家にはどうも道楽をするDNAが流れているような気がします。
知っている・聞いた範囲では祖父の代からですが、この人は道楽と言うのか只の飲兵衛なのか分かりませんが、ともかく身代を飲みつぶした。
遊郭通いとか鉄火場ではないのですが、時代の変化についていけなくて、ともかく金融とか経済の変化が分からなかったのでしょうし、人を見る目が無かったのでしょう。
ともかくお酒が好きでボンボンタイプの旦那ですから或る日突然「合法的」に家屋敷が人手に渡った。
一番割りを喰ったのは伯父で、小学校の敷地になったくらいの広さの屋敷と周りのお茶畑などが一夜で無くなったのですから、、、
父の場合は次男ですから結果としてはたいした痛手ではなかったかもしれませんが、可能性としては男三人兄弟ですからMAXで三分の一を失ったのかも知れません。
私の場合はそのまた次男ですから・・・マアたいした分け前はないでしょうが、ともかく可能性は0になったということでしょうか。
父の道楽は旅行だった。
数日間のものや、日帰りのもの・・・どちらにしても一人で出かけるのが好きだった。
宿泊するものは行き先は言いますが、泊まる場所とかスケジュールの細かいことは言わないし、メモも残して行かない。
日帰りの時も、行き先は勿論行った先でどんなことがあったかも一切話さない。
秘密と言うことではなくて、きっと「一人で楽しむ」と言うスタイルだったのでしょうね。
今時のドラマ仕立てでは、もしかしたら婦人同伴とか、行った先で待ち合わせなどと言うストーリーも無いでかも知れませんが、実際にはそんな器用な人でも無かったし、母との諍いも一切無かったのですから、単純に一人で楽しんでいたのでしょう。
自分ひとりの世界・時間があると言うのが好きだったのでしょう。
父の道楽と言えば今にして思えばもう一つ変な道楽があった。
例えば、私に勝負事に使うようなものを与えるのです。
ゲーム盤のセットは勿論、トランプ、花札、ルーレットなどを頼みもしないのに買ってきて、それで遊ぶのをを見るのが楽しかったらしい。
将棋などは、わざわざ自分の会社の若い人(この人は将棋が強かった)を夕食やらビール付きで家に招いて私と指させる。
それを見ながらちびりちびりやるのが道楽だったようです。
父が将棋を指すのも、ゲームをやるのも見たことがありませんから、やるのではなくて見るのが道楽だったのです。
私といえばそういう風にしむけられたのか勝負事が好きで、麻雀・競馬・囲碁を三大道楽にしていましたが、結婚・子供の出生を機会にして徐々に経済的な破綻の心配の無い囲碁一本になりました。
プロになれるようなレベルではありませんが、囲碁があれば楽しいし、囲碁の無い人生は考えられないのですから、やはりこれは致命的な?「道楽」なんでしょう。
女房殿が知り合いとの話で「主人は囲碁が好きで・・・」と話せば、きっと「良いご趣味ですね」と答えが返ってくるでしょうが、これは一種の先入観でもある。
やっている本人が「ご趣味」どころか人生の一部くらいに思っていますし、女房殿にしても「ご趣味」ではなくて「ご道楽」だと思っているだろう。
「外聞」が良いし、手間がかからないから放任と言うことだろう。
さてわが息子
趣味でロックのCDを借りてきてチップに入れたり、サッカーの草チームでプレイしたりフットサルの仲間に入れてもらったりしている。
家の家系だから必ずや「道楽的」に何かにのめり込むだろう・・・そして外国語を習いたいと言うことで1年の外国生活を終えて帰って来ました・・・ということは既に道楽的な生き方がチラチラし始めていますが、これ以上の困った道楽に嵌らないためにも息子に囲碁を教えておかなくてはいけないかもしれない。
問題は過去の親子関係?では、代々親の趣味を子供が受け継いでいないと言うことですね。
つまりオヤジの道楽は子供にとって真似したくなるようなものではなくて、違う道楽を探したくなるのかも知れない・・・「道楽息子」ではあるが親の趣味は継がない家系らしい。
知っている・聞いた範囲では祖父の代からですが、この人は道楽と言うのか只の飲兵衛なのか分かりませんが、ともかく身代を飲みつぶした。
遊郭通いとか鉄火場ではないのですが、時代の変化についていけなくて、ともかく金融とか経済の変化が分からなかったのでしょうし、人を見る目が無かったのでしょう。
ともかくお酒が好きでボンボンタイプの旦那ですから或る日突然「合法的」に家屋敷が人手に渡った。
一番割りを喰ったのは伯父で、小学校の敷地になったくらいの広さの屋敷と周りのお茶畑などが一夜で無くなったのですから、、、
父の場合は次男ですから結果としてはたいした痛手ではなかったかもしれませんが、可能性としては男三人兄弟ですからMAXで三分の一を失ったのかも知れません。
私の場合はそのまた次男ですから・・・マアたいした分け前はないでしょうが、ともかく可能性は0になったということでしょうか。
父の道楽は旅行だった。
数日間のものや、日帰りのもの・・・どちらにしても一人で出かけるのが好きだった。
宿泊するものは行き先は言いますが、泊まる場所とかスケジュールの細かいことは言わないし、メモも残して行かない。
日帰りの時も、行き先は勿論行った先でどんなことがあったかも一切話さない。
秘密と言うことではなくて、きっと「一人で楽しむ」と言うスタイルだったのでしょうね。
今時のドラマ仕立てでは、もしかしたら婦人同伴とか、行った先で待ち合わせなどと言うストーリーも無いでかも知れませんが、実際にはそんな器用な人でも無かったし、母との諍いも一切無かったのですから、単純に一人で楽しんでいたのでしょう。
自分ひとりの世界・時間があると言うのが好きだったのでしょう。
父の道楽と言えば今にして思えばもう一つ変な道楽があった。
例えば、私に勝負事に使うようなものを与えるのです。
ゲーム盤のセットは勿論、トランプ、花札、ルーレットなどを頼みもしないのに買ってきて、それで遊ぶのをを見るのが楽しかったらしい。
将棋などは、わざわざ自分の会社の若い人(この人は将棋が強かった)を夕食やらビール付きで家に招いて私と指させる。
それを見ながらちびりちびりやるのが道楽だったようです。
父が将棋を指すのも、ゲームをやるのも見たことがありませんから、やるのではなくて見るのが道楽だったのです。
私といえばそういう風にしむけられたのか勝負事が好きで、麻雀・競馬・囲碁を三大道楽にしていましたが、結婚・子供の出生を機会にして徐々に経済的な破綻の心配の無い囲碁一本になりました。
プロになれるようなレベルではありませんが、囲碁があれば楽しいし、囲碁の無い人生は考えられないのですから、やはりこれは致命的な?「道楽」なんでしょう。
女房殿が知り合いとの話で「主人は囲碁が好きで・・・」と話せば、きっと「良いご趣味ですね」と答えが返ってくるでしょうが、これは一種の先入観でもある。
やっている本人が「ご趣味」どころか人生の一部くらいに思っていますし、女房殿にしても「ご趣味」ではなくて「ご道楽」だと思っているだろう。
「外聞」が良いし、手間がかからないから放任と言うことだろう。
さてわが息子
趣味でロックのCDを借りてきてチップに入れたり、サッカーの草チームでプレイしたりフットサルの仲間に入れてもらったりしている。
家の家系だから必ずや「道楽的」に何かにのめり込むだろう・・・そして外国語を習いたいと言うことで1年の外国生活を終えて帰って来ました・・・ということは既に道楽的な生き方がチラチラし始めていますが、これ以上の困った道楽に嵌らないためにも息子に囲碁を教えておかなくてはいけないかもしれない。
問題は過去の親子関係?では、代々親の趣味を子供が受け継いでいないと言うことですね。
つまりオヤジの道楽は子供にとって真似したくなるようなものではなくて、違う道楽を探したくなるのかも知れない・・・「道楽息子」ではあるが親の趣味は継がない家系らしい。