中国哈爾浜市平房区にある「侵華日軍第七三一部隊罪障陳列館」を見学するツアーを(株)富士国際旅行社が企画し、募集を始めました。
「九・一八歴史博物館」、「侵華日軍第七三一部隊罪障陳列館」、「侵華日軍南京大屠殺遭遇同胞祈念館」、「中国人民抗日戦争記念館」等は「愛国教育基地」となっています。
日中共同声明で中国政府が放棄したのは国家の請求権だけであって、個人の請求権は放棄されていないという見解があります。「強制連行」、「遺棄毒ガス」、「中国人慰安婦」は「中国・遺留問題」となっています。
2000年7月7日に、新宿平和委員会主催「中国を訪ねる平和の旅」で中国人民抗日戦争記念館を訪問し館長張承鈞氏と懇談をしました。館長は日本の侵略について次のように話ししてくれました。
①日本が侵略した時間が長い「100年」
②日本軍が死傷させた人数が多い「3500万人」
③広大な土地を占領した「中国の大半」
④中国の損害額が大きい「6000億ドル以上」
⑤日本軍の手段が残虐である「例えば関東軍第731部隊のように世界法規にも反する残虐さ」
(株)富士国際旅行社社長が、8月に「侵華日軍第七三一部隊罪障陳列館」を見学したときは、夏休み中だったので中・高校生の見学者が一杯だったと聞き及んでいます。支那派遣軍司令官松井石根等A級戦争犯罪人が合祀されている靖国神社で総理大臣が参拝したり真榊を奉納するようでは、上辺だけの日中友好となっています。国会日中友好議員連盟が訪中すれば「媚中」だと揶揄するマスメディアには怒りを覚えます。
ABC企画委員会の「ABC企画NEWS」第148号が配達されました。「第27 回戦争遺跡保存全国シンポ 北九州やはた大会(8/17~19) 」で和田千代子さんが報告した「侵華日軍第T31 部隊罪証陳列館」に関連する部分を転載します。
第27 回戦争遺跡保存全国シンポ 北九州やはた大会(8/17~19)
「戦争遺跡保存全国ネットワーク」は1997 年に結成され(第1回大会は長野県松代)[731 部隊遺跡世界遺産登録を目指す会」は、2000 年第4 回、高知県南国市大会から参加しています。当初、「目指す会」(略称)は中国に存在する戦争遺跡の保存運動団体という事で“ちょっと・・”と違和感を持たれましたが現在はアジア各地の戦争史跡ツアー報告・発表なども見られるようになりました。
これまで「目指す会」は大会に16 回参加。故三嶋、山遷、和田が731 部隊遺跡を日本・加害国として保存すべき意義や遺跡の現状、中国政府の対応等々を発表してきました。 今回も 1993 年に日本各地を巡回した1731 部隊全国展」開催以来、731部隊遺跡の保存と世界遺産登録に向けて約30 年に及ぶ活動の経過、遺跡の現状なども含め発表しました。
※「大会」は1日目が全大会・講演と総会、2日目が三分科会に分かれ報告討論、3日目ガ戦争遺跡ツアー。目指す会は「第ー分会 保存運動の現状と課題」で発表。
24年1月哈爾浜の「侵華日軍第T31 部隊罪証陳列館」見学に並ぶ人々
「731 部隊」遺跡保存と世界遺産登録へ 経緯と課題
冒頭、上記の写真を映し、今年5 月8 日に「陳列館」は中国政府第1級の博物館に指定され、北京の「抗日戦争記念館」、「南京大虐殺記念館」[9・18 歴史博物館」などと同等の陳列館になったことを報告しました。(「目指す会」経緯詳細はABC 企画ニュース138 号掲載)。
加害の遺跡を保存する事の難しさ
私たちが保存を訴える遺跡は、黒竜江省ハルビン市平房区に残存する「731部隊」遺跡群です。日本が建設した施設でありながら保存する遺跡が「侵略・被害を受けた中国側にある」という事は、重要な問題であり活動する上で様々な問題にぷつかりました。
90年代、遺跡群は会社の敷地の中、デパートの広場に、商店街に等々、市民の生活の場にいかにも「邪魔な建物」といった感じで保存されていました。侵略された現地の人々にとって「731 部隊の残骸・遺跡」は、“屈辱の歴史”を思い起こさせる物であって、本当は一日も早く目前から無くなってほしいと願っていました。観覧車や池、樹木を植えて「観光公園」にする計画もありました。しかし、それでも「過去の歴史を忘れず、未来の教訓とする為に」と、保存してきた平房区政府、住民、会社の人々の「想い」を加害国の市民として、どのような形で表せばよいのか「目指す会」の仲間と討論しつつ活動をしてきました。
1998 年2 月、厳冬の中731 部隊跡地内で住宅建設工事中に新しい遺跡が発掘され元731 部隊員に同行をお願いして訪中、現場を見学しましたが遺跡が、部隊のどの施設の基礎部分にあたるのか不明。住宅建設場所の移動を要望しましたが「他に場所は無い。貧しい中国人民・労働者の住居である。労働者が少しでも良い暮らしを望んではいけないのか?」と責められました。
この事が有って、99 年5 月に私たちは『要望書 731 部隊遺跡を世界遺産登録へ』を、黒竜江省人民政府を介して中国政府に提出。その後、2000 年に恰爾浜市政府は世界遺産登録を目指すことを決定し、遺跡保存に向けて整備を開始しました。
中国政府・侵華日軍第731部罪障陳列館の動き
遺跡は当初、平房区政府の文化財として、その後吟爾浜市政府、そして黒竜江省人民政府の文化財として保護されてきましたが現在は中国人民政府の重要文化財に指定され中国文物考古学管理局の手によって保護・修復されています。
2015 年8 月、731 陳列館としてはこれまでにない大きな「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」が完成・オープンし、敷地内にあった会社もほとんど移転し,遺跡群は大々的に開発、整備され一般公開されました。風雪にさらされ崩れかけていた「ボイラー室」には保護鉄骨が、「ロ号棟」には全体を建屋で覆い劣化防止策がとられました。
侵華日軍第731部隊罪障陳列館は、展示面積が広くなったことで跡地から発見・発掘された遺品や「特移扱」文書史料、免責と引き換えにアメリカに渡った人体実験史料など731 部隊関連資料の収集・展示。他に、孫呉、林口、牡丹江、ハイラルなどの各支部跡から発掘された遺品。731 部隊以外の100 部隊(長春)の遺留品や、戦時中の日本の出版物(雑誌)、日本兵の帽子、軍服、手紙など元731部隊関連以外の物も数多く展示し、731 部隊を含走眼略戦争(中国は抗日戦争)の歴史・史実の展示にも力を入れているようです。
最後に
「世界遺産登録」への申請は中国政府が承認しユネスコ申請への順番待ちです。
嘗て、南京大虐殺の史料などが記憶遺産に登録された際、日本政府は反対しました。中国政府が731部隊遺跡を世界遺産登録に申請した時、同じく、日本政府は反対すると思われます。それに抗するには731部隊の真実を追究し、戦争遺留問題の一環として取り組むべく日本政府に訴えていく必要があります。それは加害国の市民である私たちの責任です。
私たちが目標としてきた「世界遺産登録」は中国政府の申請の時期を待つのみ。遺跡保存の為の「費用」は、既に中国政府が多額を拠出している為、日本からの遺跡保存募金は必要が無くなりました。
2019 年3 月、長年、多くの皆様から寄せられた募金は目標額に達し(3000 万円)、遺跡保存の為の「基金」が黒竜江省人民政府と731部隊罪証陳列館の協力で「731部隊遺跡保存・研究と日中平和交流基金」として創立することが出来ました。これらの状況から「目指す会」は閉じ、活動はABC企画委員会の活動の一環として今後も世界遺産登録に向けて取り組んでいきます。
報告者:和田千代子
(了)