私には囲碁の師匠が3人はいます。
入門して師匠と弟子の関係になたというのではありませんが、私が一方的に師匠と思い定めた方々も含めてという意味です。
はじめの囲碁の師匠は元将棋の棋士のK先生。
将棋の方は4段で引退しているそうですから、プロになった後芽が出なかったのでしょう。
壁に紋付き袴姿で大山康晴さんと将棋盤を挟んでの記念写真が額に入っていました。
よく囲碁の修行で師匠は弟子と打つのは2局だけという話があります。(本当はもっと打つでしょうが)
一局目は入門の時、もう一局はプロを断念して故郷に返す時だそうです。
私の先生の場合は4段ですからプロにはなっていましたから・・・たぶん引退記念の写真ではないかと感じました。
もちろん当人には聞けませんでしたが,これは教室にくたびに目に入ったのですが結局誰にも聞かず終いになっています。
この先生に教わることができて、私の囲碁との関わり方が決まったというか、ザルはザルでも違うザルになったような気がします。
私の碁は新聞の囲碁欄で覚えた碁ですから、ゴルフに例えると(?)・・・素人が仲間に誘われてゴルフセットを買って、練習場で少し練習してグリーンに出ていく人が多いのに対して少数派というか正統派ははじめにレッスンプロに教わって基礎から身につけるらしいが私の場合はどっちでも無くて、門前の小僧が毎日ゴルフのビデをを見て何となくゴルフが分かっていると錯覚したに過ぎない。
大学生の時植物クラブで碁の打てる後輩を集めて囲碁で遊んでいたのです。
その程度の囲碁なんですが「自分は囲碁が打てる・知っている」と思っていたのですから・・・。
たまに大学の初段とか2段とか称する教授・助教授に打ってもらったり、同じ囲碁好きな学生(囲碁部に入っていない)と打つくらいでしたから大学を出ると同時に、囲碁を打つ場所も仲間もいなくなった。
ですから2,3年は打つこともなかったのですが、たまたま町で「囲碁将棋道場」の看板を見つけたのが大転機でした。
何回か迷った末にドアをノックしたのですから、まさに「運命の扉を自分で開いた」のです。
そこで出会ったのがK先生。
私はそのころたぶん5級か4級とだったでしょう。
[先生に教わった」と言いましたが、囲碁教室的な授業はありません。
先生がまづ最初に教えてくれたのは「作法」的なことで、これはそののちも厳しく言われました。
私が特に無作法な若者だったわけではなくて、それがこの先生の流儀の一種だったのでしょう・・・古い表現では『自分の生徒がよそで打った場合、恥ずかしくないような碁と態度』・・・想像ですが。
足付き碁盤で対局するので、まず正坐での挨拶、碁笥を置く位置、碁笥の蓋の位置、第1着を打った後「失礼します」と言って足を崩しても良いなど・・・
毎週1回の道場ですが、先生に打ってもらうのは2週に1局くらいです。
この時は並べなおして手所の指摘があります。
自分が打たない時は、他の生徒との指導碁の観戦です。
対局・並べ直しを盤の横で見るのです。
自由対局は無しで、たまに対局相手が指名されて生徒同士の対局・・・これは月に1局くらい。
こういう感じは「道場」というだけあって「碁会所」とはかなり違います。
時代劇で見るような、剣道場の隅で他の人の稽古を正座で見ているというような・・・
当時は碁会所を知らなかったので何とも思いませんでしたが、今考えるとその時期にこういう機会があって良かったと思います。
自分の囲碁成長期に経験したことは今でも続いているような気がします。
というのは私の碁は見て覚えた碁ですから碁も打つ時の態度も自己流だったに違いありませんので先生がある程度しつけ直してくれたのです。
はじめに新聞に載っている囲碁欄の棋譜を毎日見ることで囲碁を覚えました。
道場では「見る」ことを教わった。
そして今でも、リアルでもネットでも観戦が多い・・・
碁会所でもコミュニティなどでも観戦するのが好きなんですが、「見てばかりではつまらないでしょう」などと声をかけられたり気を使われたりするのが、必ずしもありがたくないのです。
結構「好きで見ている」のです・・・
ところでK先生に教わるとき4子が多かったですが、これは先生が全力では打っていないということでしょうから、本当の手合いは分りません。
4子で打たせてもらっていたのですが、きっと「打たせる方が上手かった」のです。
ある時「実戦が少ないので碁会所にも行って打っても良いかどうか」うかがって許可をもらった(許可が必要かどうかはわかりませんが、先生の許可をもらってから碁会所に行きたいという気分だったのです)。
初めて碁会所で打った後に先生に報告すると・・・
「どういう手合いで打ちました?」と訊かれ
「(段をいう自信がないので)2級ということで入りました」
「なんだ、2段くらい言えばいいのに」
このやり取りはかなりはっきり記憶に残っている。
先生としては自分に4子なのだから2段と言っても良いという意味だったのか、多少はったりでも2段と自称すれば、そのうち中身が付いてくるという意味だったのか・・・真意は今となっては分りませんが。
まあ私としては下手をして恥ずかしい思いをしたくないということと、もしもう少し上の力があるのなら、やっているうちにランクが上がれば良いと考えてはいました。
さて道場で囲碁の基礎が出来つつあったのでしょうが、突然道場が打ち切りになりました。
おかげ様で私は押しも押されもしないアマ高段者にはなり損ねましたが・・・
先生が持病を悪化させ急逝されたのです。
(教室の世話係の人から先生が亡くなられたとの電話・・・)
私に囲碁との関わりの方向をつけてくれたことへの感謝と、十分に教われなかった恨み節とを感じます。
もし先生が健在だったら・・・あれから30年以上経つけれど先で打てるようになっていただろうかなど考えたり、将棋も教わるようになっていたに違いないなどとも想像したり・・・。
(K先生道場の生徒で将棋の方は一人だったので寂しそうでしたから)
ともあれ、30才前に先生と呼べる方に教わる機会があってこの程度ですから、もしそういう人と出会わなかったら、全く違うザルになっていたに違いありません。
入門して師匠と弟子の関係になたというのではありませんが、私が一方的に師匠と思い定めた方々も含めてという意味です。
はじめの囲碁の師匠は元将棋の棋士のK先生。
将棋の方は4段で引退しているそうですから、プロになった後芽が出なかったのでしょう。
壁に紋付き袴姿で大山康晴さんと将棋盤を挟んでの記念写真が額に入っていました。
よく囲碁の修行で師匠は弟子と打つのは2局だけという話があります。(本当はもっと打つでしょうが)
一局目は入門の時、もう一局はプロを断念して故郷に返す時だそうです。
私の先生の場合は4段ですからプロにはなっていましたから・・・たぶん引退記念の写真ではないかと感じました。
もちろん当人には聞けませんでしたが,これは教室にくたびに目に入ったのですが結局誰にも聞かず終いになっています。
この先生に教わることができて、私の囲碁との関わり方が決まったというか、ザルはザルでも違うザルになったような気がします。
私の碁は新聞の囲碁欄で覚えた碁ですから、ゴルフに例えると(?)・・・素人が仲間に誘われてゴルフセットを買って、練習場で少し練習してグリーンに出ていく人が多いのに対して少数派というか正統派ははじめにレッスンプロに教わって基礎から身につけるらしいが私の場合はどっちでも無くて、門前の小僧が毎日ゴルフのビデをを見て何となくゴルフが分かっていると錯覚したに過ぎない。
大学生の時植物クラブで碁の打てる後輩を集めて囲碁で遊んでいたのです。
その程度の囲碁なんですが「自分は囲碁が打てる・知っている」と思っていたのですから・・・。
たまに大学の初段とか2段とか称する教授・助教授に打ってもらったり、同じ囲碁好きな学生(囲碁部に入っていない)と打つくらいでしたから大学を出ると同時に、囲碁を打つ場所も仲間もいなくなった。
ですから2,3年は打つこともなかったのですが、たまたま町で「囲碁将棋道場」の看板を見つけたのが大転機でした。
何回か迷った末にドアをノックしたのですから、まさに「運命の扉を自分で開いた」のです。
そこで出会ったのがK先生。
私はそのころたぶん5級か4級とだったでしょう。
[先生に教わった」と言いましたが、囲碁教室的な授業はありません。
先生がまづ最初に教えてくれたのは「作法」的なことで、これはそののちも厳しく言われました。
私が特に無作法な若者だったわけではなくて、それがこの先生の流儀の一種だったのでしょう・・・古い表現では『自分の生徒がよそで打った場合、恥ずかしくないような碁と態度』・・・想像ですが。
足付き碁盤で対局するので、まず正坐での挨拶、碁笥を置く位置、碁笥の蓋の位置、第1着を打った後「失礼します」と言って足を崩しても良いなど・・・
毎週1回の道場ですが、先生に打ってもらうのは2週に1局くらいです。
この時は並べなおして手所の指摘があります。
自分が打たない時は、他の生徒との指導碁の観戦です。
対局・並べ直しを盤の横で見るのです。
自由対局は無しで、たまに対局相手が指名されて生徒同士の対局・・・これは月に1局くらい。
こういう感じは「道場」というだけあって「碁会所」とはかなり違います。
時代劇で見るような、剣道場の隅で他の人の稽古を正座で見ているというような・・・
当時は碁会所を知らなかったので何とも思いませんでしたが、今考えるとその時期にこういう機会があって良かったと思います。
自分の囲碁成長期に経験したことは今でも続いているような気がします。
というのは私の碁は見て覚えた碁ですから碁も打つ時の態度も自己流だったに違いありませんので先生がある程度しつけ直してくれたのです。
はじめに新聞に載っている囲碁欄の棋譜を毎日見ることで囲碁を覚えました。
道場では「見る」ことを教わった。
そして今でも、リアルでもネットでも観戦が多い・・・
碁会所でもコミュニティなどでも観戦するのが好きなんですが、「見てばかりではつまらないでしょう」などと声をかけられたり気を使われたりするのが、必ずしもありがたくないのです。
結構「好きで見ている」のです・・・
ところでK先生に教わるとき4子が多かったですが、これは先生が全力では打っていないということでしょうから、本当の手合いは分りません。
4子で打たせてもらっていたのですが、きっと「打たせる方が上手かった」のです。
ある時「実戦が少ないので碁会所にも行って打っても良いかどうか」うかがって許可をもらった(許可が必要かどうかはわかりませんが、先生の許可をもらってから碁会所に行きたいという気分だったのです)。
初めて碁会所で打った後に先生に報告すると・・・
「どういう手合いで打ちました?」と訊かれ
「(段をいう自信がないので)2級ということで入りました」
「なんだ、2段くらい言えばいいのに」
このやり取りはかなりはっきり記憶に残っている。
先生としては自分に4子なのだから2段と言っても良いという意味だったのか、多少はったりでも2段と自称すれば、そのうち中身が付いてくるという意味だったのか・・・真意は今となっては分りませんが。
まあ私としては下手をして恥ずかしい思いをしたくないということと、もしもう少し上の力があるのなら、やっているうちにランクが上がれば良いと考えてはいました。
さて道場で囲碁の基礎が出来つつあったのでしょうが、突然道場が打ち切りになりました。
おかげ様で私は押しも押されもしないアマ高段者にはなり損ねましたが・・・
先生が持病を悪化させ急逝されたのです。
(教室の世話係の人から先生が亡くなられたとの電話・・・)
私に囲碁との関わりの方向をつけてくれたことへの感謝と、十分に教われなかった恨み節とを感じます。
もし先生が健在だったら・・・あれから30年以上経つけれど先で打てるようになっていただろうかなど考えたり、将棋も教わるようになっていたに違いないなどとも想像したり・・・。
(K先生道場の生徒で将棋の方は一人だったので寂しそうでしたから)
ともあれ、30才前に先生と呼べる方に教わる機会があってこの程度ですから、もしそういう人と出会わなかったら、全く違うザルになっていたに違いありません。