今読み終わった本はところどころに興味のあることがちりばめられていました。
ストーリー自体はスピーディーな転回ではないし、ドラマ性という点でも”?”かもしれませんが、時代背景とか物語が展開する場所がよかった。
時代は大正から昭和初期、場所は浅草界隈・・・私の生まれるずっと以前のことだし、場所も田舎育ちの私とは縁の無いところなんだけれど・・・主人公の周りに登場する人達・・・そういう人の名前を見ただけで時代を感じます。
物語は芥川龍之介が死んだ報道から始まる・・・登場してくるあるいは主人公と直接間接に拘わる人は・・・久保田万太郎、川口松太郎、永井荷風、田谷力三、榎本健一、佐伯祐三、花柳正太郎、杉村春子、それにこの時代の舞台演劇とか映画に関わる人々、新派・新国劇・小山内薫、歌舞伎の大御所、寄席・講釈などで名人と言われた人たち・・・こういう名前を聞くとたまらない。
私は戦後生まれだし田舎生まれの田舎育ちなんだけれど、ラジオの演芸番組を通して名人緒芸を少しは聴いたことがある人もいるし、TVの初期には新派や新国劇などの記憶があるから、ホンの少しだけれど分かるような気がするのです。
それはともかく、面白い話が織り込まれていました。
主人公が年配の人に話すショートストーリーで「この話知っています?、誰の話だったでしょうか?」みたいに話が出てくる。
これが面白い・・・というか身につまされる。
(大意)『公園のベンチに二人の男が座っている。二人とも老人ですが一人は富豪でもう一人は貧民。貧民の方の老人が思い出話を語ります・・・いろんな思い出があるらしく、次々と語るうちに元気になってくる。富豪の方の老人はポツリと”話すような思い出が無い”』とまあこのような話。
私自身この貧民の老人にシンパシーを感じる。
何といっても自分自身が出世とか名誉とかと無縁の人生でしたからね。
仕事は基本的に食っていける分を稼げば良いと思っていましたから、老後の生活に不安を抱えるというツケは背負っています。
だから悠々自適な老後ではなくて、恐らくここに出てくる貧しい方の老人の仲間です。
若い頃から「生活できて、碁も打てれば・・・それ以上は望まない」ということで実際には一時期(周りから見たら)マージャン・競馬などにものめりこんでいた時期もあって仕事以外のいろんな人とも付き合いがあったりしました。
要するにドロップアウト寸前の崖っぷち人生だったのです。
そういうことで損得無しの付き合いというか、思い出話はたくさんある。
普通のというか真面目なサラリーマンなどが知らないことにも直面したりしました。
全てが良いことばかりではないけれど、思い出としては整理しきれないくらい詰まっているわけです。
営業の仕事をしていた頃毎月ノルマを達成していて、その点では自分でも優秀?な部類ではあったけれど、大きく上回ることは決してしなかったし、他のグループでは残業が当たり前だったにに、私のグループはほぼ定時退社を原則としていた。
アフター5とか6の付き合い飲み会には行ったことはないし、休日のゴルフなど無縁です。
まあそんなことで出世コースとはかけ離れた裏街道を歩いてきました。
夕方会社を出たら、必ず碁会所に寄ってから帰宅するのが定石だったから、残業しても、飲み会でも、どちらでも家に着く時間は同じになるから、要するに時間とかエネルギーをどう使うかということでした。
何かを選ぶということは、他の事を選ばないということです。
そういうことで、ささやかではあるけれど碁に関していろんな出会いがあって、思い出に刻まれる有りました。
仕事一筋で、功なり名を上げた人には”良い思い出”がないとも思いませんが、マア私としてはお金は貯まらなかったけれど、その分思い出だけはたっぷりと残ったということです。
本当は両方あれば一番良いのですが、どちらかを選べといわれたらやはり碁の方でしょうね。
蟻とキリギリスの寓話で、蟻が幸せの家庭・キリギリスが必然的に不幸になる・・・そうは思えないのです。
初めに戻って
公園のベンチに立派な身なりのお金持ちの老人が座っていて、隣に貧しい身なりの私(老人)が座っていたとしましょう。
多分現実に起こるとすればこういう風になりそうです。
私は負け惜しみ的に思い出を楽しそうに話すでしょうが、心の中ではお金持ちの生活を羨むでしょうね・・・上手く行かないものです。
ストーリー自体はスピーディーな転回ではないし、ドラマ性という点でも”?”かもしれませんが、時代背景とか物語が展開する場所がよかった。
時代は大正から昭和初期、場所は浅草界隈・・・私の生まれるずっと以前のことだし、場所も田舎育ちの私とは縁の無いところなんだけれど・・・主人公の周りに登場する人達・・・そういう人の名前を見ただけで時代を感じます。
物語は芥川龍之介が死んだ報道から始まる・・・登場してくるあるいは主人公と直接間接に拘わる人は・・・久保田万太郎、川口松太郎、永井荷風、田谷力三、榎本健一、佐伯祐三、花柳正太郎、杉村春子、それにこの時代の舞台演劇とか映画に関わる人々、新派・新国劇・小山内薫、歌舞伎の大御所、寄席・講釈などで名人と言われた人たち・・・こういう名前を聞くとたまらない。
私は戦後生まれだし田舎生まれの田舎育ちなんだけれど、ラジオの演芸番組を通して名人緒芸を少しは聴いたことがある人もいるし、TVの初期には新派や新国劇などの記憶があるから、ホンの少しだけれど分かるような気がするのです。
それはともかく、面白い話が織り込まれていました。
主人公が年配の人に話すショートストーリーで「この話知っています?、誰の話だったでしょうか?」みたいに話が出てくる。
これが面白い・・・というか身につまされる。
(大意)『公園のベンチに二人の男が座っている。二人とも老人ですが一人は富豪でもう一人は貧民。貧民の方の老人が思い出話を語ります・・・いろんな思い出があるらしく、次々と語るうちに元気になってくる。富豪の方の老人はポツリと”話すような思い出が無い”』とまあこのような話。
私自身この貧民の老人にシンパシーを感じる。
何といっても自分自身が出世とか名誉とかと無縁の人生でしたからね。
仕事は基本的に食っていける分を稼げば良いと思っていましたから、老後の生活に不安を抱えるというツケは背負っています。
だから悠々自適な老後ではなくて、恐らくここに出てくる貧しい方の老人の仲間です。
若い頃から「生活できて、碁も打てれば・・・それ以上は望まない」ということで実際には一時期(周りから見たら)マージャン・競馬などにものめりこんでいた時期もあって仕事以外のいろんな人とも付き合いがあったりしました。
要するにドロップアウト寸前の崖っぷち人生だったのです。
そういうことで損得無しの付き合いというか、思い出話はたくさんある。
普通のというか真面目なサラリーマンなどが知らないことにも直面したりしました。
全てが良いことばかりではないけれど、思い出としては整理しきれないくらい詰まっているわけです。
営業の仕事をしていた頃毎月ノルマを達成していて、その点では自分でも優秀?な部類ではあったけれど、大きく上回ることは決してしなかったし、他のグループでは残業が当たり前だったにに、私のグループはほぼ定時退社を原則としていた。
アフター5とか6の付き合い飲み会には行ったことはないし、休日のゴルフなど無縁です。
まあそんなことで出世コースとはかけ離れた裏街道を歩いてきました。
夕方会社を出たら、必ず碁会所に寄ってから帰宅するのが定石だったから、残業しても、飲み会でも、どちらでも家に着く時間は同じになるから、要するに時間とかエネルギーをどう使うかということでした。
何かを選ぶということは、他の事を選ばないということです。
そういうことで、ささやかではあるけれど碁に関していろんな出会いがあって、思い出に刻まれる有りました。
仕事一筋で、功なり名を上げた人には”良い思い出”がないとも思いませんが、マア私としてはお金は貯まらなかったけれど、その分思い出だけはたっぷりと残ったということです。
本当は両方あれば一番良いのですが、どちらかを選べといわれたらやはり碁の方でしょうね。
蟻とキリギリスの寓話で、蟻が幸せの家庭・キリギリスが必然的に不幸になる・・・そうは思えないのです。
初めに戻って
公園のベンチに立派な身なりのお金持ちの老人が座っていて、隣に貧しい身なりの私(老人)が座っていたとしましょう。
多分現実に起こるとすればこういう風になりそうです。
私は負け惜しみ的に思い出を楽しそうに話すでしょうが、心の中ではお金持ちの生活を羨むでしょうね・・・上手く行かないものです。