なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

丁寧過ぎ?(過ぎたるは・・・)

2009-07-13 17:28:20 | Weblog
 ネット碁では点数制度でハンデが決まって打つのですが、実名制度で聞きなれた名前の方であっても実際にお会いしたことがある人は一人もいません。
 従って人格的にも尊敬できる人が多いでしょうが、実際にはそこまでの感情は無いし、ましてや囲碁に関しては自分と先くらいのハンデの人と打つことがほとんどなので、囲碁としても「ザル仲間」みたいな親近感はあってもお互い尊敬の念を持ったり持たれたりと言う事は無いと思うのです。
 一方で言葉の問題でしょうが、たとえば碁会所などで顔を合わせた人に「一局打ちましょう」とほぼ同意語で「一局教えてください」はある。
 これは言葉通りに外国語に訳す場合は、両人の棋力の関係とか普段の人間関係とかベースを分かってないとどういう意味で使ったかが難しそうに感じます。
 マア、でもリアルで実際に顔を合わせて交わす言葉であるなら、その辺りのニュアンスはお互いに分かることではある。

 ところがネット囲碁の場合は少し困ることがあります。
  最初に対局前に挨拶を送信し合うのですが、これはいくつかある定型句から選べます。
 私の場合は「よろしくお願いします」一本で、挨拶の場合はこの言葉にセットしてある。
 同様に終局時は勝っても負けても「ありがとうございました」です。
  バカの一つ覚えではありませんが、礼儀としての挨拶ですからこれで良いと思っているのですが、実は定型句にもいろいろあって、中には「ご指導よろしくお願いします」とか終局時に「ご指導ありがとうございました」とか更にその後に「たいへん勉強になりました」と言うのがあるから、もしもこういう言葉を受け取るとなんだか気恥しい気分になってしまいます。

 いくら言葉のアヤで「ご指導お願いします」=「頑張って打ちましょう」、「ご指導ありがとうございました」=「どうもありがとう」程度、『たいへん勉強になりました」=「お疲れさま」くらいの意味なのは分かっていても、どうもまともにこういう挨拶文を送られるとどうも居心地の悪さを感じてしまうのです。
 長い一局の中には当然酷い手を打ってしまって悔やむようなことはもあるわけで、そういうことを感じている時に「勉強になりました」が来ると鋭い錐で刺されたような気分で、ついつい落ち込み気味になります。
 ましてや相手がしっかりした碁を打って、こちらが酷い手ばかり打って中押しで「ごめんなさい」した時に「ご指導ありがとうございました、大変勉強になりました」が来ると落ち込みはさらに激しくなります。
 
 私が「よろしくお願いします」と「どうもありがとうございました」しかセットしていないように、その人は「ご指導」と「勉強になりました」しかないのかも知れませんが・・・時と場合によっては丁寧な言葉は嫌みに響きます。
 むしろ、意識的にそういう表現にしているような気さえしますが・・・
  いや、嫌みだと感じる自分も情けない感じがします。