なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

人と人との戦い

2008-10-25 17:06:07 | Weblog
 「戦い」という表現を使うと、かなりの違和感があります。
  プロの碁では賞金も名誉もかかっているのでしょうから、それを勝ち取るための戦いでしょうが、こちらアマ・ザルとしてはせいぜい「勝てていい気もち」「持ち点1点アップ」程度のことですから戦いというにはには余りにもレベルが違いすぎる。
 まあ、それでも次元はともかく勝敗を争っているわけですから、対局ということの中には既に戦いという要素は織り込み済みということで、僭越ながら自分の対局も戦いではあると思うことにしている。
 それに定石の選択とか、手筋の応用とかは最善・最強と言うのしても、選択の目的は勝つためであるのですから。
 中盤戦で碁盤を眺めながら「こんな事で勝てるのだろうか?」と考えることもあるわけで、やはり勝ということを意識するのだから戦いではあるはずです。
  しかし、そこのところに少し矛盾があって、戦いは勝つためなんだけれど、それを強く意識し過ぎると却って本来の目的と違う結果になることが多いようです。

 一昨日ネットで対戦したOさん、向こう先でコミ1目半出し。
 本来は互い先だと思いますからコミ1目半は互い先のコミ6目半から比べたら5目も少ないハンデです。
 そこまで細かな意識で打つ腕前でもないのですが、それでも「厳しい」と感じてしまいます。
 結果はやはり私の1目半負け。
  要するに盤面で黒3目残し、コミを差し引いての結果が1目半。
 「Oさん相手に1目半なら私の善戦のはず」と慰めるしかないのですが、それでは「中押し負けはボロ負けで、1目半なら善戦みたいな変な評価みたいな」矛盾があります。
 都合よく自分を慰めているに過ぎませんで、結果ら言うと「勝負に行かなければいけないところで勝負に行ってなかった結果、最後まで打って僅差で負けた」可能性は高い。
  そのOさんと1日置いて再び対局することになりました。
 今回も向こう先コミ1目半・・・ということは彼は私に勝った後に二つ負け越している・・・「ずるい!」いや、ずるいわけではありませんが少なくとも彼は私には強いような。
 それにしても彼の対局前のあいさつのコメント「よろしくご指導・・・」は、へそ曲がりの私には挑発的なあいさつに見えてしまいます。
 それは彼のあいさつの定型なので他意はないとは思うのですが、「ご指導」と言われながらこちらがやられているのですから恰好が悪い。

 ともかく前回はOさんの両高目に対して私は一隅は星に打ち、4手目で黒の勢力圏に打っていきました。
 結局はそれがOさんの狙いだったのでしょう、序盤で打ちにくくしてしまい、中盤以降の必死の追い上げも追いつかなかった感じでした。
 前回は、対局前に「ゆっくりゆっくり」とおまじないを唱えたにも関わらず4手目にそれに反する手を打っていったのです。
 ですから唱えているお経と打った手が違う・・・心と手がバラバラだったようです。
 もしかするとそれが布石とか作戦を云々する前に最大の敗因だったのでしょうか?
  ともかくそういう反省を踏まえて対局開始です。

 今回先に彼が手を変えて来ました。
 前回対局の2日後と言うことで、目先を変えてきたのかもしれません。
 それとも、私が何らかの両高目対策を考えてリベンジに来たと考え、先に同じ手を避けたのか?
  実際は私の対策は「ゆっくりゆっくり、本当にゆっくり」だけでしたが・・・
 Oさんの1手目は星・・・私は「オヤっ」と思いながら向かいの星。
 Oさんの3手目は高目・・・「やはり高目」とは思いながら、これは両高目とはずいぶん印象が違うし特に勢力で圧倒されるような感じは少ないと感じた。
 実際のところはわかりませんがそう感じたということです。
  それで私は4手目は2連星。
 これは一番打つことが多いし、この後Oさんの作戦を見ながら打てるような気がしていました。
 「ゆっくり」+「臨機応変」
  前回の対局では私が先に無理をしたのですが、今回はOさんが仕掛けたような気がします。
 私の「ゆっくり」お経が聞こえたのか、「ゆっくりさせない」と思ったのかOさんが積極戦法。
  諺が確率的に正しかったか・・・「仕掛けたほうが負ける!」
 いやもう少し細かに言うと「隙がない所に仕掛けるのはリスクを背負う」でしょうね。
 「ゆっくり」と言いながらも相手が積極策でくる時に消極策は危険。
 むしろチャンスなわけで、結局そこで決着がついてしまった。
  
 2局を振り返ってみると、盤上に現れた形はアマの稚拙な石跡ですが、気持ちと気持ちがぶつかっていたとは思います。
 ザルとは言え石だけでなく気持で戦っている部分もあるのですね。