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故赤澤史朗さんの追悼記事を「防衛省『市ヶ谷記念館』を考える会」サイトにアップしました

2024年10月04日 | 歴史探訪<市ヶ谷台・防衛省・東京裁判>

立命館大学名誉教授赤澤史朗先生がご逝去されました

とBlog記事に投稿しましたが、昨日、共同代表春日恒男さんが追悼記事を「防衛省『市ヶ谷記念館』を考える会」の公式サイトにアップしました。https://ichigayamemorial.jimdofree.com/%E6%B4%BB%E5%8B%95/%E6%96%B0%E7%9D%80%E6%83%85%E5%A0%B1/

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2024年10月3日

本会の元共同代表、賛同よびかけ人の一人、立命館大学名誉教授の赤澤史朗さんがご逝去

2024年9月20日、本会の元共同代表であり、賛同よびかけ人の一人である赤澤史朗さんが肺炎で逝去されました。享年76歳でした。

赤澤さんは立命館大学名誉教授であり、ご専門は近代日本政治史、思想史でした。

ご著書に『近代日本の思想動員と宗教統制』(校倉書房)、『文化とファシズム』(共編著、日本経済評論社』、『東京裁判ハンドブック』(共編著、青木書店)、『東京裁判』(岩波書店)、『戦没者合祀と靖国神社』(吉川弘文館)、『靖国神社ー「殉国」と「平和」をめぐる戦後史』(岩波書店)、『戦中・戦後文化論』(法律文化社)などがあります。

赤澤さんのお仕事は「ファシズム史などの視点から、日本の近現代の権力構造や思想の推移を解き明かした」(2024年9月29日付の朝日新聞)と言われていますが、赤澤さんが終生、一方ならぬ関心をお寄せになっていたテーマが「東京裁判」と「靖国神社」だったことは注目すべきです。

立命館大学ご退職後、難病に冒され、お身体は必ずしも万全な状態ではありませんでした。

しかし、それにもかかわらず、2016年に本会が発足し、私たち(長谷川、川口、春日)が共同代表のご就任をお願いしたところ、快く引き受けてくださいました。以来、理論面で本会の活動を牽引していただくとともに、実践面でも積極的に活動していただきました。

2017年11月12日の「東京裁判判決71周年記念講演会」では講師として「東京裁判と戦後日本ー東京裁判史観の亡霊ー」と題し、戦後日本の戦争認識の問題点(東京裁判を「報復」としてとらえ、先の戦争を「侵略戦争」と認めることができないこと)を冷静に淡々と批判されました。

さらに、2019年2月19日の「防衛省への陳情書提出と意見交換会」の席上では、本会代表として防衛省担当官に陳情書を手渡されました。そして、引き続き開催された意見交換会では、防衛省担当官を対して東京裁判の歴史的重要性と市ヶ谷記念館における展示の意義を噛んで含めるように諄々と説かれました。

この赤澤さんの説得が功を奏して、さらに日を改めて意見交換を継続することが防衛省との間で合意できました。

同年10月11日に二回目の意見交換会が開催され、その結果、防衛省は本会の展示改善要求の一部を受入れ、本会に対して「東京裁判」関連写真データの提供を要請してきました。本会はこの要請を受けて34点の写真データを提供し、現在、その多くが市ヶ谷記念館に展示されています。(防衛省からの回答と資料【防衛省】提出資料.pdfPDFファイル 1.7 MB PDFの写真を下記に掲載。)

もちろん、これは本会の展示改善要求全体に比すれば、ささやかな一歩にすぎません。しかし、本会発足時の孤立無援の状況に比すれば、大きな一歩でした。そして、この一歩に赤澤さんのお力があったことは間違いありません。

世界が大転換期を迎え、不穏な空気が漂う現在、日本の方向性はいかにあるべきかが切実に問われています。

赤澤さんが戦後日本に対して問い続けた問題は、今後ますます重要になり、そのお仕事は改めて評価されるにちがいありません。

ここ数年、赤澤さんはご体調が優れず、共同代表を辞され、本会の活動も休止されていました。しかし、それでも赤澤さんは本会の精神的な支えであり、私たちのかけがえのない仲間でした。

本会はこれからも赤澤さんの遺されたご意志とともにあり続ける所存です。

最後になりましたが、赤澤さんの御霊に深く感謝申し上げるとともに、謹んで哀悼の意を捧げます。

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防衛省『市ヶ谷記念館』を考える会」は、防衛省から要請を受け写真データを提供しました。

「市ヶ谷台ツーアの市ヶ谷記念館」に展示されている写真。

(了)

 

 

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