以前目碁でもあるまいにという話をしたことがありまして、その後何回と無く目碁的なことについて話をしてきました。
今回も繰り返しになる部分もありますが、少しだけ見方を変えた方がいいかな?という意味も含めたはなしです・・・マア余り大きな違いは無いかもしれませんが。
初めに「目碁でもあるまいに」という話をするきっかけになったのは、確か九州の何処かで行われた少年少女囲碁大会についてブログで読んだことがきっかけでした。
優勝者には賞品と全国大会に出場する権利が与えられるという大会だったそうで、スイス方式の4回戦・・・でも16名以上の参加があれば2名以上の全勝者が出る可能性がある。
プレーオフをやらないで、そこを解決するためのやり方だったのでしょうね。
例えば中押しで勝つと+20Pで数え碁は目差がポイントで20Pが天井。
4回戦での勝数、同じ勝数ならば獲得ポイントで争う・・・
確かに主催者としては運営上時間的な制約もあるし、会場の問題もあるかもしれないけれど・・・
仮に5目程度の差が逆転できないと読みきった子は、投げると相手に20Pプレゼントすることになって、もし最後まで打つとそれは5Pしかない。
更にこれが負けたほうに勝者に与えられるポイントと同じだけマイナスポイントがつくとしたら、20目以上負けていなければ投了しない方が良いことになる。
更に優勢な局面では、20目以上勝ちを目指すという変な頑張りが必要となる。
それらは普段教わっている碁では無いはず。
勝ち負けを争ってはいるけれど、頭のどこかに20目というハードルがある。
事前にこういうやり方を発表してあれば・・・悪法も法ですから納得せざるを得ないのでしょうか。
変なルールだけれど、こういう大会ルールは実は私にも経験があります
かなり昔のことですが、当時も変なルールだと思いましたが、マアおじさんとオバサンの大会だし、賞品が少し変わる程度だから”お遊び”という意味では”マいいか”という範囲かな。
いつものコミュでの親睦囲碁大会もこれに似たルールのようです・・・
平日の大会だし参加する気も無いので、口を出しませんが、やっている人が違和感が無いのだろうか?
オジサン、オバサンはともかく、少年少女たちにこのルールには馴染んで欲しくないと思うのです。
目差が大きいほど良いというのは、勝ったほうの立場で「より安全に寄り切った」「あるいは相手の弱点を的確に咎め続けた」という意味でしょう?
だけれども劣勢の方の立場では「投げるか投げないかは20目差がライン」・・・
19目差以内の負けを目指して変な頑張りを続けることになりそう。
数目の差を読みきる”質”と、ともかく差など関係なく最後まで頑張る”質”の差はどういうものだろうか?
話が変わって「目碁」「賭碁」というのは私は経験が無い・・・勝負にコーラ1本も賭けたことがないのですが、周囲では「缶ビール+おつまみ」とかの座興的な賭碁はよく目にします。
これは勝ち負けに対して賭けているのであって、目差で内容は変わらない。
だから良いということではない無いのですが、マア二人で缶ビールを飲んでどちらかが勘定を払うかだけの意味ですし、表で飲めば自分が勘定を持とうとする人達が、碁会所では勘定を押し付けあっているだけです。
これが東京の某所にような「目碁専門店」だと話が変わってきます
勝敗に対していくら・・・これを”お台”というらしい
更に目差10目単位でいくら・・・これが1本、2本と数えてトータルでお金が行き来するらしい。
これはそこの常連さんから聞いた話でそれ以上の詳しい話は知りません。
ともかく儲けるコツは勝つ時に大きな差で勝つことがコツらしい。
だから・・・そういうルールの影響だと思うのですが、目碁の常連さんは何処か打ち筋が違うのです。
はっきりここが違うといえないのですが、違いを感じます。
アマの高段者とかプロ棋士の中にも目碁経験者はいて、中には「賭碁」を強くなるために勧める人までいました。
確かに「稼ぐ」ということは除外して、「負けないように必死で考える」というところを強調すれば修練だということかも知れない・・・これはそうとうな域に達した人が言うことで、私などザルとは無縁のことだと思う。
また相当なお稽古代が必要でしょうね。
それより賭けたことで、特に目碁ではやはり賭け事のいやらしさが出て、それが染み付いていくような気がします。
ともかく私レベルでは、「なるべく大きく勝つ」なんていう碁を考えたら、多分おかしな碁を打つだろう。
さて少年少女の場合「1目勝てば良い」というような変に悟ったジイサマみたいな碁はダメで、ガンガン行くような元気が良い碁が良いということはあるのだろうか?・・・分かりません。
さて、目差が大きいほど鮮やかな勝ちで、小さいほど接戦で・運のいいほうが勝ちみたいな感覚がある・・・いつものコミュで多くの人がそう思っているみたい。
確かにそういう面はあるのだけれど、僅差での敗戦を拒否して勝負に出て、結果大差で負ける・・・こういう打ち方が軽視されているかも知れない。
何となく最後まで打って、何となく小さな差で負け・・・
ところで似たようなことが職場碁でもありました。
Fさんは何時に無く慎重に打ち進めて・・・マア多少へコミ気味なので100%良い手ばかりではないのですが、向う4子だから白として大変迷惑な?打ち方。
取り敢えずジリジリと差を詰めていくしかないが、大寄せに入る辺りでやっと細かくはなりそうなところまでは来たけれど、もしかして黒が残るか?という形勢。
終盤黒甘いところがあって結局白の5目勝ちとなったのですが、そこでFさんの感想 「やはり、こんな風に考えて打たなくてはいけないね」・・・
勝敗では無く5目負けという差に多少満足しているのか?
いつも捻り合いで負けていたFさんの気持ちとしては分からないでもないのだけれど・・・「本人がそれでやる気が増せば良い」とここは私も黙ってにっこり。
本心を言うと「最後のヨセも勝敗の分岐点として問題点だけれど、本当はジリジリと追撃を許した打ち方が問題なんですよ」・・・マアそういうことはきっとFさんも分かる日が来るのだろうな。
今回も繰り返しになる部分もありますが、少しだけ見方を変えた方がいいかな?という意味も含めたはなしです・・・マア余り大きな違いは無いかもしれませんが。
初めに「目碁でもあるまいに」という話をするきっかけになったのは、確か九州の何処かで行われた少年少女囲碁大会についてブログで読んだことがきっかけでした。
優勝者には賞品と全国大会に出場する権利が与えられるという大会だったそうで、スイス方式の4回戦・・・でも16名以上の参加があれば2名以上の全勝者が出る可能性がある。
プレーオフをやらないで、そこを解決するためのやり方だったのでしょうね。
例えば中押しで勝つと+20Pで数え碁は目差がポイントで20Pが天井。
4回戦での勝数、同じ勝数ならば獲得ポイントで争う・・・
確かに主催者としては運営上時間的な制約もあるし、会場の問題もあるかもしれないけれど・・・
仮に5目程度の差が逆転できないと読みきった子は、投げると相手に20Pプレゼントすることになって、もし最後まで打つとそれは5Pしかない。
更にこれが負けたほうに勝者に与えられるポイントと同じだけマイナスポイントがつくとしたら、20目以上負けていなければ投了しない方が良いことになる。
更に優勢な局面では、20目以上勝ちを目指すという変な頑張りが必要となる。
それらは普段教わっている碁では無いはず。
勝ち負けを争ってはいるけれど、頭のどこかに20目というハードルがある。
事前にこういうやり方を発表してあれば・・・悪法も法ですから納得せざるを得ないのでしょうか。
変なルールだけれど、こういう大会ルールは実は私にも経験があります
かなり昔のことですが、当時も変なルールだと思いましたが、マアおじさんとオバサンの大会だし、賞品が少し変わる程度だから”お遊び”という意味では”マいいか”という範囲かな。
いつものコミュでの親睦囲碁大会もこれに似たルールのようです・・・
平日の大会だし参加する気も無いので、口を出しませんが、やっている人が違和感が無いのだろうか?
オジサン、オバサンはともかく、少年少女たちにこのルールには馴染んで欲しくないと思うのです。
目差が大きいほど良いというのは、勝ったほうの立場で「より安全に寄り切った」「あるいは相手の弱点を的確に咎め続けた」という意味でしょう?
だけれども劣勢の方の立場では「投げるか投げないかは20目差がライン」・・・
19目差以内の負けを目指して変な頑張りを続けることになりそう。
数目の差を読みきる”質”と、ともかく差など関係なく最後まで頑張る”質”の差はどういうものだろうか?
話が変わって「目碁」「賭碁」というのは私は経験が無い・・・勝負にコーラ1本も賭けたことがないのですが、周囲では「缶ビール+おつまみ」とかの座興的な賭碁はよく目にします。
これは勝ち負けに対して賭けているのであって、目差で内容は変わらない。
だから良いということではない無いのですが、マア二人で缶ビールを飲んでどちらかが勘定を払うかだけの意味ですし、表で飲めば自分が勘定を持とうとする人達が、碁会所では勘定を押し付けあっているだけです。
これが東京の某所にような「目碁専門店」だと話が変わってきます
勝敗に対していくら・・・これを”お台”というらしい
更に目差10目単位でいくら・・・これが1本、2本と数えてトータルでお金が行き来するらしい。
これはそこの常連さんから聞いた話でそれ以上の詳しい話は知りません。
ともかく儲けるコツは勝つ時に大きな差で勝つことがコツらしい。
だから・・・そういうルールの影響だと思うのですが、目碁の常連さんは何処か打ち筋が違うのです。
はっきりここが違うといえないのですが、違いを感じます。
アマの高段者とかプロ棋士の中にも目碁経験者はいて、中には「賭碁」を強くなるために勧める人までいました。
確かに「稼ぐ」ということは除外して、「負けないように必死で考える」というところを強調すれば修練だということかも知れない・・・これはそうとうな域に達した人が言うことで、私などザルとは無縁のことだと思う。
また相当なお稽古代が必要でしょうね。
それより賭けたことで、特に目碁ではやはり賭け事のいやらしさが出て、それが染み付いていくような気がします。
ともかく私レベルでは、「なるべく大きく勝つ」なんていう碁を考えたら、多分おかしな碁を打つだろう。
さて少年少女の場合「1目勝てば良い」というような変に悟ったジイサマみたいな碁はダメで、ガンガン行くような元気が良い碁が良いということはあるのだろうか?・・・分かりません。
さて、目差が大きいほど鮮やかな勝ちで、小さいほど接戦で・運のいいほうが勝ちみたいな感覚がある・・・いつものコミュで多くの人がそう思っているみたい。
確かにそういう面はあるのだけれど、僅差での敗戦を拒否して勝負に出て、結果大差で負ける・・・こういう打ち方が軽視されているかも知れない。
何となく最後まで打って、何となく小さな差で負け・・・
ところで似たようなことが職場碁でもありました。
Fさんは何時に無く慎重に打ち進めて・・・マア多少へコミ気味なので100%良い手ばかりではないのですが、向う4子だから白として大変迷惑な?打ち方。
取り敢えずジリジリと差を詰めていくしかないが、大寄せに入る辺りでやっと細かくはなりそうなところまでは来たけれど、もしかして黒が残るか?という形勢。
終盤黒甘いところがあって結局白の5目勝ちとなったのですが、そこでFさんの感想 「やはり、こんな風に考えて打たなくてはいけないね」・・・
勝敗では無く5目負けという差に多少満足しているのか?
いつも捻り合いで負けていたFさんの気持ちとしては分からないでもないのだけれど・・・「本人がそれでやる気が増せば良い」とここは私も黙ってにっこり。
本心を言うと「最後のヨセも勝敗の分岐点として問題点だけれど、本当はジリジリと追撃を許した打ち方が問題なんですよ」・・・マアそういうことはきっとFさんも分かる日が来るのだろうな。