なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

順徳院!?

2008-10-17 18:16:21 | Weblog
 落語だったら百人一首では崇徳院が有名でしょう。
 箱入り娘が若旦那に一目ぼれして、若旦那が箱入り娘に恋患いをして崇徳院の歌「・・・われてもすえにあわんとぞおもう」をキーワードにお互いの親の代理人が相手を探し回るという噺。
 私の場合はそんな純真?でも無ければ、激しい一途な気持ちではない。
  寧ろ、只の駄洒落ですからもっと落語的ではあるけれど、逆に落語的発想が根っ子にあるとかえって落語にはならないみたいです。
 最も近い落語で言えば「道具屋」あたりでしょう。
  この噺の中に「ひょろびれ」というものが出てきます。
 道端で店を出す露天の道具屋にはろくなものが無いということで「ひょろびれ」もそういう売り物の一つ。
 古びた「ももしき」のことで、これを穿いて「ヒョロ」っとよろけると「ビリっと」破けるので略して「ひょろびれ」のももしき。
 それで「ももしき」という言葉自体が最近は死語に近くて・・・発想では子供時代の百人一首に結びつきます。
  百人一首は子ども時代に住んでいた町内では盛んで、、、百人一首では上の句とを聞いたら下の句を思い出さなければいけないわけで、母は私たち子供に百人一首の覚え方を教えた。
  ですからこれは私のDNAの源の半分を提供してくれた人のセンスでもあり、悲しいルーツでもあるでしょう。
 それは「語呂合わせで歴史の年代を覚える」ようなやり方で、歌の意味とか優雅さなどお構い無しで、ともかく上を聞いたら下が出るようなやり方。
 「あまつかぜ・・・」ときたら、昔の宝塚の天津乙女
 「末のまっちゃんナミコさじとは」
 「かこち顔なる坊主の涙」
  まったく乱暴な覚え方でして・・・その影響か私自身も
 「まつとし聞かば・・・」が「松と敷きカバー」になったし
 「百敷きや・・・」の歌が「股しきや、古びて破れて穴が開き、今朝の寒さに○○チジム」みたいに・・・
 やっと順徳院に辿りつきました。

 私はネット対局でも必ず手に扇子を持たないと落ち着かない。
 扇子の機能は「手に馴染む」こと「畳むときピチっと音がすること」そして本来の役目のように風を送ることで。
 今の扇子は趙治勳の揮毫(印刷ですが)で10年近く使っていますから、そうとう使いこんでいて破れが出ている。
 ということで手に馴染むのは良いのだけれど、「音」「風」に問題がある。
 ただ風だけなら団扇でも良いわけで、三拍子揃わなければ対局用の扇子には向いているとは言いにくい。
 数年前のJFE趙治勳杯囲碁大会の参加賞で頂いた趙先生の扇子はあるのだけれど・・・これは婦人持ちと言うか子供持ちという感じで、持った感じがイマイチだし、音もしない。
 音のしない扇子は対局にリズムが出ない気がします。
  さて破れた扇子を手にして「順徳院だなお前は・・・」
   まあ、持った感じは慣れがあるし、扇子の右端で小さく「パチ」っと音はしますからまだ使っていますが、そろそろ新しい扇子を買いに市ヶ谷に行かなければいけないでしょう・・・あるいは棋院の通販で・・・そんなのあったっけ?
 一番の良いのは、景品が「囲碁の扇子」という懸賞に当たること。
  そんなに都合よく行くような人生ではないから期待はできない。