昨年12月に靖国神社をガイドした山梨県職員労働組合から機関紙「やまなし縣職労」が送付されましたのでスキャンをして関連部分をアップします。
県職労では、反戦と平和を守る取り組みを重要な課題のひとつとして、反戦を掲げる集会などに参加するとともに、独自の取り組みとして、太平洋戦争末期の激戦の場となつた沖縄、原子爆弾を投下された広島、また海外では、南太平洋や中国などに反戦交流を行い、身近な場所としては県内に残る戦争遺跡の視察などを実施してきました。 今回、そうした取り組みの一環として、12月22日(土)に、戦争の悲惨さと平和の尊さを改めて認識するために、昨年に続き靖国神社を中心とした「反戦・平和のための視察」を行いました。
まず初めに、東京都江東区にある「東京大空襲・戦災資料センター」を見学しました。 この資料センターは2002年3月に、4、000名を超える方々の募金により建設され、用地は一篤志家から無償提供されたものです。
東京大空襲では、昭和20年3月10日、アメリカ軍の約300機のB29による、雁災者は100万人をこえ、推定10 万人の尊い命が一夜にして失われました。100万人をこえ、推定10万人の尊い命が一夜にして失われました。
センターには、実際に投下された焼夷弾の模型や、体験者の手記・写真、東京空襲の計画やその結果を記録してある米軍の作戦報告資料などとともに、高熱で溶けた瓦と皿、母に背負われ逃げまどった赤ん坊の帽子、ほ乳瓶などの被災品が展示され、当時の東京大空襲の惨状を伝えていました。
次に向かったのは、東京千代田区にある「靖国神社」と「遊就館」です。
ここでは、東京の戦争遺跡を歩く会のボランティアガイドの長谷川さんに案内して頂きました。まず、準備して頂いた資料をもとに靖国神社略年表、A級戦犯について、昭和天皇との関わり、当時歌われていた歌詞等について説明を受け、靖国神社境内では、大村益次郎銅像、神門、母の像、‥・それぞれの場所で立ち止まり由来や役割等について、手製のパネルなどを使い丁寧に説明して頂きました。
戦史展示施設の遊就館では、戦争を中心とした近代史、戦没者の遺品などが展示されていました。参加者は、長谷川さんの話を真剣に聞き入っていました。あの戦争は何だったのか、戦争で死ぬということは何なのか、あらためて考える機会になりました。