先日職場の若い同僚たちとの話の中でザリガニ釣りの話が出ました。
彼らの仕事は公園関係なので、池に棲むザリガニを子供達が捕まえに来るので、そう言うことが話題になったのでしょう。
話は、ザリガニを釣るのにスルメで釣ると言う話題になっていました。
私の感想としては、「流石に最近は遊び方も贅沢。昔の貧乏時代ではそんなぜいたくはできないから、カエルで釣ったものだ」と言う感じ・・・それを口にすると、その意味が解らない人が数人いた。
まあ何人か分かる人がいたと言うことは、彼らは田舎出身なのかも知れない・・・
要するにザリガニ釣りをするためには、まずカエルを捕まえて皮を剥ぐ。
この残酷な行為が出来なければ、この釣りは出来ないので、まず女の子はやれない・・・実は私も出来ないのですが。
それで足を凧糸のようなもので縛ってザリガニを釣るのです。
ザリガニは一度ハサミで捕まえた餌を離そうとしないので、そのまま釣りあげられる。
途中で離せば逃げられるのに、何とも奇妙なと言うか、欲張りが身の破滅を招くような教訓の釣りです。
私はカエルの皮剥ぎが出来なかったし、さりとてスルメを餌にするような贅沢には抵抗があったのでザリガニ釣りはやらないで、専ら網で掬う専門でした。
こういう釣りと似ているものに、蟹釣りがありました。
一般的な遊びでもないから、もしかしたら我が家だけの超ローカルな遊びかもしれません。
しかもすぐ上の姉と私の二人しかやらないのですから。
釣る蟹は川に棲むせいぜい4,5センチの小さな蟹ですし、棲んでいる場所からも、蟹の大きさからも見てくれも食用には向きそうもないので、これは最後には逃がしてやります。
要するに釣ることだけを楽しむ遊び。
この釣りの餌はジャガイモで1センチ角くらいのものを使います。
まず3センチから5センチくらいの釘の頭を糸で縛って1メートルくらいの長さでその先を竹の棒などに縛りまして、これで仕掛けは出来上がり。
釣る場所は・・・我が家の兄の部屋の窓から、窓の下の川の護岸の石垣の隙間に棲む蟹が狙い。
満潮になれば潮が上がって来る場所で、水の中でも水が無くても暮らせるらしい蟹がターゲットです。
姉と二人で家の窓から釣ったもので、つりあげた蟹はブリキのバケツに入れますから、ごそごそと音を立てたものです。
この釣りもザリガニと同じように、餌を挟んだハサミが最後まで餌を離さないから釣られてしまうと言う習性で可能な釣りです。
もし、食べられるところだけ、僅かでも千切って逃げるような習性があれば蟹にしてみれば餌のタダ取りなんですが、目の前の餌は丸取りしなくては気が済まないのかそう言う習性で捕まってしまうのです。
尤も、この蟹は美味しいのか不味いのか試そうとも思われないのが幸いして、最後には全員釈放となるのですが、それでも何度でも釣られるようなところがあるので学習能力が問題なのかも知れません・・・マアそれだから幼い子供の遊び相手になってくれたのでしょう。
ところで、考えてみるとザリガニにしてもその蟹にしてもどことなくザル碁の習性に似ているところがあります。
餌に関して敏感に反応してしまう・・・
食いついたら我が身が危ないのに離さない・・・いや離せないところがあります。
表現としては芝居の仙台のお家騒動みたいに、餌は「毒まんじゅう」、これに食いつくのは「ダボハゼ」。
何にでも餌および餌モドキに食いつく、それも一口で丸飲みスタイル。
これはザリガニにしても蟹にしても途中で「離す」という選択肢、あるいは自己防衛・救済措置があったのに対し、ダボハゼは一気に餌を飲み込んだところでゲームセットみたいなところがあります。
と言うことはザリガニ・蟹よりレベルが低い!?
目の前の食事が偽餌なのか安全で栄養価の高いものなのかを見極める力が問題です。
それに何度も同じパターンで痛い目に遭っているのに、全く学習能力にも問題ありですから我ながら情けない。
もしかしたらこれは子供の時に苛めていた蟹の祟りかもしれない。
彼らの仕事は公園関係なので、池に棲むザリガニを子供達が捕まえに来るので、そう言うことが話題になったのでしょう。
話は、ザリガニを釣るのにスルメで釣ると言う話題になっていました。
私の感想としては、「流石に最近は遊び方も贅沢。昔の貧乏時代ではそんなぜいたくはできないから、カエルで釣ったものだ」と言う感じ・・・それを口にすると、その意味が解らない人が数人いた。
まあ何人か分かる人がいたと言うことは、彼らは田舎出身なのかも知れない・・・
要するにザリガニ釣りをするためには、まずカエルを捕まえて皮を剥ぐ。
この残酷な行為が出来なければ、この釣りは出来ないので、まず女の子はやれない・・・実は私も出来ないのですが。
それで足を凧糸のようなもので縛ってザリガニを釣るのです。
ザリガニは一度ハサミで捕まえた餌を離そうとしないので、そのまま釣りあげられる。
途中で離せば逃げられるのに、何とも奇妙なと言うか、欲張りが身の破滅を招くような教訓の釣りです。
私はカエルの皮剥ぎが出来なかったし、さりとてスルメを餌にするような贅沢には抵抗があったのでザリガニ釣りはやらないで、専ら網で掬う専門でした。
こういう釣りと似ているものに、蟹釣りがありました。
一般的な遊びでもないから、もしかしたら我が家だけの超ローカルな遊びかもしれません。
しかもすぐ上の姉と私の二人しかやらないのですから。
釣る蟹は川に棲むせいぜい4,5センチの小さな蟹ですし、棲んでいる場所からも、蟹の大きさからも見てくれも食用には向きそうもないので、これは最後には逃がしてやります。
要するに釣ることだけを楽しむ遊び。
この釣りの餌はジャガイモで1センチ角くらいのものを使います。
まず3センチから5センチくらいの釘の頭を糸で縛って1メートルくらいの長さでその先を竹の棒などに縛りまして、これで仕掛けは出来上がり。
釣る場所は・・・我が家の兄の部屋の窓から、窓の下の川の護岸の石垣の隙間に棲む蟹が狙い。
満潮になれば潮が上がって来る場所で、水の中でも水が無くても暮らせるらしい蟹がターゲットです。
姉と二人で家の窓から釣ったもので、つりあげた蟹はブリキのバケツに入れますから、ごそごそと音を立てたものです。
この釣りもザリガニと同じように、餌を挟んだハサミが最後まで餌を離さないから釣られてしまうと言う習性で可能な釣りです。
もし、食べられるところだけ、僅かでも千切って逃げるような習性があれば蟹にしてみれば餌のタダ取りなんですが、目の前の餌は丸取りしなくては気が済まないのかそう言う習性で捕まってしまうのです。
尤も、この蟹は美味しいのか不味いのか試そうとも思われないのが幸いして、最後には全員釈放となるのですが、それでも何度でも釣られるようなところがあるので学習能力が問題なのかも知れません・・・マアそれだから幼い子供の遊び相手になってくれたのでしょう。
ところで、考えてみるとザリガニにしてもその蟹にしてもどことなくザル碁の習性に似ているところがあります。
餌に関して敏感に反応してしまう・・・
食いついたら我が身が危ないのに離さない・・・いや離せないところがあります。
表現としては芝居の仙台のお家騒動みたいに、餌は「毒まんじゅう」、これに食いつくのは「ダボハゼ」。
何にでも餌および餌モドキに食いつく、それも一口で丸飲みスタイル。
これはザリガニにしても蟹にしても途中で「離す」という選択肢、あるいは自己防衛・救済措置があったのに対し、ダボハゼは一気に餌を飲み込んだところでゲームセットみたいなところがあります。
と言うことはザリガニ・蟹よりレベルが低い!?
目の前の食事が偽餌なのか安全で栄養価の高いものなのかを見極める力が問題です。
それに何度も同じパターンで痛い目に遭っているのに、全く学習能力にも問題ありですから我ながら情けない。
もしかしたらこれは子供の時に苛めていた蟹の祟りかもしれない。