なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

浴衣

2009-07-02 17:40:02 | Weblog
 1月1日は元旦、3月3日は雛人形、5月5日は端午の節句、7月7日は七夕、9月9日は重陽・・・11月11日?これは知りません。
 奇数のぞろ目の日は何かの日です。
  何の本だったか(陳瞬臣さんの本だったような気がしますが)、曖昧な記憶によると、陰陽で言うと奇数は陽で、このぞろ目の日は陽気が強い日・むしろ強すぎる日なので何かの祀りごとをして鎮める日なのだそうです。
 まあそう言う習慣とか、考え方があったのは古い暦の時代のはずで、現在の太陽暦とはずれているはずなんですが、ともかく何かを祝うと言う形が残ったのでしょう。

 今でも暦の隅に小さな文字で書いてあります・・・カレンダーとか暦は新暦ですがたいてい旧暦の表示がついておいる様な気がします。
 今でも大安とか仏滅とか書いてある暦はあるでしょう、昔ほどは利用することは少ないでしょうがそれでも気にする人は気にする・・・お祝い事仏事には生きてくるようですが。
 そう言えば昔は翌年の暦を売る時期に「○○館暦」みたいな本が本屋さんに山積みになっていたものです。
 普段の生活用にはどこかの商店で配ってくれるカレンダーを壁に貼り、それとは別に旧暦の暦を見ながら暮らしていた・・・私の子供時代のおばあちゃんたちはそうだったような気がします。

 間もなく7月7日で七夕の行事がありますが、子供時代は市の繁華街の通りで行われるものと家庭で飾り付けを作るものとありました。
 商業活動のものとは別に、家庭で必ず作っていたのですから不思議です。
  どこかの竹藪のから切って来たような竹に、願い事を書いた短冊をつるす。
 多少は飾り物をつけましたが殆ど短冊ばかりみたいな感じでした。
  こういうものを庭に飾っていたのですから、考えようによっては”ゆたか”だったような気がします。
 社宅ながら庭付きの家に住んで、こういう飾りを家族で作って飾り、浴衣に着替えて商店街の七夕を見物に行ったものです。
 生活水準はともかく、気持ちのゆとりみたいなものが今とは違うようです。

 浴衣と言えば、これは母の手縫いでほぼ毎年新調されたはずです・・・当時はパジャマと言うものが無かったので、夏に外出用に浴衣を作ってもらい、古くなれば寝巻になったと思います・・・更に古くなれば赤ちゃんのおしめだったような・・・
  そう言うことですから生活には下駄と浴衣は生きていたはず。
 私が最後に浴衣を着たのは(旅行で旅館に泊まった時を除いて)高校2年の夏だったと思う。
 細かな模様が入った浴衣で、体格も良かったのでこれを着ていると高校生には見えない・・・と言うことを良いことに夜も浴衣で繁華街を出歩いていたものです。
 それはともかく40年以上は家で浴衣を着ていないし、当然持ってもいない。
  少し寂しいような気もしますが、浴衣を着てもねそべっているだけでスネ、キット・・・
  そう言えばこの時期に母が子供たちの浴衣を縫っていた記憶があります。
 5人の子供のうち下の方の、次女、三女、に末っ子の私の三人の浴衣・・・母が「浴衣は1日に何枚も縫えるよ」と言っていた記憶がある。
  
 今、浴衣を着てどこかに出かける?・・・夏祭りでもあれば・・・
  それにしても下駄でアスファルトの道は案だかイメージに合わないような気がします。
 それに浴衣の寝巻にベッドも。
  でも私が介護をしてもらう場合にはTシャツより寝巻の方が介護とか治療を受け易いかも知れないのですね。