものも
カッパと称するというのであれば・・・おふたり
こそが 沖水川のカッパであらせられたのかも。。
とにもかくにも、こちらは最上級の敬意をもって
接したのもよかったな と思う今日この頃。
「夢で終らせない農業起業」「 本当は危ない有機野菜」
のの