日本海軍最後の特攻兵器「伏龍」の教官だった岩井忠正さんが95歳とは思えないくらいのお元気な姿で「伏龍」を説明されていましたので、早速お電話をしました。
太平洋戦争末期、日本海軍の自殺戦法の中で自らの死と向かい合った学徒兵兄弟が、天皇制軍隊の非人間性をその実体験から告発、侵略戦争を美化する世情に時代の証人として証言する。『特攻 自殺兵器となった学徒兵兄弟の証言』
著者の岩井忠正さん、忠熊さん兄弟は大学在学中に学徒動員により海軍に入り、「回天」「伏龍」「震洋」という特攻兵器の訓練を受け、また教官として終戦を迎えたために生還できました。弟の岩井忠熊さんは京都立命館大学教授で、お兄さんの岩井忠正さんは東京都小平市にお住まいでしたので、新宿平和委員会で「伏龍」の講義を、また靖国神社・遊就館内にある「伏龍」の模型前で詳しく説明をして頂いたことがありました。
太平洋戦争末期に米軍が日本本土上陸作戦に対して、日本海軍は「伏龍」という特攻兵器で立ち向かう訓練を横須賀市野比海岸でしていました。
「伏龍」は潜水服を着て、敵上陸用舟艇が上陸するあたりの海中で待ちぶせして、竹竿の先に着けた小型の機雷で水中から攻撃するというものです。管理人が遊就館一階ロビーに展示してある模型の前で「沖縄沖海戦からゼロ戦による特攻が始まり、桜花、回天、震洋という特攻兵器を開発してきましたが、これは海軍最後の特攻兵器伏龍です。」といって、岩井さんから教わったことを説明をしていました。
「伏龍」の潜水服は普通の酸素ボンベではなく、苛性ソーダのボンベをしょって吐く息をその中に通して、炭酸ガスを苛性ソーダに吸収させながら同じ酸素を繰り返し呼吸するので、口で吐くと鼻で吸うを間違えると炭酸ガス中毒になったり、粗雑なボンベの不具合で訓練中に亡くなった方も多かったとのことです。岩井さんも訓練中に事故にあい一命を取り留めたそうです。
遊就館一階展示室15「大東亜戦争5」から展示室16「靖国の神々」の間にあるロビーにあります。
その模型を説明する岩井忠正さん(2003年3月28日)
特攻兵器「回天」の訓練を受けた岩井さんは、大展示室に展示されている実物の「回天」を60年ぶりに触っていました。
展示室14「大東亜戦争4」に展示してある「米軍の本土侵攻作戦計画図」
米軍は「ダンフォール作戦」としました。九州上陸は「オリンピック作戦」関東上陸は「コロネット作戦」
日本軍は本土決戦を「決号作戦」として、国民にも「一億特攻」で竹槍で闘う訓練もさせました。
次回は、回天の乗組員だった方が世田谷区烏山におられましたので、証言をエントリーします。
太平洋戦争末期、日本海軍の自殺戦法の中で自らの死と向かい合った学徒兵兄弟が、天皇制軍隊の非人間性をその実体験から告発、侵略戦争を美化する世情に時代の証人として証言する。『特攻 自殺兵器となった学徒兵兄弟の証言』
著者の岩井忠正さん、忠熊さん兄弟は大学在学中に学徒動員により海軍に入り、「回天」「伏龍」「震洋」という特攻兵器の訓練を受け、また教官として終戦を迎えたために生還できました。弟の岩井忠熊さんは京都立命館大学教授で、お兄さんの岩井忠正さんは東京都小平市にお住まいでしたので、新宿平和委員会で「伏龍」の講義を、また靖国神社・遊就館内にある「伏龍」の模型前で詳しく説明をして頂いたことがありました。
太平洋戦争末期に米軍が日本本土上陸作戦に対して、日本海軍は「伏龍」という特攻兵器で立ち向かう訓練を横須賀市野比海岸でしていました。
「伏龍」は潜水服を着て、敵上陸用舟艇が上陸するあたりの海中で待ちぶせして、竹竿の先に着けた小型の機雷で水中から攻撃するというものです。管理人が遊就館一階ロビーに展示してある模型の前で「沖縄沖海戦からゼロ戦による特攻が始まり、桜花、回天、震洋という特攻兵器を開発してきましたが、これは海軍最後の特攻兵器伏龍です。」といって、岩井さんから教わったことを説明をしていました。
「伏龍」の潜水服は普通の酸素ボンベではなく、苛性ソーダのボンベをしょって吐く息をその中に通して、炭酸ガスを苛性ソーダに吸収させながら同じ酸素を繰り返し呼吸するので、口で吐くと鼻で吸うを間違えると炭酸ガス中毒になったり、粗雑なボンベの不具合で訓練中に亡くなった方も多かったとのことです。岩井さんも訓練中に事故にあい一命を取り留めたそうです。
遊就館一階展示室15「大東亜戦争5」から展示室16「靖国の神々」の間にあるロビーにあります。
その模型を説明する岩井忠正さん(2003年3月28日)
特攻兵器「回天」の訓練を受けた岩井さんは、大展示室に展示されている実物の「回天」を60年ぶりに触っていました。
展示室14「大東亜戦争4」に展示してある「米軍の本土侵攻作戦計画図」
米軍は「ダンフォール作戦」としました。九州上陸は「オリンピック作戦」関東上陸は「コロネット作戦」
日本軍は本土決戦を「決号作戦」として、国民にも「一億特攻」で竹槍で闘う訓練もさせました。
次回は、回天の乗組員だった方が世田谷区烏山におられましたので、証言をエントリーします。