四日目と五日目に阿片王・里見甫のピアスアパートと影佐禎昭自宅跡を見学しました。
影佐機関の影佐禎昭自宅跡(一般民家)
『1937年陸軍参謀本部第7課(支那課長)、大佐昇進。同年11月、日中戦争が泥沼化の様相を呈すると、参謀本部第2部(情報部)では対支特務工作専従の部署の必要性に迫られ、新たに第8課(宣伝謀略課)を設置し、影佐は初代課長に据えられ日中戦争初期の戦争指導に当たる。その後、軍務課長を歴任し民間人里見甫を指導し中国の地下組織・青幇(チンパン)や、紅幇(ホンパン)と連携し、上海での阿片売買を行う里見機関を設立。中国で阿片権益による資金は関東軍へ流れたという。また板垣征四郎陸軍大臣の有力なブレーントラストとしても知られ、興亜院創設に至るまでの紛糾に際しての巧妙な処理等で名を挙げた。』ウイキペディア
木之内誠編著「上海歴史ガイドブック」より作図
阿片王・里見甫のピアスアパート(宏済善堂のオフィス兼自宅)
阿片王・里見甫については、下記Blog記事をご参照下さい。
A級戦犯容疑者「阿片王里見甫」の謎 VOL.1
A級戦犯容疑者「阿片王里見甫」の謎 VOL.2
A級戦犯容疑者「阿片王里見甫」の謎 VOL..3
A級戦犯容疑者「阿片王里見甫」の謎 VOL..4
A級戦犯容疑者「阿片王里見甫」の謎 VOL.5
A級戦犯容疑者「阿片王里見甫」の謎 VOL.6
「中国 南京・上海近代史と文化探訪日間」レポートは、以上で終了です。
富士国際旅行社の青い小旗は、太田社長は持ってきませんでしたが、全員が青いバッチは付けていました。
巷間、中国の旅行は危険だからと危ぶむ方々もいますが、南京大虐殺記念館館内も繁華街の福州路も、5日間は何も変わりなく安全な旅行でした。