葵から菊へ&東京の戦争遺跡を歩く会The Tokyo War Memorial Walkers

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毛呂山町靖国ツアーの感想文(その二)

2010年11月08日 | 歴史探訪<靖国神社>

U・Y     
先日は大変お世話に成り有ヶ度うございました。
靖国神社はマスコミで色々問題にして取り上げ それを受けすぐ踊らせられてしまう自分が居ました。
今回この様に初めて靖国神社を真正面から鳥居をくぐり いちから説明を受け 自分の目で見、自分の耳で聞かせて頂き本当に良かったと、60何年生きてきていても本当の事を何も知らなかった自分が自分で驚いています。
それと同時に 秘かに今迄大きい声では云えなかった心の中で思っていた靖国神社に対しての同じ気持ちが一人でも居らっしゃたんじゃないかと思うと嬉しくも有ます.
長谷川先生と縁があってお逢いでき本当に有ヶ度うございました。幾つに成っても物を知ると云う事は財産になります。
先生、金沢にいらしても また皆様に今迄同様案内してやって下さい。
お身体に気を付けて程々に頑張って下さい.

S・T        
私は靖國神社を初めて訪れました。
ここに軍事.戦争博物館があることを初めて知りました。 かつて軍隊の精神的支柱とか戦意高揚をはかる中心的施設であったことも知りビックリしました。靖國参拝が.常に問題になることを改めて納得しました。
靖國神社ツアーをどうして平和案内とか平和ガイドの方がされるのか疑問に思いましたが、長谷川先生の資料で「遊就館が、植民地支配や侵略の説明がないのが特徴である」という様な表現を読んで靖國神社は戦争と平和の問題を考えさせてくれるところと知り理解できました。
いろいろ問題はあるでしょうが、戦争に関連して亡くなられた方々には、普通に手を合わせたいと思います。

S・T
明治政府樹立前後から今日にいたる日本の戦争の歴史を俯瞰することで改めてアジア諸国に襲いかかった列強のありさまを教えられました。
中国や朝鮮にいかに痛手を与えたか、また日本の国民に強いられた犠牲や負担がいかに大きいものであったかを今更ながら再認識し、私自身の勉強の一歩になりました。
靖国神社への関心は 毛呂山町で「もろびと平和サークル」主催の長谷川氏の講話を聞いたときはじめて 大きくなりました。 
あれだけ参拝問題で騒がれながら見に行こうという気持ちが今一つ強くありませんでしたのに。
それは多分「参拝の是非」、「その理由」という論点だけで語るにはもったいない内容が靖国問題の周辺にはある ということを示唆してくれたからではないかと思っています。
今回の見学を通じてやはりそうだったと感じています
私の叔父は沖縄戦の特攻で戦死しています。叔母は元気なときは靖国神社にお参りしていました。私は叔父を思い今回参拝しましたが、神をそのように勝手に分割できないらしいことを始めて知りました。参拝の是非の総論はよく分かりましたが各論のところで課題が残りました。

K・O
(1)結論的感想       
「素直な率直な気持ちで、戦争で犠牲となられた方々を追悼することはできないのか」ということ。これは政教分離、A級戦犯合祀等のいわゆる靖国問題についての様々な論争を垣間見てきた後、さらに靖国神社という現地での説明を受けた上で、改めて感じたことである。様々な論争については深く分析した訳ではないが、「如何に霊を追悼するか」という基本的な論議が欠落し議論のための議論に陥っているような気がしてならない。
(2)靖国神社について感じたこと

1.靖国神社の雰囲気       
①靖国神社見学は今回で2回目。初回は5年前であったが、その時の第一印象は「神社特有の神々しさといったようなものが感じられない」であった。 
靖国神社と言えば「英霊を祀る神聖なところ」というイメージがあり、自分もそのように思っていたが、何故か俗っぽい感じを否めなかった。それは境内の雰囲気…ミリタリールック、軍歌放歌、軍隊ラッパ放鳴…のせいか、はっきりとしないが。   
自分でも意外であったが「神聖なところ」とは感じられなかったのは今回も同じである。
その成立ち・経緯を考慮すれば当然のことかもしれないが、何か特異な雰囲気があることは確かである。(神社という字句に惑わされているのかも知れない) 
②靖国神社という場が利用されている面がある。

・純粋に「英霊を追悼する」というのであれば、ミリタリールックは必要だろうか。
自己の懐古趣味の場所に利用している人が多いのではと感じた。   
2.遊就館の記述、ナレーション、展示品    
①長谷川氏も指摘されていたように、偏った、考証不足の記述が多いように思える。 また映像等のナレーションも、もっと抑制した口調の方が望ましい気がする。 
(北朝鮮TVのアナウンサの口調を連想するという声もあった)考証不足の記述及び意図的な省略は、内容の信憑性に疑問を抱く結果となり、訴える力が半減する。
例:インパール作戦の記述   
ガダルカナルと同様に無謀な作戦が悲惨な結果を招いたことは周知の事実である。
その重みを考慮すれば、あまりにも淡白な、アンバランスな記述に終わっていたと感じた。
また作戦に参加した師団長名は記述されているのに、司令官名はなかったと思う。
これは全く不自然で「司令官:牟田口廉也」と記述すべきである。彼は蘆溝橋事件にも関与しているが、そちらにも記述されていなかったのでは。(意図的な省略?) 
②テーマの記述内容と展示品の関係(繋がりというべきか)が今一つ解りにくい面がある。
展示目的が?で、かつ説明が不正確で不足している展示品が多い。
例:戦艦大和・武蔵の主砲弾の展示
大和及び武蔵それぞれの主砲弾として形状が違うものが展示されていたが、大和用、武蔵用といった砲弾はなかったはず。展示品は徹甲弾と思われるが、説明としては砲弾の種類、またはその性能等を記述するのが自然では。
③現状の記述・展示方針は靖国神社にとって不利となる面が多いと感じた。かなり損をしてるなというのが実感。抽象的であるが、もっと靖国神社のスタンスを明確にし、ぶれない、冷静な、正確な記述をすれば共感する人も増えるのでは。   
(3)靖国問題について

1.政教分離       
①総理・閣僚の参拝について「公人」か「私人」かと論議されるが、ナンセンスに思える。
・政教分離は完全には実現できないのではないだろうか。人間の営みには意識しなくても宗教的な要素(自然崇拝みたいなもの)が絡み合っていると思うし何らかの儀式には宗教的な要素が自然に取り込まれてきたと考える。    
例えば「宣誓」という行為は、聖書の有無を問わず宗教的行動と思える。「感謝」というのも同様ではないだろうか。 
・「率直に戦没者を追悼する」とだけ表明すればよい。変な言い訳は不要と考えるのだが…(このように記すと文頭の結論的感想に戻ってしまうが)   
②マスコミが問題を起こし、かつ複雑にしているように見える。
・総理の参拝が問題視され始めたのは何時からなのだろうか。講和条約後、歴代総理は公式参拝しているが、問題視されなかったと聞く。そこでA級戦犯合祀(1978年)後ではと思ってみたが、その数年は公式参拝は続けられ中国・韓国も騒いではいなかったようだ。 
・その後、何かがきっかけとなり問題視されるようになったはずだが、それを作り大きくしたのは一部のマスコミしかないと思えるが…   
2.A級戦犯合祀

  ①A級戦犯を犯罪者と捉えるか否かで、合祀の妥当性が問われているとみなしてよいのだろうか。東京裁判を不当とする歴史観に立てば、A級戦犯とされた人達は犠牲者であり合祀は問題ない。一方、東京裁判を受入れる歴史観では、許し難い犯罪者で一緒にされてはたまらないから分祀すべき。このように解釈しているがどうだろうか? 
②日本には死者に鞭打つことは不義とし、死ねば仏で水に流すといった寛容な精神があるとされている。確かにそういった宗教観は否定できないし、自分もそうだと思う。この観点に立てば、A級戦犯も仏となるので合祀も妥当とも言える。合祀もこの観点から行われたと思っていたが、そう単純なものではないらしい…   
③東京裁判の妥当性は別としても、戦犯とされた人達及び当時のマスコミには戦争責任があると考える。富田メモによれば昭和天皇はA級戦犯合祀に強い不快感を示されたとある。
昭和史を垣間見る時、政府・軍部の指導者達の無責任振りにはあきれ返る。その重みを考えると「死ねば仏」の境地にはとても達しない。(私はどうも寛容な精神は持ちえないのかも)靖国神社が昭和の殉難死者として合祀に踏み切った背景を理解し納得するまでに至っていないので判断に苦しんでいる。

3.中国・韓国の干渉      
①両国の干渉には毅然とした態度で対応し、跳ね除けるべきである。死生観の違いはどうにもならない。 

②総理の参拝、A級戦犯合祀等、他国が云々すべきものではない。このところ干渉度合いが強くなってきたようだが、マスコミの報道にも一因があるように思えてならない。必要以上騒ぎ立てること、偏向した論述は避けるべきである。
(4)靖国論争について       
今回の見学会を前に、予備知識を得ようと次の書籍を購入し、内容の比較を試みた。
K : 「靖国論 新ゴーマニズム宣言」(幻冬舎) 小林よしのり(漫画家)
T : 「靖国問題」(ちくま新書)  高橋哲哉(哲学者・東大教授)
1.Kを選択したのは全くの偶然。古本屋で目に留まったもので劇画スタイルで取っ付き易かっため。TはKの中で引用されていたもので、これも古本屋で購入。 
2.小林氏は「新ゴーマニズム宣言」シリーズの中で「戦争論」「天皇論」等、独特の論戦を展開している。K(靖国論)も過激な表現もあるが、心情的には共鳴できる内容もある。
3.T(靖国問題)はKの中で酷評された書籍の一つ。    反対論として選択してみたがその論調に共鳴できず途中で読むのを止めた。(ついていけなかった)靖国神社を「感情の錬金術」として捉えていることが最大の理由。(感情の錬金術は長谷川氏も説明で引用された部分)戦争遂行のため、戦死者を靖国神社で顕彰することで、戦死の悲しみを喜びへと転換させるというもの。ここで重要なのは追悼ではなく、顕彰としていること。「戦死者を英霊として顕彰することで、遺族の不満をなだめ、その不満の矛先が国家へ向かわないようにすると同時に、君国のために死する兵士を調達する」という「感情の錬金術」のカラクリがあったと決め付けている。靖国神社を否定する論調は延々と続くが、事例を列挙するのみで高橋氏自体の意見が見えてこない。一見その主張が妥当と思える状況証拠を挙げているが、それを具体的に証明する客観的証拠が見当たらないのである。ただ学問のための論調、論議のための論議といった具合。こうした学者達が靖国問題をややこしくしているような気がしてならない。
4.一方、小林氏の論調は一見過激で独善的とも思えるが、本人の主義・主張が明確に出ている。共鳴できるはどうかは別にしても小気味良いばかりである。これでは敵も多いだろうなと推察するが注意深く読んでいけば頷ける場面も出てくる。靖国問題の背景等が記述され、入門書としては手頃かも。共鳴するかどうかは読後に決めればよいことで、この人なら論争してもよいと感じた。      
(5)戦没者追悼について      
今回の靖国神社見学は、改めて「戦没者追悼をどうのように考えなければならないか」という命題に向き合うリガーとなった。靖国問題が取上げられることは多いが、自分自身に深く取り込もうとはしなかった。何となく漠然と論争に違和感をを覚え、「何でこんなにいがみ合い堂堂巡りするのか」というスタンスであった。とかく「目的」と「手段」が混同されると、問題が解決されない場合がある。本件では目的は「如何に戦争犠牲者を追悼するか」であり、靖国神社はその「手段」の一つではないかと思う。(手段と表現することに私自身違和感を覚え不適切ではと考えるが、論法上の表現として容認願いたい)
「如何に戦争犠牲者を追悼するか」は、公私の別をどのように具現化するかが焦点の一つかと思う。8月15日には「全国戦没者追悼式」が毎年行われている。これには天皇のご臨席があり、政界をはじめ各界の代表、及び遺族・一般市民の代表も参列する。公的にはこれを追悼の代表的公式行事として捉え一本化し、他は私的行為と集約化(単純化)する。
(靖国神社参拝は私的行為と捉える)私的に何時、どこで、どのように霊を追悼するか、その方法・手段は個人の選択に委ねる。このような思考は成り立たないだろうか。靖国神社は私的機関。公私の別が明確になると愚考するが…(問題を解決するためには、「目的」と「手段」の明確な区別が必要)時代の変遷と共に歴史観は変わってくる。20年も経てば靖国問題は全て(自然消滅的に)解決するという論議もあるようだ。(世代交代、靖国神社の財政問題等からみて)しかし風化させてはならない事柄も多くあると思う。それが何かは各自が考えることであろうか。
   
あとがき
長谷川さんから過日、石川県金沢市へ11月22日に転居することをお伺いしました。
ご夫妻には金澤での新しい生活がより豊な一ページでありますことを、そして、いつまでもお元気に過ごされますよう心よりお祈り申し上げます。
長谷川さんのバイタリティー溢れるご説明に、参加メンバー全員があれほどまでに最後まで熱心に耳を傾けていた姿を見て 企画した甲斐があったと思っています。
それにしても長谷川さんとは絶妙のタイミングで最後のご案内をいただいく機会がありましたことに 不思議な ご縁を感じているところです。
長谷川さん以外でしたら これほどまでに靖国神社や戦争を考える機会となりましたかどうかと思っています。
後になりましたが改めまして心からお礼を申し上げます。

靖国神社見学が秋季例大祭の時期と重なり御柱の奉納に出遭いました。
小生の住まいの近くに諏訪出身の方がおられて次のように説明してくださいました。
戦死され英霊となられた方の中には一度は御柱に乗ってみたいと思った方もおられただろう、ということで靖国神社に御柱の奉納を昔から願い出ていたそうですが、私達の見学の日に初めてそれが許可されての奉祝行事だったようです。

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