遺棄毒ガス被害者問題関係の皆様
ご無沙汰をしております。
さてYahoo!ジオシティーズは、下記の通知のように今月末日をもってサービスを停止します。
Yahoo!ジオシティーズを利用していた「人骨の会」は、FC2に移行しました。
以前も、OCNが利用停止をしましたので「長谷川オフィスニュース」は、同じNTT東日本系列のgooブログに乗り換えましたが、2006年以前の記事は消滅しました。
今回も何処かのサイトに乗り換えなくてはなりませんが、今月で82歳になりましたので、移行技術も気力も衰えました。
また、会長だった矢口仁也さん、裁判で証言された小林利男さん、文書で証言した鈴木共明さん、同じく戸口好太郎さん、同じく吉田義雄さんも鬼籍に入られました。
よって、今月末をもって「毒ガス問題を考える会」(サポートする会)のサイトは、自然停止を致します。
もしも必要な記事がありましたら、プリントアウトやペーストして下さい。
皆様のご活躍を祈念いたします。
長谷川順一拝
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akebonobashi6343 様
いつもYahoo!ジオシティーズをご利用いただきありがとうございます。
2018年10月1日にお送りしたメールでご案内させていただきました通り、「2019年3月31日」をもってYahoo!ジオシティーズを終了することにいたしました。
サービス終了が2週間後に迫っております。引き続きホームページの公開をご希望の方は、至急ホームページの移行を行ってくださいますようお願い申しあげます。
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管理人としては、記念すべきデーターだけは、このgooブログに記録したいと考えています。
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毒ガス問題を考える会
(毒ガス問題の過去・現在・未来を考え、旧日本軍の被害者をサポートする会)
日中戦争終結62年の今年は日本帝国陸海軍が毒ガス弾(剤)を遺棄してから62年目です。毒ガス被害者の人権回復を実現するために皆さんのご支援をお願い致します。
毒ガス兵器の過去と現在
会の活動とお知らせ
中国人被害者の裁判(第一次・第二次)
チチハル遺棄毒ガス被害者弁護団
’04敦化・’05広州事件被害者弁護団
毒ガス被害者の声
ニュースリリース
資料・パンフ紹介
リンク集
事務局長のひとこと
支援カンパはこちらへ
今後のwebサイトでの情報は遺棄毒ガス問題ポータルサイトに移行しましたので引き続きご支援下さいよろしくお願いします。
今回「化学兵器CAREみらい基金」から出版された本は、遺棄化学兵器の問題について中高生向けにまとめた本ですが、この分野での第一人者である 吉見義明中央大教授が監修してくださったこともあり、遺棄化学兵器の問題についての入り口的な本にもなっています。中国での被害についてだけでなく、広島県大久野島の話など日本国内での戦後の被害の話もでてきます。
ご購入は一般書店又はアマゾンでお求め下さい。
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事務局長のひとこと
06.2.14
2月11日、山森良一弁護士にお供して宮城県へ毒ガス弾を遺棄した元兵士の聞き取り調査に行ってきました。
その方は04年9月に高裁で証人となった小林利男さん、陳述書を提出した戸口好太郎さんの戦友で関東軍第一方面軍直轄第16野戦兵器廠技術軍曹(下士官)だった鈴木さん(83歳)です。
鈴木さんは大変お元気で軽自動車を自ら運転をして私達を駅からの送迎をして下さいました。また記憶もしっかりしていて当時の年月日を正確に覚えていました。
聞き取りは午後1時から5時までの4時間に及びました。
開口一番に麻生外務大臣が「兵士は天皇陛下万歳をして死んでいった」といっているがとんでもない。シベリアで寒さと飢えで死んでいった6万人の兵隊達は何も言わずに死んでいった。死ぬ間際に言ったとしても「お母さん」とは言ったかもしれないと怒っておられました。
今回の調査で得られた成果は
1)署名捺印し陳述書として裁判所に提出しても良いことを快諾していただいたこと。
2)所属兵士による戦友会があり、箱根で秋に戦友会を開催していることと、1984年11月に「追想」という会誌を発行していたことが判っかたこと。(会誌は山森先生が拝借してきました。)
3)会誌の中には毒ガス弾を遺棄した兵士の記述や小林さんの部隊がいた野積み弾薬庫位置が明記されたイラストもあったこと。
4)鈴木さんは兵器廠本部があった敦化市大橋(たいきょう)勤務であったために第一方面軍からの命令・伝達についての具体的証言が得られたこと。
5)大橋駅南方約1キロメートル地点から東側に沙河沿飛行場までの専用鉄道線が分岐していたことは前回の調査で現認していましたが(現在セメント工場でそのレールを使用している)大橋駅西側にも専用線が分岐されいて毎日弾薬を積み卸して野積みにしていた。
さらに敦化へのトラックが通れる作戦用道路を本部から奥の方につくっていたがその奥に洞窟を掘って弾薬庫にしていたこと。
6)8月17日に「一切の戦闘行為を停止する」第一方面軍依命通達があり、部隊長から天皇の終戦の詔勅を聞かされた。18日にジープに乗ってきたソ連の軍使と部隊長が会談をした後に小銃と銃剣の武装解除があった。19日20日21日22日の暗くなってから命令によって作戦用道路の脇に約2㍍四方、深さ約2㍍の穴を掘り、瓦斯弾を木箱の儘埋めた。トラックはライトを付けないで運んでいた。朝になると幕舎の中で寝ていた。瓦斯弾を選別したのは弾薬班である。川の橋の上から瓦斯弾を捨てたという話も聞いた。
以上遺棄した状況の証言が得られたこと。
7)敦化などに多数の弾薬(瓦斯弾も)が集積されたのは「ト号作戦」によるものである。「ト号作戦」とは本土、朝鮮半島に近接したラインまで防衛線を下げる大本営の作戦。大砲、戦車は本土と南方に運ばれたから弾薬だけとなったのであるとハッキリと説明された。
河東に部下10数名を連れての出張中にソ連侵攻となり戦車砲による戦死者戦傷者がでたが戦死者は牡丹江で荼毘に付して大橋まで持ち帰った。戦死者の遺骨は敦化に埋めてきた。遺骨収集に行きたいと思い厚生省、外務省に電話をしたが中国ではできないと言われたが諦めきれないし、心残りであると言われたことが重く印象に残りました。
詳細なことについては山森先生が陳述書原案として書かれると思います。
05.12.20
訪中報告 2005.12.20
毒ガス被害者をサポートする会事務局長 長谷川 順一
行程
12月11日(日)09時45分成田空港発。
12時05分上海空港着。
ホテル上海国際飯店で南典男弁護士に合流。
17時よりホテル内で中国918愛国網関係者らと懇談。
12日(月)13時10分上海空港発。
17時05分延吉空港着。
山田勝彦弁護士、菅本麻衣子弁護士(58期)、蘇向祥弁護士(北京市北人律師事務所)、通訳氏と空港で合流。ホテル延吉白山大厦に宿泊。
13日(火)08時13分ホテルを専用車で出発。
10時10分ハルバ嶺着。
11時10分ホテル敦化京華大酒店に到着。羅麗娟弁護士(哈爾濱市黒竜江北辰律師事務所)も夜行列車で午前3時に到着。
13時45分より周君、劉君と各々の父親から聞き取りを始める。
14時05分聞き取りを中断。全員がホテルを出発。連花泡林場到着。雪原を約20分で被害現場に到着。川の中に入り少年二人から当時の説明を聞く。17時10分ホテル着。聞き取りを再開。
羅弁護士は夜行寝台列車で哈爾濱に出発。
14日(水)08時10分から9時25分まで劉君の父親と面談。その後周君の父と10時25分まで面談。
13時ホテルを専用車で出発。
昨年小林利男さん、戸口好太郎さんと調査した毒ガス弾を遺棄した大橋の谷に行く道路と沙河沿飛行場入り口にあるセメント工場を案内し、説明をする。
16時ホテル延吉白山大厦に到着。蘇弁護士と通訳氏は夜行寝台列車で哈爾濱に出発。
15日(木)06時50分ホテルを出発。
08時延吉空港を出発。9時50分北京空港到着。14時50分北京空港を出発。19時成田空港到着。
(1)上海では中国918愛国網のサイト関係者らと懇談した。
中国における戦後補償関連サイトと中国人戦争被害者の要求を支える会、毒ガス被害者をサポートする会、ABC企画などのサイトも中国簡体文字版をアップし日中共同の運動をさらに有機的に発展させることが至急求められていることを痛感した。
(2)吉林省敦化市では昨年7月23日に小川で遊んでいるときに川の中から拾った日本軍が遺棄した毒ガス弾から漏れだしたイペリット液によって被害を受けた周君(13歳)と劉君(9歳)の少年二人とお父さんに会い、零下20度の雪原をかき分けながら被害現場まで行って調査をした。【中国の新聞報道】
周君のお父さんがお祖父さんから聞いたことによると現場には3軒の民家があったが日本軍は立ち退かせた後に軍用倉庫を建設したそうである。ですから敗戦後軍用倉庫に保管していた毒ガス弾を敗戦時に土中に遺棄し、その内一本が雨で川の中に流されたと考えられる。周君の行為によって大量の遺棄弾が発見されたことになるのである。この現場は日本軍が「遺棄する時間的余裕が充分にあったこと」を見事に証明しているのである。
飲用の井戸水も汚染されている。これまでに村で亡くなっている人の90%が癌で死亡しているそうである。そのことが疫学的にも証明されたならば大変な被害である。
周君のお父さんが「60年前には日本軍に侵略され、今、息子が4世代目になっても侵略戦争の被害を受けている。その痛みに悲しくてたまりません」と言われたことが印象的であった。
入院中の病室へ訪ねてきた日本外務省の某氏は中国語で「対不起」(トエ ブ チー・ごめんなさいの意)とたった一言だけ二人のお父さんに言って帰ったそうであるが余りの誠意の無さに呆れるばかりである。
来年3月にチチハル被害者の健康調査が哈爾濱の病院で行われ事が準備されているが、周君と劉君もこの時に健康調査のため哈爾濱に行くことを約束してくれた。さらには5月の政府交渉のためにも訪日してくれるようにもお願いをした。
今後は山田弁護士を主任とし、菅本弁護士など新進気鋭の弁護団が結成されることを期待すると共に我々サポートする会も「化学兵器CEARみらい基金」など他団体と連携を強め、被害者の救済と化学兵器廃絶の運動を発展させる決意を新たにした訪中であった。
05.11. 4
自民党の山谷えり子議員が7月5日に参議院外務防衛委員会で中国における遺棄毒ガス問題を質問しました。質問要旨と同じようなことを産経新聞が10月24日に「遺棄化学兵器 今後も厳密な確認調査を」と題する主張を掲載しました。
これらの論調は第一次訴訟の勝利判決後に雑誌「正論」に掲載された稲田朋美弁護士(現在は衆議院議員)と同じものです。
この論調に対する明快な回答が吉見義明教授の証言でした。担当した大江京子弁護士との主尋問は裁判史上に名を残すであろう切れ味鋭く、迫力あふれる素晴らしい証言でした。
但し中国ハルバ嶺における遺棄処理事業に関わる日本企業の不透明さと中国側の問題は別途解決しなければならないと考えます。
05. 7.30
中華全国律師(弁護士)協会は29日、「対日民間賠償請求法律援助専門基金」を設立したことを発表しましたが、このことの持つ意義は大変に大きいと言えます。 それは同基金は、国務院の管理規定に従って管理・使用されると報じられていますので、中国政府が本格的に戦後処理の「慰留問題」を支援することになったことです。
05. 7.26
チチハル弁護団のページをアップしました。
05. 4. 8
最近の裁判状況について私の所感を掲載しました。
05. 4. 5
環境省は25日、「念のため日常生活上の安全性を確認する必要がある」として来年度、環境調査を実施する10カ所を発表しました。環境省に電話で尋ねたところフォローアップ調査後の新たな情報として▽山形県米沢市郊外と宮崎県都城市があったので追加しこれまでの8ヶ所に加え10ヶ所としたと答えました。米沢市は新宿区百人町の6研が疎開した場所だそうです。
ニュースリリースをご覧下さい。
05. 3.10
2004年の活動報告と2005年の活動方針をアップしました。会の活動
05. 3. 7
原告代理人が哈爾濱郊外で毒ガスを遺棄した元軍属の証人を申請した。国側代理人は本件事故を関連がないとから証人申請に拒否の発言をした。それに対し裁判長はそんなにぴったりした証拠はありませんよねー。と国側を批判した。ニュースリリースをご覧下さい。
05. 1.20
16日17日の毒ガス3弁護団新春大久野島ワークショップに参加してきました。会の活動に報告概要をアップしました。
05.21.15
茨城県神栖町の毒ガス被害で環境省が調査をしていましたが汚染源と見られるコンクリートが見つかりました。
明日16日から毒ガス3弁護団新春大久野島ワークショップがあり私も参加します。神栖の弁護団と今後の対応について打ち合わせをしてきます。
ニュースリリースをご覧下さい。
04.12.10
12月9日に東京高裁で元日本兵に対する国側の反対尋問がありました。東京新聞が10日付朝刊で報道してくれました。
またアップが遅れましたが11月8日付人民日報日本語版の記事を転載します。この記事は関東軍野戦兵器廠哈爾濱支廠で毒ガス弾を遺棄した元兵士の証言で、吉林省敦化市における証言と並ぶ重要な証言です。ニュースリリースをご覧下さい。
04.12. 2
今日から「事務局長のひとこと」のページを新設しました。毒ガス被害者をサポートする会の活動やサイトの更新情報を主な内容と致します。
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会の活動
「大久野島を出発点に毒ガス問題の全面解決を」
中国人毒ガス・砲弾被害者賠償請求裁判の弁護団、03年8月4日に中国チチハル市でおきた毒ガス被害者44人を支援する弁護団、茨城県神栖町の被害者を支援する弁護団の弁護士19人と国会議員、毒ガス被害者をサポートする会、ABC企画のメンバーが1月16、17日にかつて国内最大の毒ガス製造工場があった大久野島(広島県竹原市)に集まりました。
初日は活動報告と島内にある毒ガス資料館を訪ね、防毒具や製造装置を見学し、二日目は、工場群から漏れる毒ガスで島全体が汚染されていた戦時中の状況や、戦後も毒ガス患者が慢性気管支炎などに苦しみ続けている実態を元養成工員の村上初一さん(79)と、呉共済病院忠海分院の元院長行武正刀さん(70)が講演しました。その後、毒ガス島歴史研究所事務局長山内正之さんの案内であか剤が未だに埋められている島内をフィールドワークしました。
三弁護団は今後も定期的に会合を開き、賠償請求だけでなく、被害者の医療ケアや遺棄弾処理など総合的な政策を政府に求めていくことを確認しました。
南典男弁護士は「大久野島では毒ガスの問題をリアルに理解できた。戦後60年を機に三弁護団で協力し、問題の全面的な解決のために政府を動かしたい」と語っています。
毒ガスの過去・現在・未来を考え、旧日本軍の被害者をサポートする会
(通称・毒ガス被害者をサポートする会)
私どもは、旧日本軍が中国で遺棄した毒ガス弾による被害者の支援活動を中心に 「日本軍の残した毒ガス被害者を支援する会」として活動してきました。昨年の 秋にこれまでの運動をさらに発展させ、被害者の人権回復・救済と化学兵器の完 全廃絶を求めるために、国内外の世論喚起を求めるアピール運動も目的に加えて 生まれたばかりの市民団体です。
化学兵器禁止条約が発効してから8年目の2006年を迎え、旧日本軍が中国 に残した遺棄毒ガス弾の廃棄は進んでいるのでしょうか。中国だけではなく、日 本においても、昨年の9月、神奈川県寒川町で遺棄毒ガスが発見されました。こ れは私たちの生活の身近なところに発生した問題です。そして何よりもこれらの 毒ガス被害に遭われ、今なお後遺症に苦しむ方々の健康と生活の保障はどうなる のでしょうか。問題は山積しています。今も戦争は終わっていないのです。
私たちは、活動の出発点として、毒ガス問題の背景を学び、これからの課題を整 理するために、03年3月8日に国際シンポジウムを開催しました。その時採択した国際アピールの賛同を広げ、5月15日と9月29日の東京地裁判決にたいする取り組みをしていますが幅広い皆 さんのご支援なしには成り立ちません。この様な趣旨をご理解いただき、会への入会とご支援を宜しくお願いします。
個人年会費1口 1000円
団体年会費1口 3000円
原告の来日渡航費や活動カンパを訴えています。
【郵便振替 00160-8-583130 口座名毒ガス被害者をサポートする会】
初めて誠意ある裁判官に接して
毒ガス被害者をサポートする会代表 矢口 仁也
2003.11.10
9月29日の遺棄毒ガスによる中国被害者の第一次訴訟で、原告の全面的勝利という歴史的にして画期的な判決が出されました。初めて裁判官の人間としての誠意ある判決に接して、私達も笑顔をもってこれに対することの出来た素晴らしい裁判でした。
ここに至った道は厳しく長い時間であったけれども、弁護団の論理と情理を尽くした弛みない努力のお陰と高く評価し、感謝しております。そして、私達多くの市民の皆さんが、それぞれの立場で主体性をもって弁護団を支援し、勝利のために闘ってきたこともこの判決を生み出した大きな力でありました。 有難うございました。
この強大な力は、どうして発揮されたのでしょうか。
それは、第一に、加害者として犯してしまった侵略戦争の責を心に秘めながら、なんとしても毒ガス被害者に誠心誠意尽くさなければならないという心情と、第二に、日本政府に対して侵略戦争と犯した罪業の歴史的事実をはっきりと認めさせ、アジアの皆さんに心より謝罪させ、その証として具体的な処置をとらせることによって戦争責任を少しでも果たさせることでありました。これらのことが実現しない限り、あの戦争の真の終結は無いし、従ってアジアの平和と友好を実現することは不可能という堅い意志からであります。
しかしながら政府は、10月3日、控訴してしまいました。今回の判決は、人間の命の尊重ということを主軸にし、生命を脅かす危険物・毒ガスを排除する努力を日本政府はしてこなかった怠慢を指摘し、日本政府の責は重いという論理でした。誰にでも納得できる内容でした。政府は゛控訴゛ということによって又々矛盾に矛盾を重ねていく大変な過ちを犯していくのではないでしょうか。どのような控訴の論理が出てくるのでしょうか。
しかし、矢が放たれた以上、私達も今迄以上に強い意志と姿勢で闘っていかなければなりません。今迄のご支援、ご協力に心から感謝申し上げるとともに、今後の一層の活躍を祈ってやみません。ともに完全勝利のために闘っていきましょう。
日本が残した毒ガス被害者を支える会」は02年10月、①国際アピール運動②12月5日の2次訴訟結審での傍聴参加と報告会の開催③大久野島スタディーツアーの開催④国際シンポジウムの開催⑤体制の強化を確認しました。そして議論を進める中で会の名称は「毒ガスの過去・現在・未来を考え、旧日本軍の被害者をサポートする会」としました。
結審で判決日が03年5月15日と決まったこともあり、日本が日中戦争以来、ふりまいてきた毒ガス問題を包括的に検証し、日中の毒ガスの被害者と毒ガスをめぐる各分野の第一線の研究者が一堂に会する初めての国際シンポジウム「毒ガスの完全廃絶を求めて~悪魔の連鎖を断ち切ろう~」を3月8日に開催することになりました。
国際シンポの当日は会場の東京・飯田橋「家の光会館」を約150人が会場を一杯に埋め尽くしました。【写真】中国からは、原告の仲江さん、遺棄兵器被害の現地調査に当たった黒竜江省社会科学院の歩平副院長が出席。日本側からは、生物・化学兵器問題に詳しい科学史の常石敬一神奈川大教授、毒ガスの歴史検証を精力的に行っている日本近現代史の吉見義明中央大教授に加え、パネルディスカッションのコーディネーターとして、有事法制などについて活発な意見表明をしている憲法学の水島朝穂早大教授が参加。さらに、大久野島毒ガス史料館の元館長、村上初一さんと、旧相模海軍工廠の工員だった奥山辰男さんも体験談を語りました。
「双方の毒ガス被害者が団結して日本政府の責任を追及し、正義を求めようではないか」中国人被害者の仲江さんは、この言葉で証言を締めくくりました。仲江さんは1982年、黒竜江省牡丹江市で土木工事の監督中に、たまたま見つけた日本軍の致死性毒ガス、イペリットを浴び、重症を負った「戦後の戦争被害者」です。後遺症に苦しみ仕事の継続を断念、妻と子どもも仲江さんのもとを去る厳しい生活を強いられているだけに、団結の呼びかけの意味は深いものがあります。
討議では、「非核宣言」に続く「毒ガス廃絶宣言」の決議を国会に求める意見などが提起され、最後に『兵器というモノの廃棄だけではなく、被害者への補償や実効性のある再発防止策が講じられてこそ「毒ガス兵器の全廃」が実現されると訴え、日本政府に対し、責任の所在を明確化した上で、全ての被害者への補償、新たな被害を食い止めるための情報の公開などをすみやかに行うことを求める』要旨のアピール(別紙)を採択しました。
アピール
毒ガス兵器の完全廃絶を求めて 2003年3月8日
「日中双方の毒ガス被害者が団結して日本政府の責任を追及し、正義を求めようではないか」。日本軍の遺棄毒ガス兵器による中国人被害者の仲江さんは、この言葉で証言を締めくくった。日本軍は毒ガス兵器を大量製造し、国際法を無視して日中戦争時に中国で使用した。仲江さんは1982年、中国黒竜江省牡丹江市で土木工事の監督中に、たまたま見つけた日本軍の致死性毒ガス、イペリットを浴び、重症を負った「戦後の戦争被害者」だ。後遺症に苦しみ仕事の継続を断念、妻と子どもも仲江さんのもとを去る厳しい生活を強いられているだけに、団結の呼びかけの意味は深い。
わたしたちは、東京・飯田橋の家の光会館に集まり、「毒ガスの完全廃絶」を求めて、議論を掘り下げた。
中国に日本軍が持ち込み、敗戦時に放置した遺棄毒ガス兵器は推定70万―200万発に上る。その遺棄毒ガス兵器による中国人被害者は、少なくとも100人近くに達する。国内では戦時中、毒ガス製造に従事した人々の多くが仲江さんと同じような後遺症に苦しんでいる。昨年9月には、神奈川県・寒川町の海軍の毒ガス製造施設跡での道路工事中にイペリットなどの入ったビール瓶10数本が発見され、作業員11人が被災する事件が起きた。中国でも、遺棄毒ガス兵器による被害は後を絶っていない。日中ともに今後、日本軍の毒ガスが新たな被害をもたらす可能性は依然、残っている。「日本の毒ガス史」は未だ現在進行形であることを今日、わたしたちは確認した。
これらの問題の出発点は、取りも直さず日本軍が毒ガスを大量に製造し、実戦で使用したことにある。日本軍は毒ガス弾や発炎筒型兵器など推定600万―750万発を製造、少なくとも185万発が中国に持ち込まれた。中国側の研究によれば、日本軍は中国で2000回以上毒ガス兵器を使用し、9万5000人が負傷した。こうした日本軍の毒ガス兵器をめぐる実態は、戦後長い間、隠ぺいされ、学術研究やジャーナリズムによって明らかにされたのは1980年代に入ってからだ。政府によるこの歴史事実の隠ぺいは、毒ガス使用が国際法違反行為であったことに主な理由があるのは間違いない。この政府の姿勢が国内の被害者の救済を遅らせた。中国の被害者には何ら救済措置が講じられていない。
核、生物兵器とともに大量破壊兵器に位置付けられる毒ガス兵器は、1997年4月に発効した化学兵器禁止条約により遺棄兵器を含め2007年4月までの地球上からの全廃が義務づけられた。わたしたちは、兵器というモノの廃棄だけではなく、被害者への補償や実効性のある再発防止策が講じられてこそ「毒ガス兵器の全廃」が実現されると訴える。
日本政府に対し、責任の所在を明確化したうえで、すべての被害者への補償、新たな被害を食い止めるための情報の公開などをすみやかに行うことを求める。
討議では、国会で「非核宣言」に続く「化学兵器廃絶宣言」を決議することを提起された。市民レベルの軍縮を推し進めていくことを確認しアピールとする
国際シンポジウム
「毒ガスの完全廃絶を求めて~悪魔の連鎖を断ち切ろう~」
参加者一同
毒ガス被害者をサポートする会は「毒ガス被害者の尊厳を回復し毒ガス兵器の完全廃絶を求める国際アピール」と「旧軍毒ガスホットライン」の発表記者会見を03年8月13日に豊島区南大塚社会教育会館で行いました。記者会見には会の代表矢口仁也さん、南典男弁護士、被害者の度会孝子さん、中国人被害者の要求を支える会事務局長大谷猛夫さんが臨みました。
記者会見
右から大谷猛夫さん、矢口仁也さん、度会孝子さん、弁護士南典男さん。
茨城県神栖町の被害者度会孝子さん。
弁護士南典男さん。
テレビカメラが放列する記者会見場
質問をする新聞記者
旧軍毒ガスホットラインに寄せられた戦車5台と毒ガスを投げ込んだ中国東北部「鏡泊湖」を黒板に書いて説明する矢口さん。
「日本が残した毒ガス被害者を支える会」と「毒ガス被害者をサポートする会」の活動記録
■2001年11月10日
学習会「化学兵器って何?」
場所:内神田社会教育会館
講師:常石敬一さん(神奈川大学教授)
■2001年12月6日
日本軍遺棄毒ガス・砲弾被害事件(第2次)訴訟
■2001年12月17日
日本軍遺棄毒ガス・砲弾被害事件(第1次)訴訟
蘇向祥さん(中国人弁護士)の証人尋問
■2001年12月18日
日本軍遺棄毒ガス・砲弾被害事件(第2次)訴訟
蘇向祥さん(中国人弁護士)の証人尋問
■2001年12月18日
「まだ戦争は終わっていない」-毒ガス被害者の証言を聞く会-
場所:中野区勤労福祉会館
講師:山口千三さん&奥山辰男さん(元相模海軍工廠毒ガス障害者)
金子安次さん(中国で毒ガス戦に参加した元日本軍兵士)
蘇向祥さん(中国人弁護士)
■2002年1月19日
学習会「ハルビン報告」-毒ガス被害者に会ってきました-
場所:南大塚社会教育会館
講師:松野誠也さん(毒ガス研究者・明治大学大学院後期博士課程)
■2002年2月4日
日本軍遺棄毒ガス・砲弾被害事件(第1次)訴訟
原告・仲江さん(遺棄毒ガス弾被害者)の証人尋問
■2002年2月5日
「まだ戦争は終わっていない」-毒ガス被害者の証言を聞く会-
場所:豊島区生活産業プラザ
証言者:仲江さん(遺棄毒ガス弾被害者)
講師:三嶋静夫さん(ABC企画事務局長)
常石敬一さん(神奈川大学教授)
■2002年2月28日
日本軍遺棄毒ガス・砲弾被害事件(第2次)訴訟
歩平さん(中国黒龍江省社会科学院副院長)の証人尋問
■2002年2月28日
学習会「まだ戦争は終わっていない」-歩平さんのお話を聞く会-
講師:歩平さん(中国黒龍江省社会科学院副院長)
山辺悠喜子さん(元中国人民解放軍兵士・ABC企画・遺棄毒ガス被害者の聞き取り調査)
■2002年3月22日
日本軍遺棄毒ガス・砲弾被害事件(第2次)訴訟
原告・張岩さん、李国強さん(遺棄毒ガス弾被害者)の証人尋問
■2002年3月23日
「まだ戦争は終わっていない」-毒ガス被害者の証言を聞く会-
場所:豊島区生活産業プラザ
証言者:原告張岩さん、李国強さん(遺棄毒ガス弾被害者)
講師:吉見義明さん(中央大学教授)
■2002年4月13日
学習会「中国に毒ガスを捨てた証言を聞く会」
場所:豊島区生活産業プラザ
講師:鈴木智博さん(元日本兵)
■2002年5月13日
日本軍遺棄毒ガス・砲弾被害事件(第2次)訴訟
原告・李臣さん(遺棄毒ガス弾被害者)の証人尋問
■2002年7月8日
日本軍遺棄毒ガス・砲弾被害事件(第2次)訴訟
原告・劉敏さん(遺棄砲弾被害者遺族)の証人尋問
■2002年7月9日
学習会「戦後も続く戦争の被害」
場所:豊島区エポック10
証言者:原告・劉敏さん(遺棄砲弾被害者遺族)
講師:本多勝一さん(ジャーナリスト)
北川泰弘さん(地雷廃絶日本キャンペーン代表)
■2002年10月9日
学習会「15年間の毒ガス取材記」-大久野島・ハルビン・そして今後の課題-
講師:辰巳知二(共同通信外信部記者)
■2002年10月21日
日本軍遺棄毒ガス・砲弾被害事件(第1次)訴訟
■2002年10月31日
日本軍遺棄毒ガス・砲弾被害事件(第2次)訴訟・最終弁論
■2002年12月5日
日本軍遺棄毒ガス・砲弾被害事件(第2次)訴訟・結審
原告・李国強さん(遺棄毒ガス弾被害者)が意見陳述
■2002年12月21~22日
大久野島スタディーツアー「地図から消された島」
現地での学習会
講師:村上初一さん(元大久野島毒ガス資料館長・元忠海製造所養成工・毒ガス障害者)
行武正刀さん(元呉共済病院忠海分院長)
藤本安馬さん(元忠海製造所養成工・毒ガス障害者)
ガイド:山内正之さん(毒ガス島歴史研究所)
■2003年3月8日
国際シンポジウム「毒ガスの完全廃絶を求めて」
場所:飯田橋・家の光会館
証言者:奥山辰男さん(元相模海軍工廠工員・毒ガス障害者)
仲江さん(原告・遺棄毒ガス弾被害者)
村上初一さん(元大久野島毒ガス資料館長・元忠海製造所養成工・毒ガス障害者)
パネラー:常石敬一さん(神奈川大学教授)
歩平さん(中国黒龍江省社会科学院副院長)
水島朝穂さん(早稲田大学教授)
吉見義明さん(中央大学教授)
国際アピール「毒ガス兵器の完全廃棄を求めて」を採択
■日本軍遺棄毒ガス・砲弾被害事件(第2次)訴訟・判決
原告張岩さん(遺棄毒ガス弾被害者)が傍聴
■2003年6月25日
日本軍遺棄毒ガス・砲弾被害事件(第2次)訴訟・東京高裁に控訴
■国際アピールのよびかけ人と賛同人・賛同団体のお願い文を発送
■2004年2月12日
第二次控訴審第1回審理
■2004年2月10日
第一次控訴審第2回審理
■2004年2月13日
李国強さん国会報告
●2004年 2月13日
サポートする会学習会~中国人毒ガス被害者勝訴に対する国の控訴理由書を批判する~ 講師藤澤整弁護士 会場:エポック10
●2004年3月 6日
04年度第二回定期総会 会場:早稲田奉仕園会議室
■2004年4月13日 第二次訴訟控訴審第2回
■2004年4月26日 第一次控訴審第3回審理
●2004年5月 5日~9日 03年8月4日チチハル毒ガス被害事件原告団来日 5月 8日 原告団との懇談会
■2004年6月16日
第一次控訴審第4回 原告孫景霞さんが来日し証言
◆報告集会:弁護士会館・『にがい涙の大地から』一部上映
●2004年6月29日~7月2日
吉林省敦化市に元下士官2名の毒ガス遺棄現場調査に長谷川j事務局長が同行。
■2004年7月 6日
第二次控訴審第3回 報告集会 弁護士会館
●2004年7月24日
毒ガス4団体共催 「8.4チチハルからの報告会」~毒ガス被害者が求めていることは何か~
●2004年 8月20日
チチハル事件被害者馮佳縁ちゃん(11)とお母さんの白玉栄さん(39)が来日、神栖町被害者青塚美幸さん親子と共に国会内で記者会見
●2004年8月28日29日の2日間
旧軍毒ガス情報ホットライン(第3回)場所:ピープルズ法律事務所
■2004年9月13日
第一次第5回控訴審 報告集会 弁護士会館
■2004年11月 2日
高裁第二次控訴審第4回 Kん証人尋問
報告集会 弁護士会館 陳述書を参加者に配布。
●2004年10月 7日
8・4斎斎哈爾被害者弁護団会議に長谷川事務局長が参加
●2004年10月30日
報道関係に「旧軍毒ガス情報ホットラインの結果について」と「ホットライン常設のお知らせ」を発送
●11月 3日~7日
8・4斎斎哈爾被害者弁護団準備会第三次聞き取り調査の参加に長谷川事務局長が参加。
■2004年12月 1日
第一次第6回控訴審 報告集会
■2004年12月 9日
高裁第二次控訴審第5回 国側の証人尋問
報告集会 弁護士会館
●PT会議
インターネットで検索すると遺棄毒ガス処理にゼネコン、大手コンサルタントの動きが判明した。特に自衛隊化学学校関係OB、日本郷友連盟関係者が「専門の委員」として名を連ねている。今後形を変えた「ODA」としてゼネコン、政治家の食い物にしないために会として監視活動を強めることにした。
●映画「苦い涙の大地から」を鑑賞した中帰連故三尾豊氏の家族から100万円のカンパがあり、中国人毒ガス被害者の治療費用に充てて欲しいというカンパの趣旨を確認して中国人毒ガス被害者基金として処理する。
2005年度活動方針
●第一次控訴審並びに第二次控訴審の傍聴
●裁判の報告会や原告の歓送迎会への参加
●弁護団哈爾濱市現地調査団に同行(毒ガス弾を敗戦時に哈爾濱市郊外の井戸に埋めた関東軍軍属が証言予定の関連)
●斎斎哈爾8・4事件被害者と弁護団の活動に協力
●神栖町の被害者と弁護団の活動に協力
●寒川町の被害者の実態を調査することと現地に於ける映画会などの開催
●内閣府遺棄化学兵器処理担当室を改組し、国内外の所在調査と被害者対応を目的にした部局とする立法を求める運動の提起
●毒ガス情報ホットラインの常設とマスコミへの告知
●ホットライン情報提供者との面接調査
●国会図書館、防衛庁防衛研究所図書館などから毒ガス関連の文献資料を収集
●戦後60年記念イベントへの参加
●毒ガス被害者の全面的な解決への政策提言
●サポート通信の発行
●ホームページの更新
●判決パンフの普及
●カンパと中国人毒ガス被害者基金口座番号00170-0-685542
●中国人の戦争被害者の要求を支える会、ABC企画委員会、「China-Japan Network 未来巡業」との共同行動
●学習会や映画会、フィールドワークなどの開催
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