私は生まれて直ぐ川に面した家・窓の下を川が流れている家に引っ越して、少年期はそこで育ったのです。
川幅が10mも無い小さな川のほとりで、海も直ぐ側です・・・海と川の境目がはっきりしていまして、海から50mしか離れていません。
(中学1年の時生まれて初めて碁を打ったのもそこです)
ですから満潮になると潮が川を遡るのです。
橋の上から見ていてもこの潮の力は強い・・・川の流れをせき止めて上流へ押し上げていくのです。
遠浅で干満の潮の流れが急なところでは、沖で泳いでいて浜に帰ろうとした時に引き潮に遭うと、なかなか浜まで帰れないのです・・・
そこで力尽きれば大事故ですし、反対の時は沖に行きたくても、何処まで行っても足がついてしまったりします。
<ここまでが枕>
負けが続くと、もう勝てないのでは無いかという気分になってしまいます。
これからの生涯二度と勝てないのではないかということではないにしても、それに近い感情かも知れません。
点数制のネットですから、一局ごとにハンデが変わります・・・相手が変わるので正確な調整ではないにしても、負ければ少し楽になる筈・・・なのにこのネットでのポイントで10点くらいはあっという間に変化する(下がる方に)。
大きい時は15点は動くのですが、これは手合いで2子となるのですから、段位で言うと二段下がったことになるのです。
さすがに全て一気に下がるというよりところどころに踊り場があるのですが、気分としては飛行機のエアポケットみたいなものです。
不思議な心理ですがこういう時ほど碁が打ちたいのです・・・そして不調というか・実力を露呈して遺憾なく発揮してしまうのですから絵に描いたような敗戦の嵐となる。
こういうときは、実力はともかく自分では気がつかない微妙な歯車が狂っているのですよね。
でも昔の栄光というか、元の・さっきまでの点数に早く戻りたいという心理が働くのです。
早くというのは一刻でも早くという意味と、一局でも早くという意味があって、両方をあわせて達成するには、続けて打つしかない・・・
これが負けても負けても打ちたい心理で、地獄のスパイラルに巻き込まれる仕組みなのですね。
だからこれはお相撲さんの稽古みたいに、転がっても転がっても起き上がってぶつかっていく・・・そうして強くなるのとは少し違っていそうです。
負けている時ほど打ちたいのですが、こういう心理が対局原動力になって負け続けるのかもしれませんが、反面二度と勝てそうも無いので、打つのが怖いという気持ちもある。
これはアクセルとブレーキみたいなものでしょうか
潮流の裏に反流が隠れているみたいなものかも知れない
要するに負けるのが怖いのなら打たなければ良いのですが・・・それが出来ないのがザルたる所以。
”打ちたい”と”怖い”のジレンマというかフラストレーション
偶に連勝している時の心理はと言うと
変な負け方をすると連勝からいきなり連敗スパイラルに陥るかも知れにと言う恐れを感じるのです。
そこが丁度潮の変わり目みたいなもので、逆らえない力に引きずられるみたいな
マア、打たなければ負けない・・・勝てないけれど。
碁が大好きなのにどっちも怖い!
これはザルの癖に結果に拘りすぎ・・・自分でも痛いほど分かるのですが
禍福はあざなえる縄の如し?では無いけれど、勝ったり負けたりの一喜一憂だけでなく盤上の出来事そのものに集中できるようにならなくてはいけませんね。
これが意外と難しい
[河豚は食いたし、命は・・・]少し違うか
[競馬もマージャンもやらなければ負けない・・・]そんな諺は無いけれど、こっちに近いかな。
それでも石を持たずにはいられないのだから、ザルはつらい、ザルは楽しい。
ところで、点数は今のところ波の様に変化している。
連敗から連勝に変わる時、まさか棋力が下がっていたものが棋力が回復したのでは無いでしょう。
ザルでは許容範囲というか、生息域が広範なので潮の流れに漂っているだけなのでしょう(失礼ながら対局相手の多くも)。
しかし、そろそろ年・・・下がったまま反発が無くなったらどうしよう。
それでも”石を持つと楽しい”みたいに綺麗に枯れていると好いのだけれど
川幅が10mも無い小さな川のほとりで、海も直ぐ側です・・・海と川の境目がはっきりしていまして、海から50mしか離れていません。
(中学1年の時生まれて初めて碁を打ったのもそこです)
ですから満潮になると潮が川を遡るのです。
橋の上から見ていてもこの潮の力は強い・・・川の流れをせき止めて上流へ押し上げていくのです。
遠浅で干満の潮の流れが急なところでは、沖で泳いでいて浜に帰ろうとした時に引き潮に遭うと、なかなか浜まで帰れないのです・・・
そこで力尽きれば大事故ですし、反対の時は沖に行きたくても、何処まで行っても足がついてしまったりします。
<ここまでが枕>
負けが続くと、もう勝てないのでは無いかという気分になってしまいます。
これからの生涯二度と勝てないのではないかということではないにしても、それに近い感情かも知れません。
点数制のネットですから、一局ごとにハンデが変わります・・・相手が変わるので正確な調整ではないにしても、負ければ少し楽になる筈・・・なのにこのネットでのポイントで10点くらいはあっという間に変化する(下がる方に)。
大きい時は15点は動くのですが、これは手合いで2子となるのですから、段位で言うと二段下がったことになるのです。
さすがに全て一気に下がるというよりところどころに踊り場があるのですが、気分としては飛行機のエアポケットみたいなものです。
不思議な心理ですがこういう時ほど碁が打ちたいのです・・・そして不調というか・実力を露呈して遺憾なく発揮してしまうのですから絵に描いたような敗戦の嵐となる。
こういうときは、実力はともかく自分では気がつかない微妙な歯車が狂っているのですよね。
でも昔の栄光というか、元の・さっきまでの点数に早く戻りたいという心理が働くのです。
早くというのは一刻でも早くという意味と、一局でも早くという意味があって、両方をあわせて達成するには、続けて打つしかない・・・
これが負けても負けても打ちたい心理で、地獄のスパイラルに巻き込まれる仕組みなのですね。
だからこれはお相撲さんの稽古みたいに、転がっても転がっても起き上がってぶつかっていく・・・そうして強くなるのとは少し違っていそうです。
負けている時ほど打ちたいのですが、こういう心理が対局原動力になって負け続けるのかもしれませんが、反面二度と勝てそうも無いので、打つのが怖いという気持ちもある。
これはアクセルとブレーキみたいなものでしょうか
潮流の裏に反流が隠れているみたいなものかも知れない
要するに負けるのが怖いのなら打たなければ良いのですが・・・それが出来ないのがザルたる所以。
”打ちたい”と”怖い”のジレンマというかフラストレーション
偶に連勝している時の心理はと言うと
変な負け方をすると連勝からいきなり連敗スパイラルに陥るかも知れにと言う恐れを感じるのです。
そこが丁度潮の変わり目みたいなもので、逆らえない力に引きずられるみたいな
マア、打たなければ負けない・・・勝てないけれど。
碁が大好きなのにどっちも怖い!
これはザルの癖に結果に拘りすぎ・・・自分でも痛いほど分かるのですが
禍福はあざなえる縄の如し?では無いけれど、勝ったり負けたりの一喜一憂だけでなく盤上の出来事そのものに集中できるようにならなくてはいけませんね。
これが意外と難しい
[河豚は食いたし、命は・・・]少し違うか
[競馬もマージャンもやらなければ負けない・・・]そんな諺は無いけれど、こっちに近いかな。
それでも石を持たずにはいられないのだから、ザルはつらい、ザルは楽しい。
ところで、点数は今のところ波の様に変化している。
連敗から連勝に変わる時、まさか棋力が下がっていたものが棋力が回復したのでは無いでしょう。
ザルでは許容範囲というか、生息域が広範なので潮の流れに漂っているだけなのでしょう(失礼ながら対局相手の多くも)。
しかし、そろそろ年・・・下がったまま反発が無くなったらどうしよう。
それでも”石を持つと楽しい”みたいに綺麗に枯れていると好いのだけれど