小林利男、戸口好太郎、鈴木共明、吉田義雄の各氏と一緒に、「毒ガス被害者をサポートする会事務局長」として旧満州(中国東北部)の毒ガス弾を遺棄した場所まで同行しました。その同行記を順次エントリーします。
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満州の黄土に毒ガス弾を探した同行記「戸口好太郎・小林利男編」
戸口好太郎氏の会社顧問である小野寺利孝弁護士に毒ガス弾遺棄した事実を話し、同僚の小林利男氏と共に中国吉林省敦化市沙河沿の現場調査に向かいます。調査後に、戸口好太郎氏と小林利男氏は裁判所へ陳述書を提出します。
2004年6月29日から7月2日まで小野寺利孝、藤澤整、山森良一、栄枝明典の弁護士、通訳李楼氏及び「毒ガス被害者をサポートする会」である管理人が同行しました。小野寺利孝弁護士は日程上の都合で沙河沿の現場調査後に帰国しました。(約20年前のことなので藤澤整弁護士に助言を頂きました。)
成田国際空港から長春空港に到着、長春駅から夜行列車で敦化駅まで移動しました。途中駅の「蚊河駅」
敦化駅からは吉林省人民政府が用意したマイクロバスで移動しました。関東軍の軍事施設と思われます。
砲弾を集積し、軍命で毒ガス弾だけを土中に遺棄した場所を説明する小林利男氏(左)と小野寺利孝弁護士(右)
地図で説明する小林利男氏。左から通訳李楼氏、小野寺利孝弁護士、右端は戸口好太郎氏
セメント工場
旧満州鉄道の線路
現地の中国人ガイドは、マイクロバスの調査団を、日本人が住んでいるからと小屋に案内しました。そこには、日本人残留婦人がたったひとりで生活していました。小野寺弁護士が聞いたところ、日本に帰国するのは諦めているそうでした。小野寺利孝調査団長、山森良一弁護士、藤澤聖弁護士、榮田明典弁護士は幾ばくかの紙幣を置きながら、何時までもお元気に暮らしてくださいと励まして小屋を離れました。
山森弁護士は「きれいな日本語を話したこと、終戦当時18か19歳だった事は覚えております。」と言われています。声をかける山森良一弁護士
翌日は、ホテルの敦化賓館で記者会見をしました。
左から栄枝明典弁護士、山森良一弁護士、藤澤整弁護士、戸口好太郎氏、小林利男氏、通訳李楼氏
中国人記者からの質問に、戸口好太郎氏は「毒ガス弾と言えども天皇陛下からお預かりした。軍命がなければ絶対に捨てることは出来ない。」と答えました。
夕食会席上にて。左から吉林省人民政府外事辯公室亜州處張明氏、戸口好太郎氏、小林利男氏
左から黒竜江省社会科学院歴史研究所高暁燕(ガオ・シュー・ヤン)研究員、旧満鉄運転手陳延生氏、現地住民、通訳李楼氏
旧満鉄運転手陳延生氏は、毎日毎日砲弾が入った木箱を貨物列車で運んだと証言してくれました。
最終日は、長春市偽満州国博物館等の見学
前列右から小林利男氏、戸口好太郎氏、管理人、後列右から吉林省人民政府外事辯公室亜州處張明氏、栄枝明典弁護士、山森良一弁護士、藤澤整弁護士、通訳李楼氏
成田国際飛行場にて。右から通訳李楼氏、藤澤整弁護士、戸口好太郎氏、小林利男氏、管理人。
「季刊・戦争責任研究」65号「毒ガス裁判と毒ガス被害者を支える人々の系譜」【再掲】秀逸な映像作品。NHK・ETV特集「隠された毒ガス兵器」
中国大陸に毒ガス弾を捨てた兵士の「東京地裁・東京高裁陳述書」甲第121号証鈴木智博氏
中国大陸に毒ガス弾を捨てた兵士の「東京地裁・高裁陳述書」甲第306号証甲斐文雄氏
中国大陸に毒ガス弾を捨てた兵士の「東京地裁・高裁陳述書」甲第260号証興梠治照氏
中国大陸に毒ガス弾を捨てた兵士の「東京地裁・高裁陳述書」甲第306号証吉田義雄氏
中国大陸に毒ガス弾を捨てた兵士の「東京地裁・高裁陳述書」甲第252号証戸口好太郎氏
中国大陸に毒ガス弾を捨てた兵士の「東京地裁・高裁陳述書」甲第251号証小林利男氏
中国大陸に毒ガス弾を捨てた兵士の「東京地裁・高裁陳述書」甲第329号証鈴木共明氏
(続く)