なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

あっと言う間の1日

2008-10-16 18:04:53 | Weblog
 休み明けは仕事が溜まっているので忙しい。
 外部機関から申請とか報告とかが来るので、それを”どの程度の範囲で回覧するか”あるいは関係者の決済を必要とするかなどを考えて書類を流したり、しかるべきファイルの保存する。
 そういう仕事が休み明けは溜まっている。
 そして、最近は大阪の火事などの事件もあり、立ち入り調査もあって出かけることが多くなっているので、回した書類の回覧・決済スピードが遅い
 ということは一旦流れ始めると洪水のように流れて、私のところが終点ですから最後に山になるのは私のデスク。
 事務用とパソコン用のデスクを二つ並べて仕事をしていますが、まるで私の処理能力が低いみたいに・・・机に紙バサミなどの山が出来るのが情けない。
 最後は、ファイルするだけのものもあれば、パソコンに入力しなければいけないものもあるので、日々入ってくる仕事と、溜まっている仕事の競争になっています。
 そういう中でも窓口業務はあるし、連絡業務はある・・・
  愚痴、愚痴、愚痴
 まあ、でも職場は勿論家でも愚痴を言ったことは無い。
  それでも内にこもらずに、精神的なバランスを(本人としては)保っているのは、ブログで発散しているのと、囲碁を打っているときは”別の世界”で遊んでいるからでしょうね。
 ブログは家族は読んだことは無いでしょう。
 息子は、オヤジが何やらブログをやっているということは知っていますが、どういうブログなのか興味が無いらしいし、囲碁の方は残念ながら興味が無いらしい。
 私の今までのブログ履歴は「愛染町の四季」「愛染町時代」「何となく囲碁夜話」です。
 私の子ども時代をすごした愛染町の話で、良いことも悪いこともオヤジの原点的な話を読んでくれると良いのだけれど・・・
 そして囲碁の趣味の話で、囲碁を知らない人にとっての別の世界を知ってくれるとよいのだけだけれど・・・

 マア期待は薄いのですが、かといっていくら息子相手でも「これがオヤジの姿だ」みたいに「見ろ見ろ」と騒ぐのも恥ずかしい。
 ネットで何となく検索していたら「不思議なブログがあって、読んでみたらオヤジのだった」などと都合よく行きそうもない。
 マア良くて無視されるか、悪ければ「酷い文だ」と批難されるか・・・

 ともあれ今日は忙しい1日でした。
 朝から集中して仕事をしていて気がついたら12時5分前。
 午後もあっという間に4時を回っていました
  実は今朝は3時ごろまで本を読んでいて睡眠は3時間半ですから、もしも暇な日であれば知らず知らず目を瞑ってしまっていたかも知れません。
 でも、眠いとか疲れたとか考える間も無かった。
  昼食後20分の仮眠が良かったかもしれません。
 いや、机に伏せての仮眠ですが、実態は熟睡だったでしょうね。
 でも1時10分前にはきちんと目が醒めるのだから・・・年をかんっじます。

年をとった実感

2008-10-15 23:04:20 | Weblog
 昨日は外部の機関を訪問調査する日で・・・と言っても相手の都合がつかないところもあって1件だけでしたが、ともかく歩いて最寄り駅まで行って、JRを利用して、行った先で少しだけれど歩く。
 距離としては本当にたいしたことは無いのだけれど、普段歩く習慣が無いので行く前からヤヤ気が重かったのは事実。
 加えていく前から天気予報が悪くて・・・それが予報がまさに予報と言うことで当たりまして途中からは雨。
 いつもなら車があって、運転をしてくれる人がいるのに、こういう天気の日に限って車の手配がつかないのですから、まさに「日頃の心がけが悪い」のです。
 尤も同行者が主たる原因者なのか、それとも私なのかあるいは両方なのかは分かりませんが・・・
 ともかく、帰り道駅から事務所まで僅か15分の道程が遠かった。
 途中で橋を一つ渡りますが、橋=坂ですし、見方を変えれば橋は小さな峠です。
 そして国道にかかっている大きな歩道橋は小さな山脈。
 情けないけれどそんな気分で重い足を引きずって帰りました。
  同行の人もそれほど歩くのが早いとも思えないのに、その後ろを離されないように必死でついていくような情けない帰り道でした。
 マア足が重いだけで、自分の体重を運ぶことで心臓が悲鳴を上げているところまではいっていないので多少は安心でしたが、、、ミオコールスプレーはつかいませんでしたから。

 そして今日は月初めに行った心臓の24時間モニターの結果発表日。
 総合病院の3ヶ月ごとの定期健診でした。
  24時間の体につけた電極を通しての記録と、自分でつけたその日の生活記録をつき合わせて先生からコメントがあるのです。
 今お世話になっている主治医の先生の前の主治医からは「必ずバイパス手術が必要になりますよ」と言うありがたい予言を頂いているので、モニターの結果次第ではそれがすぐに現実になるのです。
 今回は不整脈の記録が1つだけで、率にすると0.5%以下なので問題はないとか・・・数字の意味がわかっていないので「先生の言うとおり」信じるしかありません。
 それに血圧も一応正常値に戻っていました。
  薬をどっさり飲んだ上での正常値ですが・・・ともかく虫歯・歯茎の炎症などによる血圧の上昇から抜け出せたようです。

 そして今日の午後は歯科大学で診療
 全くこの頃は休みでも複数の病院にお世話になっています・・・全く休みなのか病院に行く日なのか分からない。
 病院に行って似たような年格好の人たちの仲間入りをする感じです。
 昔聞いた例え話「具合が悪くなると病院に来られない・・・」
 だから元気なうちに病院に通わなければいけない・・・今なら・10月更新で年休が40日もある。
 まさに手術するなら今がチャンス!?
  そうは言っても極限みたいに具合が悪くならなければ手術なんてする気にはならないものです。
 
 しかし昨日の”必死”で歩いた疲労が、まだ残っている。
 年を取った! 体力も気力も衰える・・・”なけなし”の棋力も。
 

コピーをめくって

2008-10-14 18:52:25 | Weblog
 先日故郷の新民謡について確認のために検索したら、出てきたものの4,5件目にに自分で書いたものが出ていたのには驚きましたが、昨日見つけたコピーの束は丁度その頃のものです。
 かなり量がありますが、私としてはそこそこ面白いので読み返しながら整理しています。順番が入れ替わっていたり、ジャンルの違うものが乱雑に並んでいたりします。
 その中に面白い物を二つ見つけました。
 一つは「秀策流の謎」とタイトルがついています。
 そのHPかブログは今でもあるのかどうか分かりませんが、ともかく当時面白いと思って印刷しておいたに違いない。
 文章の大意としては「秀策流が出来た頃の棋譜を見ると、何で白4で小目カカリしたり、黒にコスミと言う好形を許すのか」と言うような素朴な疑問。
 確かに囲碁は二人で打つものですから、どちらかの一方的な意志だけで形が出来るはずが無い。
 それが「黒番必勝定石」みたいなことを言われたとすると・・・例え一時期のこととは言えおかしいですね。
 これを書いた人はそう思ったのでしょう・・・実は私も似た様な感じはしています。
 これが将棋なら、勝敗の分かれ道と思われるところまでは誰かが指した手順で行くとして(定跡ということで)そこからは必ず手が変わるはず。
 将棋でのパソコンを用いた研究もさることながら、この辺りの情報の伝わり方は早いでしょうから、昨日の工夫の結果が今日はもう古い情報になっているような状況でしょう。
 囲碁の場合手数も長いし、盤面も広いから将棋ほどは似たような形にはならないかも知れませんが・・・
 それに、プロ同士であればそう簡単に決定的なダメージは受けないのかも知れないし、皆そういう自信はあるだろう。
 
 ここにも将棋と囲碁の差があるのかもしれない
 将棋だと序盤の一寸した手順違いでも決定的な優劣になることが多いらしい。
 それはプロレベルだけでなく、チョッと強い人でも・・・
 ところが囲碁の場合は○○流が嵌め手でもなければそこまで決定的な差が出るほうが稀な気がする。
 アマでは「序盤は石を適当に転がしておいて、勝負は中盤から・・・」などと嘯く人もいるけれど・・・そこまで序盤がいい加減ではないにしても、○○流勝率100%ということは無いでしょう。
 基本的な戦い方としてはボクシングにおけるボクサータイプの戦い方みたいに、効率よくポイントを積み重ねると言うのが「正統派」的な打ち方だと思える。
 例えば中国流が人気があったとしても勝率100%だから人気があるわけではないでしょう。
 アマに「宇宙流」が人気があるとしても、真似をしたら勝率100%と言うわけにはいかない・・・本家だって100%ではないのですから。
 「考え方がシンプル」とか「方針がはっきりしている」ので打ちやすいと言うことはあるかもしれませんね。

 それでは江戸時代、秀策はお城碁19連勝とかがあるけれど、秀策流だから勝てたのか、秀策だから勝てたのか?
 尤も当時秀策と良い勝負していた雄蔵はお城碁に出ていなかったのですから。
 それとこの筆者が書いているように秀策が秀策流で打ってきた時に勝ちたいとい気持ちは碁打ちたちは持っていた?
 持っていたような気がするなァ。
  但し、当時はコミが無かったという事情も大きな要素らしい。
 つまり秀策流は先番布石なわけで、ドンドン先行する流れ・・・白はコミが無いから相当無理をしないといけなかったらしい(プロレベルで)。
 だから先行する黒に無理をする白ですから、黒が勝率が良いのだそうで・・・
 私みたいなアマのザルには当てはまらないかもしれませんが・・・ともかく中国流に苦手意識を持っていたとしても、中国流をやらせない工夫で自分がおかしくなるより、中国流で来た相手を堂々と迎え撃って勝ちたいとは思いますからね。
 
 最近先番の黒氏が中国流含みでも、以前のように意識しなくなっています。
 「マアやるならやってもらうしかない・・・こちらも2連星で行こうか」くらいで・・・本当は「少なくとも気持ちは”ゆったり”」と手綱を握っているのです。
  

何とかかんとか

2008-10-13 15:32:45 | Weblog
 ネットに新しいパソコンをつなぐのに何が必要なのかはっきりとはわかっていませんでしたが、確か3,4年前に送られてきた来た書類が必要な記憶がありました。
 そこに「暗号」みたいなものが書かれていて、それを打ち込んだ記憶がある。
 それは確かあちらで設定したコードだったはず・・・
 ですから、なくしたのですから教えてもらうしかないのですが、考えて見れば理解できるのですが、こういうものは電話で右から左と言うわけには行かないのですね。
 落し物なら交番に届けて探してもらうのですが・・・これは発行者に依頼するわけで、実は何処が発行したのかの知識もないわけで・・・
 それで初めにNTT東日本光→フレッツ→プララと辿ったのです。
 マアあちらは電話のご商売ですから[0120]ですから電話料は安心です。
 こういうものは繋がりにくいというのが相場ですが、最後のプララ以外は全部一発で繋がったのには驚きました。
 そして、再発行は簡単に出来てしまった。
  [ID][パスワード]・・・郵送しかないらしくてすぐに手に入らないのが残念ですが・・・FAXとか既設のパソコンにメールでも良いのに・・・こういう事業をしている業者さんが郵送のほうを重視していると言うのはヤヤ以外。
 
 さてこの2週間くらいの成績は4連敗して約1週間お休みした後4連勝。
 その後1敗したが、その次は勝ち。
 天気で言えば午前は土砂降りで午後には快晴、夕方からうす曇というところ。
  
ところで、昨日から自分の部屋で探しものをしていたら前にプリントアウトしておいた印刷物がたくさん出てきました。
 最初に始めたブログを閉じる際にプリントしたもの
 自分の田舎に関する郷土史とか風俗などに関する記事
 そして囲碁に関するHPとかブログで面白い記事
  かなりの量になるけれど、自分にとっては面白い・・・電話帳より厚くなりそうなのが玉に瑕ですが。
 何冊かのバインダーにファイルされています
  たまたまパッと開いたページ
 都下のある企業の囲碁部の人が纏めた記事が面白い(そう思う人は少ないかも知れませんが)
 「棋力別にみた上達の壁」と言うことで、[1から4級][5から10級][11級から15級][16級から20級]に分けて、布石・中盤・ヨセ・知識・その他のような形で問題点を纏めてあります。
 有段者の方は6段、5段、4・3段、2・初段となっています。
 書いてあることが全て正しいかどうかは、個人差があることなので断定は出来ませんが、「棋力ごとに共通する問題点があるという前提でのまとめ」ということで、「傾向」としてみれば面白いと感じました。
 逆からみれば「そこを直す」あるいは「その点を手当て」すれば即上達を意味するような気がします。
 勉強なら「分かれば出来る」事が多い・・・それが習慣のようなものだと「分かったからと言って直せるとは限らない」
 とすると、囲碁の上達は頭で理解する部分と、習慣を意志で帰るような部分が必要だと思いました。
 あるいは自分の中にある物差しを、囲碁の強い人の持っているスタンダードに置き換えることが出来るかどうか?
  などなど考えながら古いプリントをめくりました。
  これから暫くはこの「資料集」の整理にかかります。
 
 

暗号を忘れてしまった!!

2008-10-12 16:11:19 | Weblog
 今日はバス・電車を乗り継いで電気製品の量販店に行きました。
 帰国した息子が、向こうの国を離れる際現地仕様のパソコンを手放したので、早速日本でのパソコンが必要と言うことになり・・・私のも3、4年前の物なので、容量が小さいとの理由で便乗して買い替えと言うことになり、ランケーブルから無線ラン、プリンター交換と言うことで話がだんだん大きくなりました。
 現地で、それなりの働きが出来るようなものを選びまして、明日にはセットアップしたものを受け取るのですが、ネットとの接続で「ハタ」と・・・
 接続番号は今の機械から読めるのですが、確か4文字の英単語3つで出来た暗号があったはずなんですが・・・それが書かれているはずの書類が見つからない!
 「これは大事なもの」と言うことで分かり易いところにおいていたはずなんですが、イザというときに見つかりません。
 セット用のCDはあるんですが・・・さて本当に必要だったかも定かではないのですが、でも、確かこういう単語を打ち込んだ記憶がある。
 量販店に電話して問い合わせたところ、「NTT光なら多分必要だったと思います・・・」
 それで仕方なくNTT東日本に電話したのですが「今日はお休み」
  それで、メールでの質問を送ったのですが、果たしてこういうもので何時返事が来るものやら見当がつかない。
 ですから、せっかく明日には新しいパソコンが来てもオンラインできない!
  狭い家の狭い部屋の中にあったはずの書類なんですが・・・ミステリー。

 ミステリーと言えば4連敗して暫く謹慎?していたのですが、ネットで打ち始めました。
 そして今度はなんと3連勝!
 通常のサイコロ的確率で八分の一、勝つと少し条件が悪くなるシステムだから多分確率10%くらいでしょうか。
 ともかく、なんだか相手の薄いところ、相手が無理をしたところが見えるような気がしたのです。
 マア勝てば官軍、3連勝の今しか言えないのです。
  

見えるときもある

2008-10-11 16:29:11 | Weblog
 久し振りにパチリです。
 いや、機械音なのでリアルの対局のような趣のある音ではないのですが、それでも石を置くときの音が好きです。
 リアルでしたら、人それぞれの石を置く癖だとか場面での感情などで微妙に音が違うし、石が本物の石か瀬戸物・ガラス・練り物でも違うし、盤が板とか2寸・4寸でも違う。
 その違いを感じるのが楽しくもある。
  形勢の良いときの音と言うか石を置くときの調子には違いがあるでしょう。
   同じ人でも「置く」「打つ」「叩きつける」のような違いがあるし、それぞれの間でも微妙無さがある。
 「耳がよければ」その違いで形勢とか相手の感情は分かりそうです・・・但し盤上の形勢を冷静に見ることが出来るのは形勢が良いときでしょうか・・・
 つまり殆どのアマの場合悟りの境地とは程遠いので、違いに気がつく様な時はある程度形勢にも気持ちにも余裕がある時だけです。
 ともかくネットでの対局では石音の音量を中くらいよりやや低めに設定し、盤は薄めの茶色で木目調は無しで打っている。
 このくらいだと目も疲れないし、夜中でも気にしないでいいし、着手があったときの信号にもなります。

 さて久し振りの対局は私の先番でコミ4目半出し。
 序盤で白氏にミスがあったらしい・・・私はミスというより打ち過ぎだと感じましたが・・・。
 黒の厚みの近くで白は弱い石を作って、全体を捨てるに捨てられなくなった。
 いや、捨てるという方針は無かったのかも知れませんが。
  ともかく、私より先に相手が重大なミスを犯して、一局の流れが決まってしまったのだと思う。
 主な原因としては、単に相手のミスがあっただけで、「調子が戻った」などとは言えないでしょう。
 尤も、ミスを見つけられたということは良かった、あるいは良くなったのかもしれません。
 しかしある問題に気がつきました、私がミスだと感じたことを、相手はミスだとは思っていないのかも知れない・・・私が中押しで負ける時は、私が当然と思って打っていることの中で、相手は問題点を見つけているのでしょう。
 今日の場合もしかしたら、相手にしてみればいつもの手・いつもの流れで打っているだけかもしれなくて、その中に咎められる場面・瞬間があるのだと思う。
 その場面・瞬間でしか咎められないということで、それを捉えられるかどうかが局面に大きく作用する・・・

 マア私などの純粋な?アマ、ザルにして見れば調子が良いとか悪いとか、勝負の機微はその程度のものかも知れません。
 勝負は中盤の入り口で白氏の投了で終わりました。
  これを棋譜倉庫から出して並べ直したり、別の手は無かったのかシュミレーション。
 やはり白氏が別の打ち方をしていれば勝負は分からなかったかもしれない・・・そういう場面がありました。
 尤も、そういううち方が、白氏にとって彼らしい打ち方だと彼自身が思うかどうかは分かりません。
 場面に沿った正しい手=勝つ確率の高い手だとして、それがその人らしく打ちたい手かどうかは別な時も有るような気がします。
 巧く言えないのですが、打ちたい手=場面での最善・最強手が一致するように成ることが勉強の成果と言うものでしょうか?
 残念ながら、そうは行かない悲しい現実がありますが・・・
  それだからこそ囲碁は何処までも楽しいのですね。
 もう一つ、私の手にももっと厳しく打つ手もあったことが分かりました。
 場合によっては、その手をその時に発見できなかったことが勝負を決め切れないことに繋がる事だってある・・・そういう意味では運良く勝てただけなのだろう。

 さて対局待ちリストに戻ってみると、懐かしい名前に出会いました。
  いや、名前だけですかから”その”人かどうかは分かりません・・・それほど珍しくは無い苗字だし、”ある”名前だし。
 最も、最近は使わない旧漢字表記があるから若い人ではないから私の知っている人の確率が僅かに上がります。
  若し同一人なら
 彼は友達のお兄さん・・・少年時代に同じチームで野球をした投手のお兄さんで、私たちが小学生の頃彼は中学生で、チームの監督のアシスタントとしてコーチをしてくれていた。
 今の少年野球は土日祝に練習・試合をしますが、当時の私たちは違いました。
 グランドは学校の校庭か町内にある企業のグランドで、チームは同じ町内の子供たちですからこれは学校の部活ではありません。
 でも晴れていれば活動は毎日で、監督も夕方は顔を出してくれる。
  それまでの時間に見守ってくれるのがそのコーチであるお兄さんでした。
 その人の存在が無かったら平日の活動は無かったかもしれません・・・
  さて、囲碁のボードに乗っている人は?
 その人は・・・私の出身の県に在住している・・・更に僅かだが確率が上がった。
  その人は初段直前くらいの点数らしいから対局することはないけれど、ボード上では私の名前を見ているかもしれません。
 私の方は、フルネームだと同姓同名はまずは無いと思われるので知っている人は分かるでしょう。
 さて、私は故郷に帰る事はめったにないし、ネット上でしかすれ違わないかも知れませんね。
 

そろそろ発進

2008-10-10 18:21:15 | Weblog
 4連敗後から数日打っていない。
 自分としては不本意な負け方をすればするほど「次こそ」と言う気持ちで打ちたくなるのですが、一方で「謹慎」ではないけれど、基礎からみ直さなくてはいけないと言う気持ちにもなるから、その二つのフラストレーション。
 こういう時もネットで観戦はします。
 そして、対局待ちのリストを覗いたりもします。
  偶々点数が近い人が居た場合が問題。
 「打とうかなどうしようかな」と迷いますし、「この人何処の県の人だっけ」などと考えて、会員リストを確認したりする、そして「いざ、対局」と考えた時には彼の人は既に手合いがついて対局室に移動していたりする。
 この時期はそういう事が多い。
 結局は「観戦で、いいか」と見物に回るのですが、今度は肝心の中盤で寝てしまったり・・・
  
 してみると、今は基礎から勉強をし直す時期などと殊勝なことを考えつつ、実は単にオーバーヒートしないための冷却期間のようです。
 仮に途中で眠ってしまうことがあっても、他人の碁は参考になりますね。
 仕掛けるところ、辛抱するところなどが人によってかなり違うように見える。
  「辛抱と思いきや、実は読んでいない?」いや「裏の裏まで読んでいる?」など考えさせられるような面白い碁もあります。
 また、終盤に入ってヨセの順番が違ったり・・・
  相手から主導権を奪いたくて、相手の手に手抜きをしたり、、、あるいは丹念に応じたり・・・
 これも私の好きな場面です。
 最も好きなのは、コウ含みで仕掛ける寸前の場面です。
  コウで仕掛けるの必然の形勢かどうか、コウ材の計算、コウに勝った時・負けたとき・・・こういうことを考えているらしく手が止まった時。
 形勢を考えているらしいインターバル・・・
  こういう時の次の一手が楽しみです。

 人の碁も好いけれど、そろそろ自分でも打ちたいですね。
 今夜は連休前の金曜日・・・きっとネットも賑わっているでしょう。
 
 話は変わりますが、先日どこかの証券会社の電話セールスが入りました。
  今の状況でも電話セールスをやるんですね?
   株取引を奨めなくては商売にならない事は分かるけれど、電話の勧誘に乗る人が居るのでしょうか?
 きっと今のセールスポイント?は「今が底値」なんだろうな。
  でも毎日底を更新しているんだけれど・・・
 さて私の碁の点数は底を打っただろうか?

  

二代目!

2008-10-09 19:02:34 | Weblog
 息子が1年ぶりに帰って来ました。
 外国でホームステイをして、習慣の違いでのトラブルがあったらしいし、ピソと言う学生用の借り上げ住宅での共同生活でもインターナショナルゆえの行き違いもだいぶあったらしい。
 日本を出て行くときに、異文化、習慣の違いなどは覚悟はしていたでしょうが、想像以上に違ったり、違いが「許容範囲」かどうかも・・・
 マア、よく言われるように日本は安全でキチンとしていることを実感したらしい。
 窃盗などの犯罪に遭う確率、物事が期日通りに行われることが当たり前かどうか・・・
 最初の試練は「お風呂」だったらしい
 向こうでは汲み置き式のふろですから、ひとりずつお湯を代えるわけで、大家族で水道代が高い国では毎日は入らないし、一人ずつの時間も短くなる。
 毎日、マイペースでお風呂に入っていた事を考えると、「郷に入ったら郷に従え」以上に慣れるのに時間がかかったらしい。
  「風呂の時間が長い」「水を使いすぎる」などなどのお小言を貰っていたらしいから・・・
 ですから、帰国してゆっくり風呂に入って満足そうでした。

 さて長時間飛行機に乗って、時差ぼけもあり、眠ったのが昨夜9時ごろで、目が醒めたのが今日の夕方の5時頃らしい。
 18時間寝ていられるなんて、やはり体力なんでしょうね・・・途中で1回はトイレに行ったらしいけれど。
  それで私が帰宅した夕方に「今起きた」「腹減った」といいながら台所で何やら作っている。
 料理とは言い難いが野菜を炒めて焼きそばを作るらしい、「コンビニ」に直行しなかった分は成長だろうか。
  彼が高校生の時はカップヌードルがせいぜいで、袋麺は出来なかった。
 それが外国ではクリームシチュー(日本から送ったルーですが)などを作ったり、お好み焼きを作って外国の学生仲間に食べさせたりしたらしいから、大進歩なんでしょう。
 当たり前なんでしょうが、自分で何とかするということでしょう。
 ともかく食べる物を作るということは生きていく最低限のことでしょう・・・

 しかし「○○語は日常生活に困らないくらいには話せるようになったけれど、やっぱり英語も大事だし・・・今度はそっちへ行きたい」
 アッサリと言ってくれます。
  親の苦労も知らないで・・・もっともそういうことを全く考えないで「素直に」口に出すところが私の息子と言うことだろう。
  祖父から数えれば彼は四代目だが、やりたいことをやろうとするDNAとしては私の二代目だろう。
 私から見れば父にも道楽があった筈ですが、多分そういったら地下からクレームが来るだろう。
 本人は真面目一方だと思っているはず。
 私の兄にしても・・・本人は自分自身を誤解しているらしいが「堅いだけでつまらない人」
 するとやはり私のDNAは祖父から隔世遺伝で伝えられ、息子に受け継がれるらしい。
  こういうものはキチンとバトンタッチされるのでしょう。

道楽息子の家系

2008-10-08 14:57:38 | Weblog
 家にはどうも道楽をするDNAが流れているような気がします。
 知っている・聞いた範囲では祖父の代からですが、この人は道楽と言うのか只の飲兵衛なのか分かりませんが、ともかく身代を飲みつぶした。
 遊郭通いとか鉄火場ではないのですが、時代の変化についていけなくて、ともかく金融とか経済の変化が分からなかったのでしょうし、人を見る目が無かったのでしょう。
 ともかくお酒が好きでボンボンタイプの旦那ですから或る日突然「合法的」に家屋敷が人手に渡った。
 一番割りを喰ったのは伯父で、小学校の敷地になったくらいの広さの屋敷と周りのお茶畑などが一夜で無くなったのですから、、、
 父の場合は次男ですから結果としてはたいした痛手ではなかったかもしれませんが、可能性としては男三人兄弟ですからMAXで三分の一を失ったのかも知れません。
 私の場合はそのまた次男ですから・・・マアたいした分け前はないでしょうが、ともかく可能性は0になったということでしょうか。

 父の道楽は旅行だった。
 数日間のものや、日帰りのもの・・・どちらにしても一人で出かけるのが好きだった。
 宿泊するものは行き先は言いますが、泊まる場所とかスケジュールの細かいことは言わないし、メモも残して行かない。
 日帰りの時も、行き先は勿論行った先でどんなことがあったかも一切話さない。
 秘密と言うことではなくて、きっと「一人で楽しむ」と言うスタイルだったのでしょうね。
  今時のドラマ仕立てでは、もしかしたら婦人同伴とか、行った先で待ち合わせなどと言うストーリーも無いでかも知れませんが、実際にはそんな器用な人でも無かったし、母との諍いも一切無かったのですから、単純に一人で楽しんでいたのでしょう。
  自分ひとりの世界・時間があると言うのが好きだったのでしょう。
 父の道楽と言えば今にして思えばもう一つ変な道楽があった。
 例えば、私に勝負事に使うようなものを与えるのです。
 ゲーム盤のセットは勿論、トランプ、花札、ルーレットなどを頼みもしないのに買ってきて、それで遊ぶのをを見るのが楽しかったらしい。
 将棋などは、わざわざ自分の会社の若い人(この人は将棋が強かった)を夕食やらビール付きで家に招いて私と指させる。
 それを見ながらちびりちびりやるのが道楽だったようです。
 父が将棋を指すのも、ゲームをやるのも見たことがありませんから、やるのではなくて見るのが道楽だったのです。

 私といえばそういう風にしむけられたのか勝負事が好きで、麻雀・競馬・囲碁を三大道楽にしていましたが、結婚・子供の出生を機会にして徐々に経済的な破綻の心配の無い囲碁一本になりました。
 プロになれるようなレベルではありませんが、囲碁があれば楽しいし、囲碁の無い人生は考えられないのですから、やはりこれは致命的な?「道楽」なんでしょう。
 女房殿が知り合いとの話で「主人は囲碁が好きで・・・」と話せば、きっと「良いご趣味ですね」と答えが返ってくるでしょうが、これは一種の先入観でもある。
 やっている本人が「ご趣味」どころか人生の一部くらいに思っていますし、女房殿にしても「ご趣味」ではなくて「ご道楽」だと思っているだろう。
 「外聞」が良いし、手間がかからないから放任と言うことだろう。

 さてわが息子
 趣味でロックのCDを借りてきてチップに入れたり、サッカーの草チームでプレイしたりフットサルの仲間に入れてもらったりしている。
 家の家系だから必ずや「道楽的」に何かにのめり込むだろう・・・そして外国語を習いたいと言うことで1年の外国生活を終えて帰って来ました・・・ということは既に道楽的な生き方がチラチラし始めていますが、これ以上の困った道楽に嵌らないためにも息子に囲碁を教えておかなくてはいけないかもしれない。
 問題は過去の親子関係?では、代々親の趣味を子供が受け継いでいないと言うことですね。
 つまりオヤジの道楽は子供にとって真似したくなるようなものではなくて、違う道楽を探したくなるのかも知れない・・・「道楽息子」ではあるが親の趣味は継がない家系らしい。

寝てばかり

2008-10-07 17:37:57 | Weblog
 ここ数日は「寝てばかり」いるような感じです。
 TVで面白い番組があれば見ていますが、それが終わった途端に眠ってしまう。
  部屋にいても、ネットで観戦中でもつい眠ってしまう。
 うたた寝なら2時間くらい、自分の部屋での「つい」なら5時間くらいですから、これはもううたた寝の領域を越えてしまっている。
 但し1日分の睡眠にはやや足りないか、あるいは現年令には相応なのか?
  元々・高校生くらいの頃から・・・自分の部屋を持った頃からだろうか、時間が来たら眠り、朝が来たら来たら起きるというような規則正しい感覚ではなくて、疲れたら眠るが、やりたいことがあれば眠らない、面白い本を読み始めたら疲れない限り読み終わるまで読む、、、起きるのはやむをえない用事がある(登校するとか)為と言うようなところがあった。
 仕事をするようになって、そういう感覚でいたら、所謂社会不適合みたいになるので仕方なく最低限何とか自分を律することはしましたが・・・
 仕事の帰りに碁会所に寄り閉店まで打って、その後は隣の雀荘で朝まで打って、そこからまた会社に行くようなことも珍しくなかったのは「面白いこと」「今やりたいことがあるのに寝てなんかいられるか」という感じだったのです。
 ですから、オーバーに言えば世の中の仕組みから足を一歩踏み外せば転落していくような危ない崖っぷちを歩いていたのかも知れません。
 最近は、「眠れ!」という体からの絶対指令があるのだろう、自分の意志を確認すること無しに体が勝手に寝てしまいます。
 勿論、囲碁を打っている途中で寝てしまうとか、面白い本を読んでいる途中で寝てしまうと言うことはさすがにありませんが・・・

 この頃は仕事量が増えているようではある。
 仕事に関する時間にはさして変化はないのですが、例えて言えば「お茶する」時間が減って、外へ出る用事が増えている。
 車で行き帰りするのでそれで疲れると言うことはないのだけれど、行った先で人と接触、聞き取り調査と言うのは以外に疲れるのかも知れませんね。
 それに週に数日、午後出かけるだけにしても今までのデスクワークの量はそのままですから、トータルでは仕事量が増えている。
  それでも同じ時間に収まっていると言うのは今まで楽だったのか、今がおかしいのか不思議ではあります・・・
  そういうことで、体の疲労度はともかく神経の疲労は有るのかも。
 それに、関係あるのかないのか・・・ネット碁で負けが込んでいる・・・と言うか勝てなくなっている(便乗の言い訳です)。
 マアたかだか?4連敗ですがされど4連敗。
  そこまでの点数に到るまで例えば10勝9敗ペースであってもゆっくり登ってきたものが、負けるとなれば4連敗で垂直に落ち込む。
 それでもトータルで考えればチャラなんでしょうが、厚かましいものでゆっくり登った岡の上の高さでものを考えるところがあって、登る前の麓の高さを忘れてしまうようです。
 だから「何故、こんなに負けるのだろう」みたいな・・・
 それをいうのなら「何故勝てたのだろう?」が先になければおかしいのに。
  勝っても負けてもその原因は棋力ではなくて「時の運」なんでしょう。
 でも、勝てば自分が強くなったような錯覚が僅かでも無いとは言えないし、負ければ弱くなったような不安があるものです。
 ですから、もしかしたら・・・
  最近よく寝るのは「疲れがたまっているのか」あるいは囲碁に負けてばかりいて「ふて寝」みたいなことで、結果的リフレッシュ期間なのかも知れない。
 頭と体のどこかから「一時停止命令」が出ているのかも知れないですね。
  本来なら自分の碁を振り返る良い機会なんでしょうが、そこはアマの悲しさで振り返っても改善できないし、悪い点は改善できないまま引きずっていく。
 ともかく最善策は一休みの小休止。
  でもネット対局室には入り込んでひとさまの碁は見せてもらっています。
 感心したり、同病あい哀れんだり、一緒に考えたり。
 

いたずら書き

2008-10-06 18:05:33 | Weblog
 先日もTVで報道されていましたが、スプレーでのいたずら書きは困りますね。
 読み方が分からない横文字調の文字みたいなもの。
 なんだか外国の漫画かイラストみたいなスプレー画。
 近所では水路にある水門扉を開閉する施設、大きな陸橋の壁面、橋の下の歩道のコンクリート壁面、JRの高架の柱・・・。
 材料費もかかるでしょうし、見つかれば器物破損・不法侵入だろうし、何より時間とエネルギーとお金をかけているでしょうから、それでつかまって罰を受けたらあわないと思うのだけれど、当人にしたら止むに止まれぬ自己表現なのでしょうね?・・・そうでなければ理解できない。
 尤も、自己表現ならば何もスプレー画でなくても良さそうですが。
  世の中に反発したいモヤモヤとか、人を困らせて注目されたいとかもあるのでしょうか?
 
 そういえば昔は景勝地の木の表面に傷をつけて自分の住所と名前と日付を刻みつけたりしたものがありましたが、あれは当人がやったかどうか特定できないと言うことで調査・取り締まりの対象にはならないのでしょうか・・・そういう話を聞いたことがない。
 同様に相合傘のいたずら書きも・・・あれは当人と言うより誰か他人をからかったりしているのでしょうね。
 「昔は」と書きましたが、今でもありそうな感じがします。
 最近では日本人と思われるいたずら書きが外国の名所旧跡に残されていたりするのですから・・・これはなんだか国辱ものという感じです。

 図書館から借りてくる本にも時々書き込みがあります。
 この場合書いた人にとっては「書き込み」であって、「いたずら書き」ではないと言われるかもしれませんが、後で読む人にとって困ることはあっても「参考になりました」と感謝したくなるものは無い。
 書いた人には「書き込み」かもしれませんが、文章のところどころに「、、、」がついていたり、線が引かれたり、注が書き込まれたりするのは愉快ではないですね。
 それとも前に読んだ人の申し送りみたいなものでしょうか?
 図書館の本ですから、めったに新本を一番初めに借りると言うことはありませんから、誰かが読んだような気配が残るのは当然ですが、書き込みまで残されると、なんだか本が汚れているような気持ちになります。

 さてさて、私の書いているようなものは「いたずら書き」同然かもしれないけれど、他人様のノートに書いているわけではないので許されているわけす。
 これが授業中に自分の教科書に絵を描いたりする行為は、書いているものではなくて授業中にはやってはいけない行為と言うことですね・・・それは仕事中も同じこと。
 ということは書く場所・物などの場合と行為そのものとの二つ。
  すると私が、仕事の合間に・・・例えばお茶・あるいは一服のかわりにブログネタなどのメモを書き付ける行為は?
 書き付けるものが廃棄用の書類の裏面なら物についてはOKだろうか?、行為そのもはNGだろうか、それとも5分ならお茶代わりとしても良いが、10分だとNG?
 あるいは、書いている内容がNG!?
  それが一番きついかも。
 「非生産的行為!」の部類ですから・・・

 

星勘定

2008-10-05 16:10:48 | Weblog
 星勘定と言っても、点数制度で打っているネット碁の成績ではありません。
 金曜日の夜から、私が囲碁のと同じくらい好きなサッカーの贔屓チームの星勘定をしました。
 セコイと言うか少し暗い感じの作業ですが、その年の成績によってはこの時期になると気になって仕方が無いのです。
 上位の争いなら嬉しく、下の方なら気が揉める感じで・・・
 勝っても負けても単なる順位争いと言う年は、振り返ってみると案外つまらないかもしれませんね。
 今週は第28節、全34節ですから残りは7試合
 我が贔屓チームは一時の不振から抜け出したように見えますが、それでもファンとしては完全に安心できるとはいえない状況なので、全チームの成績表を見ながら、今後の成績予測をしながら順位予想をしました。
 現在の点数・順位、ホーム・アウェイでの試合結果予想
 楽観的に見たときと、厳しく考えた時の予想
 その結果での点数のMAXまたはMIN。
  マア勝負事ですから何が起こるかわからないし、チームで戦うものですから、個人の成績が反映される部分と、全体の力・勢いがどうなるか不確定要素が多くて完全な予想は難しくて、概ねこうなって欲しいとかこういう事もあり得るという程度ですが、それでもこの時期恒例の予想です。

 さて、土曜日は例によって図書館の日
 今週は囲碁のほうは本を買って読んでいるので、図書館では棋譜の無いものを借りることにしました。
 棋譜中心ではなくて読み物と言うことです。
  もっとも、囲碁の棚には新しく入った本が無かったので仕方なくパス。
 隣の将棋の棚から選びました。
 「将棋の子」 大崎 善生 2001年5月
  作者は将棋世界の編集長だった方で「聖の青春」の著者。
  私は将棋は囲碁よりも弱いのですが、たまに将棋世界を買って読んだことがあるので、そこの編集長と言うことだけでなんだか”顔見知りの人”という感じです。
 「聖の青春」も読んだことがないのですが、村山聖さんのことを考えるとちょっと重過ぎるかなと考えて今回は見送り。
 「将棋の子」のプロローグをパラパラと見て借りることに決めました。
 と言うのは、開いたページの中ほどから「堀口一史座」「野月浩貴」「中座 真」「木村一基」などの名前が飛び込んで着ました。
 瞬間「この本はきっと、彼らの少年時代・奨励会時代のことを書いた本なんだな」と、勝手に誤解した。
 タイトルと、プロローグに出てくる名前で、早飲み込みした。
 考えて見れば、元編集長の書く本がそんなに単純なはずはないですよね。
  ストーリーを読んでみて、奨励会の厳しさは聞きしにまさるものだと・・・
 奨励会を去っていった人にスポットを当てて。
  これは脚本次第では凄い迫力の映画になりそうな感じがしましたが、尤も日本映画独特の暗くてスローテンポになりそうな感じがしました。
 ともあれ、土曜日の深夜に読み始めて、明け方のうたた寝による中断を挟んで一気に読んでしまいました。

 囲碁にもこういう本が無いものでしょうか?。
 奨励会を年令制限の壁を破れずに去って行った人、一握りの天才の蔭の「元天才少年だった成年」
 囲碁界にもそういう人は多いでしょう
  「放って置いてくれ」かも知れないけれど「スポットをあてて見たい」
 将棋・囲碁での挫折はあったかも知れませんが、コチトラも人生での成功者と言うわけではない。
 寧ろ「囲碁・将棋に打ち込む時間があった人は羨ましい」です、「そういう場所に身を置けることが羨ましい」・・・何と言ってもザルから見たら雲の上の話。

 

タイムトンネル

2008-10-04 16:03:20 | Weblog
 千と千尋の神隠しではないけれどトンネルを抜けるとそこは「異次元の世界」みたいな気持ちに”チョッピリ”なりました・・・多少オーバーですが。
 昨夜のスタートからそういう気持ちになり易い?設定だったのかも知れません。
 子供は二人いるけれど、一人は縁付いて、もう一人は一応勉強のために家を離れていて、現在は老夫婦の二人暮し。
 老夫婦と言っても「オレオレ」に狙われるには多少は若いかも知れませんが、まあとにかく、昔は多少は手狭に感じていた我が家も二人には余裕と言うより、やや寂しいか・・・
 しかも昨夜はその女房殿も仲間と食事会だとか・・・仕方なく一人で夕食を済ませて・・・面白いTV番組もないから取り貯めていたドラマを一つ見て・・・ネットで囲碁観戦していたはずなのにいつの間にか寝てしまっていました。
 気がついたのは夜中の2時ですから6時間は眠っている。
  殆ど一日分寝てしまっていますね
 周りはシーンとしていて、表通りにも人の足音も話し声も聞こえてこない・・・まさに草木も眠る的な丑みつ刻。

 この辺りから、発想がジャンプしたり折れ曲がったりします。
 初めにネット碁で、入場者の欄にカーソルを当てて、「何処の県の人かな」と見ていたのが始まりだった。
 中に「知っているような知らないような」名前があるので・・・この人が私の出身県の在住者。
 高校時代に同姓同名の同級生がいたけれど、その彼かどうか?などと思っていた。
 次に自分のブログの前の日のタイトル「今朝もハヨカラ」からイメージは常磐炭坑節→昔茨城で仕事をしている時はそこではあまり聞かなかった→そこでは民謡好き人は主に「磯節」「磯で名所は大洗さまよー・・・」→お客とバス旅行などに行けば必ず何人もこれを歌ったものです→私の出身地の民謡と言えば「茶っきり節」だけれど、あれは新民謡→えーと、作詞は誰だっけ・・・と続きます。
 こういう発想が延々と続きますから、人様が安らかに眠っている時に結構アナザワールドで遊んでいます。
 それで「茶っきり節」を検索すると作詞者は北原白秋と出ていましたが、いくつもある記事の中にとんでもないものを見つけてしまった。
 なな・なんとどこかで見たことがある「タイトル」
  「茶っきり節」についての思い出が出ている話・・・
 私が2006年3月までの半年間足らずの間にライブドアブログでやっていた「愛染町時代」の記事が「茶っきり節」の検索項目に・・・
 「エーッ!?」と驚くやら懐かしいやら、なんだか恥ずかしいやら。
  
 当時、自分の生まれてから13年間育った場所・時代のことで思い出せることを記録しておこうと思って書き始めたブログです。
 誰かに読んでいただくというより自分のための記録であり、自分の子供たちが「オヤジの子ども時代」を知るために始めたようなものです。
 それが、丁度思い出の一区切りだったり、当時ライブドア事件があってライブドアそのものがどうなるのか分からないような気分もありそのブログを閉じました。
 それが、思いがけなくグーグルの検策項目で出会うとは・・・
  ブログを閉じる時に記録していなかったので、リムーバブルに半年分の記録を入れました。
 僅か2年余り前のことですが懐かしい。
 しかも「記録を取らずに消してしまった」と思い込んでいたものに出会えました。
 タイムトンネルと言うか、タイムカプセルです。
  でも、ブログの入ったリムーバブル!、私以外の誰が見るのだろう?

 外から朝刊配達の自転車・バイクの音が聞こえるようになりました。
 人様のいる世界に戻ってきたような感じです。

 

「負ける手」

2008-10-03 17:53:06 | Weblog
 今週の中頃に平日連休2日を取りました・・・正確には定休日+年休ですので堂々とサボっている感じですが、それでも先週も祝日+平日に休みがあったので、何となく「休み過ぎ?」みたいな不安が過ぎる。
 この辺りが、日本人気質の表れなんでしょうね、文句を言いながらも忙しく働いている方が安心だったり・・・。
 今週は2日続けて病院のハシゴとなりまして、「老人には医療費の出費が多くて困る」と、我が片頬が引きつっていますが、一方で『保険のおかげ』と感謝。
 マア、2日目の場合は費用と言うより、時間の負担の方でしたが、「時は金なり」ならば相当な浪費。
 でも、昔から「金はなくても時間ならいくらでもある」タイプで囲碁・麻雀・競馬・パチンコ等などにウツツヲ抜かして来ましたから、いまさら都合よくtime=moneyなどとは口が裂けても言えません。
 仮に「無駄に捨てた」かも知れない時間のために、”本来得られるはず?”の地位・名誉・収入などが犠牲になって来たのかどうか?・・・それは時計を逆周りさせられない限り分からないことです・・・分からなくて幸せでもある。
 若しかして・・・女房・子供にとって恨みの対象が「囲碁にのめりこんだ亭主・オヤジ」を通り越して「囲碁」そのものに行っていることはないとは思うけれど・・・
 
 休日2日目は、朝9時に総合病院で24時間モニターを外してもらう。
  接着テープの跡が痒いのは困るけれど、ともかくうっとうしいものがなくなりました。
 もしも、それだけなら、このことのために1日休暇をとったことになってしまいますが、流石にそんな無駄はしない?。
 その足で、次に行ったのが歯科大の付属病院だからチョッピリ情けない。
 数年お世話になっていませんでしたが、今日は虫歯を・・・
  昔は近所の開業医の歯科クリニックにお世話になりましたが、私の歯の程度がその先生の手に負えないらしく・・・また、余りにも治療箇所が多かったらしく歯科大付属病院を紹介されて以来お世話になっています。
 マア、これから歯科医師として一人立ちするための練習台でもありますが、医療設備は完備しているので、私みたいに循環器などに欠陥が有る場合は安心ですね。
 例えば、抜歯の際には歯科大のお医者さんといつものかかりつけの医師が相談して、薬の飲み方を変えるとか、抜歯をモニター付きのオペ室で行うとか・・・
 この場合常に血圧・脈拍・呼吸数などが数値で表示されているのが分かります。
 これは手首の血管からワイヤーを入れて、それを見ながら処置を受ける時みたいに不思議な気分です。
 『そこまでしなければならないほど俺は重病人なのか』とも考えてしまいますが・・・

 ともあれ、病院=待たされる=本が必要・・・となりますので例の「アマの負ける手・負けない手」が役に立ちました。
 まだ第1章のみですが、なかなか面白いと思いました。
 第1章は「誰でも使える秀策流対策」
 秀策流のあらゆる場面を想定しているわけではありませんで、例題は1局。
 でも白番の4手目から始まって、1局の中盤の途中までで、11問出題。
  つまり11の別の対局場面を問題にしているのではなくて、1局の流れの中で11問が出題されているので、流れが分かる。
 A、B,C,Dの4地点、4択で答えるのですが、第1問の答えなどユニークで、どれを選んでも10点満点の10点です。
 4手目の局面なのでそうなのでしょう。
 但し、地点によっての評はかなり違うのです・・・例えば、その着手がそれ以降の「急戦含み」「ゆったり調」など・・・
 後ろの方に行くと「難しい手」「険しい手」「勝てない手」「負けにくい手」などが出てきます。
 囲碁の手の評価にはプロもアマもないでしょうから「プロから見たらそういう手を打てば勝てませんよ」的な基準では有るでしょう。
 ですから、アマ同士の碁ではプロから見たら致命的な手でも致命傷にならない場合もあると思われる。
 「お目こぼし」みたいなものですが、それが続くと当然の結果だと思い込んでしまったり、そうなるものだと錯覚してしまうのです。
 少し上手にかかると歯が立たないというのはそこに原因があるのでしょうね、自分では無自覚に打っている手の中に相当酷い手が混じっている・・・
 その欠陥を突かれなければ五分の勝負ですが、突かれればまさに「壁」です。
 問題そのものは難しいとも思えないし、よく見る局面ではあるが「勝てない手」「負ける手」「危険含み」などなどを選択してしまうのだから恐い。
 見慣れた場面なのに満点というわけには行かないのですから、自分に呆れるやら、情けないやら、、、。
 やはり、特殊なケースでの問題よりも、日常茶飯事での一寸したハズレの方が大問題なのでしょう。
 

今朝もハヨカラ・・・

2008-10-02 16:34:42 | Weblog
 朝目が醒めたのが4時半。
 若い頃には考えられないことですが、この年になっては珍しくありません。
 しかも昨日は病院二つに行っただけで、仕事はしていないし、歩き回ったわけでもなく、昼寝などしていたのですから夜は5時間程度の睡眠が有れば充分でしょう。
 ですから、『しょうがないジイサマだな』と自嘲気味ですが、ベッドに体を起こしてパソコン操作。
 このブログにコメントを戴いていたのでお返事を入力。
 マイナーなブログですが、読んでいただいてコメントをもらえると嬉しくなりますから、できるだけ返信は最優先です。

 それから、ネット碁へ接続。
 いつものQさんが対局待ちをしています・・・見ると、なんと!私より半先くらい=コミにして6目から7目くらい上に行っている。
 つい先日私に2子置くくらい下になっていたのに、下がるのも早いけれど、上がるのも早い!。
 私はここ500局くらいの成績では、点数の幅が8点のなかに収まっているのに、彼は20点は上下している。
 野球で例えると、私はコントロールは良いけれどスピードが無い投手で、彼はスピード抜群だがややコントロールに難がある荒れ球投手と言ったところでしょう。
 などと、考えていたら彼の名前がリストから消えてしまい、他の人がリストに載りました。
 見たことがあるような無いような名前なので調べると(初めての人に対局を申し込む時はつい調べたくなります)、彼は四国の人で、ネットで1200局くらい打っていて、点数が40点くらい上がっている。
 マア調べると言ってもその程度ですが、相手のことを何も知らないで打つのは気も落ちが悪いのです。
 40点も上がっているというところが要注意ですが、最近一気に上達して上がったというよりは、初めに上がって、最近は比較的落ち着いていると考えるのが普通でしょうか。
 これが対局数100とか200くらいで40点も上がっているとなると、上昇気流に乗っている人の確率が高いので、ぶつかればすっ飛ばされるかもしれません。
 若い人には、急激に上達する時期があるでしょうから、それも注意?。
 実名が分かるとは言っても年令まではでていませんから、名前が現代的かどうかもチェックポイントです。
  マア、囲碁の内容、勝敗とは関係ないのですが、対局前に知っておきたいと考えるクセです。

 さて、向こう先で序盤から中盤に入る辺りで、黒さんが相当に無理をした感じ
 んー、表現は悪いけれど「下手こなし」的な手を互い先以上の相手に打ったみたいなイメージ。
 そこから猛烈な捻り合い・・・と言うより白が黒を一方的に追及・・・
 とはいえ、一歩間違えば立場が入れ替わる心配もあるわけで油断は出来ません。
  とにもかくにも、中押しでした。
   とは言え楽と言うことはなく、それなりにドキドキ・ハラハラしたのですが、終局して気がついたことがあります。
 私の胸に24時間心電図モニターがセットされていたのです。
 ですから、もしかしたら囲碁の捻り合いがおかしな波長になって表れている可能性があります。
 今日9時にセットを外して、分析・解読に回りますが、さて先生は「囲碁波長」を読めるでしょうか?、少し楽しみでもあります。
 まあ、悩ませるといけないので、「行動記録表」に「5時40分から6時20分:ネットで囲碁」とメモを記入。
 但し書き「猛烈な捻り合い」は書きませんでした・・・それを書いて理解してくれるお医者様だと嬉しいのですが、若いし、囲碁のことを知らないような雰囲気?が有るのです。
 それにしても、朝4時半に起きて6時前から碁を打っているのは、囲碁・囲碁愛好者を知らないと呆れるかも知れないですね。