先日故郷の新民謡について確認のために検索したら、出てきたものの4,5件目にに自分で書いたものが出ていたのには驚きましたが、昨日見つけたコピーの束は丁度その頃のものです。
かなり量がありますが、私としてはそこそこ面白いので読み返しながら整理しています。順番が入れ替わっていたり、ジャンルの違うものが乱雑に並んでいたりします。
その中に面白い物を二つ見つけました。
一つは「秀策流の謎」とタイトルがついています。
そのHPかブログは今でもあるのかどうか分かりませんが、ともかく当時面白いと思って印刷しておいたに違いない。
文章の大意としては「秀策流が出来た頃の棋譜を見ると、何で白4で小目カカリしたり、黒にコスミと言う好形を許すのか」と言うような素朴な疑問。
確かに囲碁は二人で打つものですから、どちらかの一方的な意志だけで形が出来るはずが無い。
それが「黒番必勝定石」みたいなことを言われたとすると・・・例え一時期のこととは言えおかしいですね。
これを書いた人はそう思ったのでしょう・・・実は私も似た様な感じはしています。
これが将棋なら、勝敗の分かれ道と思われるところまでは誰かが指した手順で行くとして(定跡ということで)そこからは必ず手が変わるはず。
将棋でのパソコンを用いた研究もさることながら、この辺りの情報の伝わり方は早いでしょうから、昨日の工夫の結果が今日はもう古い情報になっているような状況でしょう。
囲碁の場合手数も長いし、盤面も広いから将棋ほどは似たような形にはならないかも知れませんが・・・
それに、プロ同士であればそう簡単に決定的なダメージは受けないのかも知れないし、皆そういう自信はあるだろう。
ここにも将棋と囲碁の差があるのかもしれない
将棋だと序盤の一寸した手順違いでも決定的な優劣になることが多いらしい。
それはプロレベルだけでなく、チョッと強い人でも・・・
ところが囲碁の場合は○○流が嵌め手でもなければそこまで決定的な差が出るほうが稀な気がする。
アマでは「序盤は石を適当に転がしておいて、勝負は中盤から・・・」などと嘯く人もいるけれど・・・そこまで序盤がいい加減ではないにしても、○○流勝率100%ということは無いでしょう。
基本的な戦い方としてはボクシングにおけるボクサータイプの戦い方みたいに、効率よくポイントを積み重ねると言うのが「正統派」的な打ち方だと思える。
例えば中国流が人気があったとしても勝率100%だから人気があるわけではないでしょう。
アマに「宇宙流」が人気があるとしても、真似をしたら勝率100%と言うわけにはいかない・・・本家だって100%ではないのですから。
「考え方がシンプル」とか「方針がはっきりしている」ので打ちやすいと言うことはあるかもしれませんね。
それでは江戸時代、秀策はお城碁19連勝とかがあるけれど、秀策流だから勝てたのか、秀策だから勝てたのか?
尤も当時秀策と良い勝負していた雄蔵はお城碁に出ていなかったのですから。
それとこの筆者が書いているように秀策が秀策流で打ってきた時に勝ちたいとい気持ちは碁打ちたちは持っていた?
持っていたような気がするなァ。
但し、当時はコミが無かったという事情も大きな要素らしい。
つまり秀策流は先番布石なわけで、ドンドン先行する流れ・・・白はコミが無いから相当無理をしないといけなかったらしい(プロレベルで)。
だから先行する黒に無理をする白ですから、黒が勝率が良いのだそうで・・・
私みたいなアマのザルには当てはまらないかもしれませんが・・・ともかく中国流に苦手意識を持っていたとしても、中国流をやらせない工夫で自分がおかしくなるより、中国流で来た相手を堂々と迎え撃って勝ちたいとは思いますからね。
最近先番の黒氏が中国流含みでも、以前のように意識しなくなっています。
「マアやるならやってもらうしかない・・・こちらも2連星で行こうか」くらいで・・・本当は「少なくとも気持ちは”ゆったり”」と手綱を握っているのです。
かなり量がありますが、私としてはそこそこ面白いので読み返しながら整理しています。順番が入れ替わっていたり、ジャンルの違うものが乱雑に並んでいたりします。
その中に面白い物を二つ見つけました。
一つは「秀策流の謎」とタイトルがついています。
そのHPかブログは今でもあるのかどうか分かりませんが、ともかく当時面白いと思って印刷しておいたに違いない。
文章の大意としては「秀策流が出来た頃の棋譜を見ると、何で白4で小目カカリしたり、黒にコスミと言う好形を許すのか」と言うような素朴な疑問。
確かに囲碁は二人で打つものですから、どちらかの一方的な意志だけで形が出来るはずが無い。
それが「黒番必勝定石」みたいなことを言われたとすると・・・例え一時期のこととは言えおかしいですね。
これを書いた人はそう思ったのでしょう・・・実は私も似た様な感じはしています。
これが将棋なら、勝敗の分かれ道と思われるところまでは誰かが指した手順で行くとして(定跡ということで)そこからは必ず手が変わるはず。
将棋でのパソコンを用いた研究もさることながら、この辺りの情報の伝わり方は早いでしょうから、昨日の工夫の結果が今日はもう古い情報になっているような状況でしょう。
囲碁の場合手数も長いし、盤面も広いから将棋ほどは似たような形にはならないかも知れませんが・・・
それに、プロ同士であればそう簡単に決定的なダメージは受けないのかも知れないし、皆そういう自信はあるだろう。
ここにも将棋と囲碁の差があるのかもしれない
将棋だと序盤の一寸した手順違いでも決定的な優劣になることが多いらしい。
それはプロレベルだけでなく、チョッと強い人でも・・・
ところが囲碁の場合は○○流が嵌め手でもなければそこまで決定的な差が出るほうが稀な気がする。
アマでは「序盤は石を適当に転がしておいて、勝負は中盤から・・・」などと嘯く人もいるけれど・・・そこまで序盤がいい加減ではないにしても、○○流勝率100%ということは無いでしょう。
基本的な戦い方としてはボクシングにおけるボクサータイプの戦い方みたいに、効率よくポイントを積み重ねると言うのが「正統派」的な打ち方だと思える。
例えば中国流が人気があったとしても勝率100%だから人気があるわけではないでしょう。
アマに「宇宙流」が人気があるとしても、真似をしたら勝率100%と言うわけにはいかない・・・本家だって100%ではないのですから。
「考え方がシンプル」とか「方針がはっきりしている」ので打ちやすいと言うことはあるかもしれませんね。
それでは江戸時代、秀策はお城碁19連勝とかがあるけれど、秀策流だから勝てたのか、秀策だから勝てたのか?
尤も当時秀策と良い勝負していた雄蔵はお城碁に出ていなかったのですから。
それとこの筆者が書いているように秀策が秀策流で打ってきた時に勝ちたいとい気持ちは碁打ちたちは持っていた?
持っていたような気がするなァ。
但し、当時はコミが無かったという事情も大きな要素らしい。
つまり秀策流は先番布石なわけで、ドンドン先行する流れ・・・白はコミが無いから相当無理をしないといけなかったらしい(プロレベルで)。
だから先行する黒に無理をする白ですから、黒が勝率が良いのだそうで・・・
私みたいなアマのザルには当てはまらないかもしれませんが・・・ともかく中国流に苦手意識を持っていたとしても、中国流をやらせない工夫で自分がおかしくなるより、中国流で来た相手を堂々と迎え撃って勝ちたいとは思いますからね。
最近先番の黒氏が中国流含みでも、以前のように意識しなくなっています。
「マアやるならやってもらうしかない・・・こちらも2連星で行こうか」くらいで・・・本当は「少なくとも気持ちは”ゆったり”」と手綱を握っているのです。