靖国神社社報「靖國」12月1日発行 第761号が配達されました。
一面コラム欄「清濤」に第一鳥居(大鳥居)と宮司交代にについての記述がありますので転載します。
三面に「秋季例大祭厳粛に斎行」の記事中に『 同日(十七日)午後七時には浄闇の中、「第百四十三回霊璽奉安祭」が厳かに斎行され、新たに五柱の御霊が本殿正床に奉遷された。』とあります。
遊就館展示室9「招魂斎庭」に「靖国神社への合祀に当たっては、天皇陛下のお手許に必ず戦没者合祀名簿が天皇に供された。・・・・・戦没者合祀は今に到るまで必ず天皇陛下の叡慮を受けているのである。」との説明文があります。(傍線は管理人)
五柱の新しい英霊が合祀されたことの報告文ですが、「叡慮」とは、明仁天皇が霊璽簿(戦没者合祀名簿)を「裁可」されたのか、「御伺」されたのか、又は「御覧」になられたのか、神社側は明らかにしません。
宮内庁も靖国神社との関係は、天皇の「私事」なのでと情報開示をしません。
(講談社現代新書 山本雅人著「天皇陛下の全仕事」を参考にした。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/a8/1a572f5e69a3fb637b8a3cb6ae881a1c.jpg)
靖国神社公式ホームページより
・・・・・・・・・・
月日が経つのは早いもので、今年もひと月を残すのみになった。靖國神社境内では、明年の御創立百五十年を控えてご遺族・崇敬者の皆様のご奉賛のもと、記念事業の諸工事が本格的に行われている。外苑の第一鳥居(大鳥居)の美装工事もその一端である。
▼当工事は錆などの汚損箇所を修繕し、全体塗装を施すもの。足場が組まれ、白い覆いに包まれた大鳥居の姿はひときわ目を引く。塗装などの作業は十一月中旬より進められ、年末の完了を予定している。
▼大鳥居は、御下賜金・各宮家よりの奉賛金・全国からの募金により、鎮座五十年記念事業として大正十年に竣工した。だが、当時の溶接技術や材質等の事情で腐食が進み、昭和十人年に撤去、陸・海軍に献椚となった。その後、仮の木造鳥居を経て、近歩一会が中心となり呼び掛け、遺族会や戟友関係団体等の奉納により昭和四十九年に再建、今日に至っている。
▼特に九段下方面からは、鳥居の大きさと急坂が相俟って、その威容が戦前から謳われることが多い。今後もその姿を保ち続け、参拝者を迎えてくれることであろう。
▼本年は、三月、十一月に当神社宮司の交代があり、ご遺族・崇敬者の皆様にはご心配をお掛けしましたこと、謹んでお詫び申し上げます。明年の御代替リ、そして当神社御創立百五十年という大切な節目の年を控える時期であることを改めて厳にし、御祭神の奉慰顕彰を一義に、山口宮司指揮の下で職員一同邁進する所存です。今後とも変わらぬご支援せお願い申し上げます。 (常泉雅宜)
・・・・・・・・・・
(了)
一面コラム欄「清濤」に第一鳥居(大鳥居)と宮司交代にについての記述がありますので転載します。
三面に「秋季例大祭厳粛に斎行」の記事中に『 同日(十七日)午後七時には浄闇の中、「第百四十三回霊璽奉安祭」が厳かに斎行され、新たに五柱の御霊が本殿正床に奉遷された。』とあります。
遊就館展示室9「招魂斎庭」に「靖国神社への合祀に当たっては、天皇陛下のお手許に必ず戦没者合祀名簿が天皇に供された。・・・・・戦没者合祀は今に到るまで必ず天皇陛下の叡慮を受けているのである。」との説明文があります。(傍線は管理人)
五柱の新しい英霊が合祀されたことの報告文ですが、「叡慮」とは、明仁天皇が霊璽簿(戦没者合祀名簿)を「裁可」されたのか、「御伺」されたのか、又は「御覧」になられたのか、神社側は明らかにしません。
宮内庁も靖国神社との関係は、天皇の「私事」なのでと情報開示をしません。
(講談社現代新書 山本雅人著「天皇陛下の全仕事」を参考にした。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/a8/1a572f5e69a3fb637b8a3cb6ae881a1c.jpg)
靖国神社公式ホームページより
・・・・・・・・・・
月日が経つのは早いもので、今年もひと月を残すのみになった。靖國神社境内では、明年の御創立百五十年を控えてご遺族・崇敬者の皆様のご奉賛のもと、記念事業の諸工事が本格的に行われている。外苑の第一鳥居(大鳥居)の美装工事もその一端である。
▼当工事は錆などの汚損箇所を修繕し、全体塗装を施すもの。足場が組まれ、白い覆いに包まれた大鳥居の姿はひときわ目を引く。塗装などの作業は十一月中旬より進められ、年末の完了を予定している。
▼大鳥居は、御下賜金・各宮家よりの奉賛金・全国からの募金により、鎮座五十年記念事業として大正十年に竣工した。だが、当時の溶接技術や材質等の事情で腐食が進み、昭和十人年に撤去、陸・海軍に献椚となった。その後、仮の木造鳥居を経て、近歩一会が中心となり呼び掛け、遺族会や戟友関係団体等の奉納により昭和四十九年に再建、今日に至っている。
▼特に九段下方面からは、鳥居の大きさと急坂が相俟って、その威容が戦前から謳われることが多い。今後もその姿を保ち続け、参拝者を迎えてくれることであろう。
▼本年は、三月、十一月に当神社宮司の交代があり、ご遺族・崇敬者の皆様にはご心配をお掛けしましたこと、謹んでお詫び申し上げます。明年の御代替リ、そして当神社御創立百五十年という大切な節目の年を控える時期であることを改めて厳にし、御祭神の奉慰顕彰を一義に、山口宮司指揮の下で職員一同邁進する所存です。今後とも変わらぬご支援せお願い申し上げます。 (常泉雅宜)
・・・・・・・・・・
(了)