なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

ハンデにういて

2009-07-03 17:42:02 | Weblog
 昔、若いころに勤めていた会社では割合にゴルフが盛んだったように思います。
  経営者をはじめ重役連も、若い連中もやっていたような・・・まだバブルの真っ最中だったのでしょうね。
 それでも、月1回でも毎月コースに出るのは若い社員では楽では無いはずなんですが,これも浮世の付き合いと言うか趣味と上役との親睦と言うか・・・私の場合は囲碁をメインの趣味と定めていましたし、ゴルフが面白そうでもそれにつぎ込むお金も時間も無いので、いっそ半端に付き合うよりは距離を置くようにしていました。
 要するに仕事はソコソコやりますが、酒もゴルフもやらないで、正論と思えば誰とでも議論をする・・・マア煙たいタイプだし典型的なB。
 それでも、周りが好きな人ばかりなので自然にいろんな話が耳に入って来ます・・・その中でハンデの話。
 社内コンペなどでは社内用のハンデを設定していたようです。
  本来、カントリークラブなどの会員なら、原則としてハンデを差し引けばイーブンパーになるはずの数字がハンデになるはずなんですが・・・社内コンペのようなものでは相当に甘いハンデがついていたようです。
 これはある意味では囲碁のハンデにも似たような感じがします。
  例えばアマでも公式のシングルハンデの様な人は、調子の波が比較的少なくて、崩れてもその幅が小さいし、自分で持ち直すことが出来るでしょう。
 でも、初心・初級のアマなら崩れれば、止まるところを知らないわけで、こうなると数値化されたハンデは空しいものになってしまいます。
  ハンデにはその人なりの最善の結果に近いもので設定されているようなところがあるらしい。
 従って本来ハンデがあれば全員同じ結果のはずが、やはりハンデの小さい人の方が強いようなところがあります。

 マア囲碁でもそう言う面はあると思います。
  仮に5子置かせるような手合いで打つとして、ハンデがあるのだから本来結果は五分五分のはずですが、果たして20局くらい打って10勝10敗になるかどうか難しいと思います。
 50%の勝率が本来のあるべき姿ですが、私の感じ方が間違っているかもしれないけれど、どうも下手苦戦のように思っています。
  極端に考えれば五子で五分で打てるのなら4子でも打てるような・・・
 点数によるハンデ設定では割合50%に近く、三盤手直り満たな場合は比較的偏りそうな気もします。

 ところで昔読んだ「囲碁の外国事情」みたいな記事・・・ヨーロッパ方面だったと記憶していますが。
 レポートによると、「強い人も弱い人も置き石無しで打っている」と言うのがありました。
 勿論全部が全部ではないでしょうが・・・置き石と言う概念が無いのかも知れません。
 あるいは下手が「石を置く」ことを潔しとしないのかも
  さて、その意味は
 仮に日本でこのようにしたら、一局二局は良いとして、下手からは「負けてばかりでつまらない」「白ばかりが良い思いをしている」と言うようなブーイングが上がりそうです。
 確かに負けてばかりでは勝敗のあるゲームは面白くないかも知れません。
  でも石数の多い碁はトレーニングだし、勝敗にこだわり過ぎるのも変ですから、これは基本的には下手の黒さんの心得違いのような気がします。
  ともあれ(日本人的国民性?)、勝率50%に近づけるために置き石なるものが工夫されたのでしょう。
 ではヨーロッパで、ハンデ無しで打っていると言うことは・・・
  下手がハンデ無しで上手に負けるのは当然のこととして受け入れているのでしょうか?、その上で囲碁そのものをゲームとして楽しんでいる?
 あるいは、いつの日か勝てることを目指して平手でぶつかり稽古なのか。

 そう言えば相撲では横綱も平幕も、体重がどんなに違ってもハンデは無いのですから・・・そちらに近いのか?

 ところで昔置き石をコミに換算してどちらでも選択が出来るルールもあることを聞いたことがあります。
 仮に3子の手合いなら3子で打つかコミ30目貰いにするかは下手の選択権
  これは私が最も苦手、いや想像だけで手が出ませんが、30目の逆コミなんて、想像しただけで身の毛がよだちます