なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

オヤジに訊くなョ!イツマデモ・・・

2009-07-24 17:53:56 | Weblog
 久し振りに・・・本当に久し振りに息子から勉強のことで質問されましたイマダニ)。
  
 娘と息子が子供時代には、家の中で「何でも相談」ボランティアみたいに訊かれたことに答えていました。
 尤も息子などは理解のスピードが遅いので、数学で幾何学的なの証明とか公式を使った計算など、早口で説明すると「早すぎる!!」とクレームがついたものです。
 それでいて、丁寧に教えると「わかっていることに時間をかけすぎる」と文句が出るのです。
 挙句成績が悪ければオヤジの教え方が悪いくらいに思われるのですから全く割に合わない話。
 勉強でも技能でも自分の子供に教えるということは、親としても子供としても感情コントロールが難しいようです。

 そういうことが分かっているらしく、女房殿は初めから面倒な事と面倒な問題が発生する可能性を回避して要領よく安全圏に逃げています。
 「私は家事で忙しい」「疲れているから今は駄目」・・・から「それはお父さんに訊きなさい」
 それは決して亭主を立てているのではなくて、「精神的な面倒と労力の回避」なのです。
  職業が教員なのですから義務教育程度なら教科書的問題に答えられないとは思えませんが、自分の子供に教えることの難しさを知っているのでしょう・・・

 そういうことで娘などの勉強には中学時代・高校入試・高校2年辺りまで付き合わされた・・・数学と英語は自分でも感心するくらい現役時代に叩き込まれた遺産があるらしく苦にはなりませんでしたが、さすがに生物・物理・化学・歴史などでは曖昧なこともあるので自分用に参考書を買ってひそかに予習などした記憶がある。
 息子の場合はそこまで熱心にはなれなかった・・・
  数学などの説明が理解できないと「オヤジの説明スピードが速すぎる」「わけわからない説明の仕方」などなど、出来ないのがオヤジの責任みたいなクレーム・出来の悪い息子がオヤジの出来の悪さにクレームをつけるのですから、教える方もやっていられないわけです。
  まさにわが子にものを教える難しさを経験して、「出来ないのは自分の責任だろ」という事を自覚するようにさせたい半面、「お前は出来ない」と断定的には言えないところが親のつらさです。

 それなのに勉強が好きではないはずの息子がいまだに学生をやっているのだから困ったものというか世の中面白い、、、自分のことを振り返ると彼もあと1年はしかたないのかと思うことにしている。
 「外国人に日本語を教える資格」を取りたいのだそうで、彼の現在の課題は「日本語」・「国語」なわけで、これは私にとっては最大の苦手科目。
 現代国語でも古文でも漢文でも文法と名のつくものはアレルギーを感じるくらいに苦手意識・コンプレックスを持っている。
 
 それなのに私の部屋に息子がやってきて「”ふくし”の事で教えてくれ』・・・
  一瞬私は「福祉活動」とか「医療問題」あるいは「奉仕活動」に関する質問だと思ったのですが・・・そんなことがあるわけがなくて「副詞」でした。
  学問的なことはともかく60年以上日本語を使って暮らしてきたのですから、敵前逃亡みたいに門前払いも出来ないので困りますが、そんなオヤジの気持ち理解していないらしい・・・嘗ての『わからない事はオヤジに訊こう』みたいに。
 「きちんと」「しっかり」「ちゃんと」について・・・「微妙な違いを説明せよ」・・・正しいかどうかは自分でも疑問ですがどうにか答えて、まるでオヤジがテストされているみたいでかなりの疲労感がありました・・・最もた正しいのは「オヤジに訊かない」こと!ダゾ。