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F氏はお弁当を食べ終わってから喫煙コーナーに消えていったから、今日は打つ気は無さそうです。
となると今日は昼寝でもしようか、それともパソコンで遊ぼうか?
パソコンはゲームではありませんし、ブログの下書きでもありません。
仕事に必要な統計表を作ろうかなということです。
ホストコンピューターにはいろんなデータが集積されているので、そこから必要なものだけを取り出して表を作ります。
元のデータ量が多すぎてややもてあましているのですが、こういうのは嫌いではない。
これをやると多分周りから昼休みですから休んで下さいと声がかかるのは必至・・・ということで迷っていた。
この辺りの感覚というか、個人的癖というか・・・私は少し変わり者かも知れません。
これは小学校の頃からなんですが、例えば算数の時間にある種の問題が面白いと感じれば、休み時間でもそういうものに取り組みます(逆もあります=イヤなら絶対やらない)。
だから、皆が校庭で遊んでいてもひとりで教室に残って問題を解いています・・・だから「がり勉」だと思われていたようです。
”ようです”というのは周りを気にしないから、母親が他所で聞いてくるまで知らなかったのです。
尤もその母親は話を聞いて大笑い・・・「家では全く勉強をしないんだから、そんなガリ勉ある?」
こういう性格を50年近く引きずって生きてきました。
だから今日のようにパソコンで面白いテーマがあれば昼休みだろうと関係ないのです。
それはオーバーに言うと”生き方”にも影響があって、その場合は決して良いことばかりでは無い・・・寧ろマイナスかな。
というのは同僚・例えばこれからお話するKさんなどを見ているとよく分かります。
私みたいなタイプは「一点集中」とも言えるけれど、碁に関して言うとプロはおろか高段者の足元にも及ばないのだけれどタイプとしてはそういう分類でしょう。
だから、マージャンだって競馬だって面白いと思えばとことんやるタイプ。
それに比べ周りの”大人”たちは「バランス型」というか・・・生活を仕事中心に遊びも生き抜き程度にバランスよく楽しむタイプ。
彼らは良識・常識派とも言える(私などは生活を遊び中心に考えるのだから”無頼派”なんだろう。
さて話はお弁当を食べ終わったところへ戻ります。
今日はKさんから声がかかった。
私が昨日休みだったので、昨日はKさんとFさんが打って、今日はKさんと私という具合に決まっていたらしい。
”対局場”の1階の休憩室に下りていく階段で、Kさんに話かけました。
「Kさんは本当に碁会所では打っていないのですか?」
「はい、一度だけJRの駅裏の碁会所に二人で行って打った事はありますけれどね」
つまり、碁会所の常連メンバーなどとの交流は無いのですね、単に空間というかそこを利用しただけで終わっています。
するとKさんは職場の昼休みか、偶に終業後帰宅するまでの間しか打っていな
い。
休日にTVなどで観戦するかも知れないけれど、誰かが碁を打ちに来るということも無いらしい。
私にはこういうことが反って不思議に感じてしまうのです。
「碁が好き」とか「碁が面白い」という人が「碁との付き合いがこの程度で満足できるのか?」
人それぞれというしかないし、どんな楽しみ方をしようと自由ではある。
自由であるゆえに、多少複雑な感情があります。
彼は昼休みの碁は暇つぶしの意味が強いにせよ「勝ちたい」「強くなりたい」と思っているだろうか?
多分思っているだろう>>>そうでなくては当方も困る
私としては「教える」などということは出来ないけれど、一緒に楽しみながら少しでも強くなって欲しいと願っているからです。
将来振り返って、「あの昼休み碁が役に立った」と思い出して欲しいと思いながら
今碁を打っているのです・・・但し現実は厳しい
今日は5子で私が連勝してしまいました。
先日Kさんが6子になるカド番を凌いだのですがこれで再びカド番です。
私としては普通に打っているつもりなのですが、余り時間を使わず、勝負どころで急所をはずす、凹んだり妙に強気だったりする今日みたいなKさんの打ち方を咎めないわけには行かない。
こういうところをそのままにして通過すると、そういうものだと言う感覚が出来てしまう・・・それを咎めると黒さんは潰れる。
この辺りはジレンマです。
「強くなるを楽しむ」みたいなことは出来るでしょうか?
いくら黒がひどい手を打っても潰してしまうと楽しみまで潰すことになりはしないか。
でもそんなときのKさんのコメントは「考えないで打つから・・・」
本心で言うと
「考えて打って潰れると勉強になる」
いつも潰れてから「考えていない・・・」は無いですよ。
「私はKさんよりキャリアがあるから、一目で急所など分かることがあります」
「そういう差は大きいのですから考えて打ってください」
「白を取りに行ったのが間違いだったのでしょうね?」
「白はいかにも弱そうに見える・・・多分正しく攻めることが出来れば白が潰れるでしょう」
「取りに行くのが間違いというより、攻防の急所をはずしているのです」
マアその時の棋力で出来ることも、出来ないこともある・・・でもまずは盤上をよく見て、考えながら・何かを感じながら打って欲しい。
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