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NHK朝ドラ「エール」古関裕而の妻金子の父内山安蔵の経歴が豊橋市図書館学芸員によって明らかに

2020年07月29日 | 絵画・音楽・文学・映画・演劇・テレビ

友人の村上泉さんは、古関裕而が勤務していた福島県川俣町の「古関裕而ツアー」のボランティアガイドをしています。先日下記のメールが着信しました。

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長谷川様
古関裕而を調べていたら、奥さん金子さんの父は陸軍獣医だったらしい。
獣医名簿等を確かめたわけではないが、愛知県の地方紙での「内山金子物語」による。という事は、世田谷の陸軍獣医学校の卒業生か?。
父 内山安蔵 明治5年(1872)愛知県旧矢名郡下吉田村生まれ。
大正13年(1924)死亡
獣医退役後、内山安蔵商店開設 陸軍第15師団に蹄鉄、馬具を納めていたとある。
当時、軍医、獣医の定年は50歳か、若しくは50歳で予備役,後備役か。
父安蔵は52歳で亡くなった。金子13歳である。
別な金子の事を語った記事に金子の母は古関裕而との結婚に反対し、金子にはエリート軍人との婚約をかんがえていたとある。母が作曲家なんて、どこの馬の骨だかわからない、というと、作曲家の方が世界に有名な人になるといい、母の反対を押し切って半年の文通恋愛の末、婚約したとある。
古関裕而、内山金子の文通書状は半年で百二十通余りあるという。いまでいう遠距離恋愛を成就した訳である。古関裕而の手紙には、福島県川俣町(古関が在籍した銀行のある町)の山を描いたスケッチもあり、山を見ながら貴方を思っていますなんて、さらりと書いてある。
村上泉

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古関裕而の妻金子の父内山安蔵の経歴が、豊橋市中央図書館岩瀨彰利主幹学芸員の調査で明らかになってきました。金沢(第九師団)、久留米(第12師団)、豊橋(第15師団)の陸軍獣医部に所属していたが、当時は獣医の資格も取得できたので獣医となっていたらしい。退役後に「蹄鉄」「蹄油」「馬具」を扱う内山安蔵商店を開業した。東愛知新聞に詳細な記事があります。

豊橋市公式ホームページ

昭和8年2月1日國防知識普及會編輯「輝く陸軍寫眞帖」より。昭和8年当時は、第15師団は第3師団に吸収された。

(了)

 

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