さる8月10日(日)に早稲田9条の会が主催した講演会が新宿区立若松地域センター3階ホールで開かれ、講師は、自衛隊イラク派兵差し止め訴訟違憲判決の名古屋高裁で原告側証人として証言された山田朗さん(写真)でした。
勝った国側も驚いた,負けた原告も驚いた!!
“イラク派兵判決と市谷・防衛省のトンでもウラ話”
◆ 講師:山田 朗さん(明治大学教授:日本近代史・日本軍事史・天皇制論)
開会挨拶をした早稲田九条の会代表委員武藤徹さん( 83歳・元都立戸山高校数学教師)は東京帝國大学数学科1年生の時、陸軍参謀本部第三部(情報担当)が疎開した長野県下諏訪に勤労動員学徒として昭和20年5月3日から8月15日まで勤務していた。帝大生は20人だった。ポツダム宣言受諾の詔勅放送があったの後、将校たちが米などの物資を運び出すのを見た下級兵士が肩章をはずして「戦争は終わったのだ。士官も兵隊の区別もあるものか」と醜い物資の取り合いをというその時の貴重な体験を話されました。
その後の懇談会の中で武藤さんは大山大尉事件について衝撃的で驚くべき証言をなさいました。管理人はさらに詳しくお聞きしましたのご報告します。武藤さんには自分史として記録していただき若い方に承継していただくようにお願いしました。
>上官だった釜賀一夫少佐が第二次上海事変時の大山事件の真相を私に話した。「軍は大山勇夫海軍中尉に家族の面倒を見るから死んでくれと言った。そこで大山中尉は中国軍の三重の警戒線があったが、まず第一、第二の阻止線の誰何(すいか)を突破していった。そして第三の阻止線における銃撃で殺されたのだ」<
【注】名誉の殉死として一階級特進し、大尉となる。
>また、名前は忘れたがある上官が中国・天津の英国領事館から暗号コードブックを盗んだことを自慢話として私に気安く話してくれた。<
大山大尉事件の謀略が歴史的事実としたならば日中戦争の歴史がひっくり返る重大な問題です。
天津の英国総領事館事件は市川雷蔵主演の大映映画「陸軍中野学校」の中で天津ではなく横浜の総領事館となっていますが、イギリスの暗号を盗んだことは歴史的には確認されていることなのでしょうね。
>中野学校の教育もやがて終りに近づいた。次郎と杉本と久保田は、卒業試験として英国外交電報の暗号コードブックを盗め、と命令された。参謀本部では、この英国の暗号が解読できず、苦慮したあげく非常手段に訴えたものだった。次郎たちは横浜の英国領事館に狙いをつけた。次郎は洋服屋に化け、領事館の暗号係ダビッドソンに接近した。中野学校で教えられた技術がさまざまに活用され、見事コードブックを金庫から出して、写真撮影に成功した。(あらすじから)<
都留文科大学教授笠原十九司先生に上記の「大山中尉射殺事件」を09年7月5日に開催された「南京大虐殺 夏淑金さん名誉毀損裁判 大勝利集会」の終了後、立ち話でしたがお伝えしました。
遅くなりましたが、メールを遅らせていただきましたのでご確認ください。
よろしくお願いします。
早稲田九条の会代表委員武藤徹さんは何故、
63年も経ってから話し出したのでしょうか? 私はいろんな戦争手記を読んでますが
平気で、事実ではないこと、あり得ないことを証言する人たちが存在するのは少なくないことを知っています。
したがって、貧しい人たちの働き口の一つは軍人になることであり、また国家のために死ぬことは名誉であり、家族へお金を残してやるためでもあったのは当然だと思います。だから、「家族の面倒を見るから死んでくれと」と言われていたりするのは普通のことで特に異常な話ではないでしょう。。軍人はそのつもりで志願している。
また新しいフンドシを付けたり、遺書を残すのは、戦争手記を見ていれば、誰でもがよくやっていること、だというのは判るはずですよ。