なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

辛抱する力

2009-07-05 17:14:04 | Weblog
 先日TVを見ていて知ったのですが、女子長距離界の草分けの佐々木七恵さんが亡くなっていたことを知りました。
 スポーツでも何かの分野でも突然優れた人が飛び出す・所謂トップランナー、そう言う人がいてそれに続く人たちが生まれ、層の厚い分野が形成される。
 彼女はまさに女子マラソンのトップランナーで、その後に増田、有森、高橋、野口などなどと続く流れが出来た。
 さて佐々木さんの走りを当時のマスコミは「おしん走法」と名付けた。
  辛抱する所は辛抱し、勝負ところで力を発揮すると言う意味で彼女の出身地と当時の連続ドラマ「おしん」を引っかけた命名です。
 そう言えば相撲でも「おしん横綱」と呼ばれた横綱がいました。
  共通点は「辛抱」と「出身地」でしょう。
 横綱の場合はやや低迷している時期にいろんな批判に耐えながらじっと辛抱して、チャンスを待って力を発揮したと言うことでしょう。
  
 スポーツ・勝負事・ゲームで、この辛抱すると言うことが大事なんですね。
  開始直後から自分が有利で相手との1対1の力に差があるのなら辛抱と言うことは必要ないかも知れませんが、実力が拮抗している相手、あるいは相手の方がやや力がありそうな時は「辛抱」と言うのも一つの武器になるかも知れません。
 問題は「辛抱する力」があるかどうか。
  相手の振り下ろす太刀を受けているばかりでは、やがて受けている方が疲れてしまうと言う恐怖感、あるいは実際にジリジリト不利な方向に追い詰められていくような感じ。
 これは現実にそうなるか、あるいは心理的にも押されている状況ですが、そこで状況打開策として一か八かの勝負に行くのが良いかどうかの判断が難しい。
 皮を切らせて肉を切るとか、肉を切らせて骨を断つとかの諺もあることですし
  こういう時に
 「今は受けるべき時」「受けていて不利なことはない」「きちんと受けることで、必ず来るチャンスを待つ」、単なる事なかれ主義とか自信不足では無くてそう言う気持ちになれるのには(単にそう言う感じ方になれるトレーニングでは無くて)状況を把握する力があって初めて出来ることですから、そう言う意味では「おしん」は単に忍耐力とか性格では無く自分に自信が無くては出来ないことだと思います。

 逆の場合・・・多少の攻めっ気を発揮して積極的に打つものの、相手はきちんと受ける・・・こんな場合攻め疲れ状態・攻めている方により多くの隙が出来ることが多い。
 辛抱しながらこのチャンスを待たれると非常に困る・・・私の負けるパターンの一つです。
 スポーツなどでの「攻め疲れ」「攻めが途切れた時の一瞬の空白」「攻めに専念する余り補給路の伸びきった瞬間」・・・攻める方にもリスクがあるはず。
 はじめに戻って、単に辛抱するだけなら「サンドバック」、「受けていて不利にならない」なら「おしん」と言うことでしょう。
 ポイントは「受けている状況で現在も将来も不利が無い」と考えられること、それに「必ずチャンスが来ると信じられる」こと・・・やはり内に秘めた自信が無いと難しそうです。