なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

我が家の怪奇伝説?

2009-07-27 17:44:30 | Weblog
 この間の週末のことです、家のすぐ近くに保育園があるのですが、そこから例の”アラレちゃん音頭”が流れてきました。
 これはこの時期恒例の保育園の「夕涼み会」,,,毎年この歌がエンドレスで流れるのです。
  昔はもっと大音量のスピーカーから繰り返し音楽が流れてきて、「アラレちゃん音頭シンドローム!?」になりそうなくらいでしたが、流石に最近のご時世というか、音量が小さくなってきたようです。
 マア、うちは子供たちがお世話になったので、自分の子供たちがいなくなった途端のクレームをつけるようなことも出来ないので、こういう場合はひたすら耳を塞いで耐えるしかなかったのです。

 息子にとっては、この曲は夕涼み会の時に行われる「お化け屋敷」の思い出とつながっている。
 パネルで迷路を作って、その上からシートを被せただけの簡単なものですが、まさに子供だまし的な効果はあったようで、これがあると息子は一人でお風呂に入れなくなったり、トイレのドアを閉められなくなったものです。
 子供ですからそんなものかも知れませんが、幾ら幼くてもやや情けないムードはある。
 
 私も子供時代には、この夏の時期はずいぶん鍛えられたものです。
  本家の従兄弟は一人息子なので、家にいてもつまらないらしく夏休みなどは年中我が家に遊びに来て泊っていたものです。
 この従兄弟がうちの姉(次女、三女)と一緒になって私を鍛えたものです。
  (若しかしたら、その楽しみがあるから遊びに来ていたのかも・・・)
  従兄弟は講談調の語りものが得意で、夏ですと円朝の得意な「牡丹灯籠」を訊かせるのです、更にはどこで仕入れたのか怪奇話が得意でした。
 私は内心怖くて仕方が無かったのですが、意地・見栄を張って平気な顔を装っていたものです・・・それでその代償が夜のお使い係ですから割に合いません。
  末っ子はこういう時に便利係だし、怖いから嫌だとも言えない性格だし・・・

 今でもあるかどうか確かめていませんが、一時ネットに「心霊スポット」というような記事がありました。
 そういう表現に当てはまりそうなものが、家の近所にもあって夜のお使いコースには4つも・・・
 「無人踏切の脇にある慰霊碑」、そのすぐそばの「おばあさんが溺死した池」、「女子工員が殺されて遺体が隠されていた農道わきの小屋」「首吊りのあった神社の中の大木」・・・これらが私が夜に父の本家の神社にお使いに行く時の最短コースにある要注意スポットです。
 幸いにも怪奇現象にはあったことがありませんが・・・マア今と違って夜の道はせいぜい電信柱にぶら下がっているブリキの傘つきの電球程度しかない時代ですし、農道にはそれすらないのですから・・・ともかく鍛えられたものです。

 実際に説明不能なものを目撃したことはありませんが、後で聞いて嫌な気持ちになったことはあります。
 若いころ妻の実家に遊びに行って、その頃趣味にしていた渓流釣りに行きました。
 狙いはヤマメなのでうす暗い時間には釣り場となる渓流に降りて、朝6時程度には日が昇ってしまうので納竿となるような薄暗がり専門の釣りです。
 従って、真夏とはいえ夜中の2時ごろには人気のない山道を車で走ってしかるべき釣り場に入る・・・釣りの性格上近くに人家はないし、人通りも全くありません。
 道路わきの多少道が広がったところに車を止めて、道脇の小さな小屋の横を通って渓流に降りて行く・・・この時間は、懐中電灯の明かりが頼りの時間帯ですが、魚を驚かさないように足音も立てないように、灯りも振り回さないように足元だけを照らすような感じで歩くのです。
 さて、釣り場に行くときも、渓流での釣りでも何も起きませんでしたが・・・実は道脇の小屋は「殺人事件の遺体を隠してあった場所」だと聞いて・・・なんとなく嫌な気持ちになった。
 マアその時に何かを見たり聞いたりした訳ではありませんから、実害的なものは何もないのですが、やはり気持ちが良いものではないようです。
 尤もその後数回そこには同じような時刻に行ったのですから、私もずーずーしいのかも知れません(いつも単独行です)。

 ところで、私の姉の中学校当時の担任の女性教師は、その方のお母さんとの二人暮らしでしたが、住居はお寺の墓地のすぐ横の一軒家でした。
 見方によってはお墓の中に家があるようにも見えるところで、例えれば「耳なし芳一が墓場の真ん中で琵琶を弾いているような感じかも・・・人に「先生、そういう寂しいところに住んで怖くありませんか?」と聞かれると先生は「生きている人間の方が怖くありませんか?」と答えるのが常でした。
 私も当時子供でしたが「ナルホド」と思ったもので、こういう経験が夜のお使いに耐えられる力になったのかもしれません。
 その「生きている人間の方が怖い」は今でも真理だと思っています。

 ところで「我が家に伝わる怪奇話」、実は代々伝わる話、私の母が見た夢の話、私が創作した?話などありますが、別の機会に・・・。