カッキーYAMA   akihiko tange

手始めに、日常的なことを気の向いたときに載せていくつもり。

国立新美術館に絵画展を観にいったときのこと

2010-12-14 | エッセイ
数ヶ月前のことになるが、国立新美術館にオルセー美術館展を観に行ったことがある。六本木近くにある。正確には地下鉄乃木坂の駅に近く私はよくそこを利用する。その時は主に印象派の絵を持って来ていて絵画展そのものは十分に楽しめた。美術館の建築の方の設計は黒川紀章、日本設計。行ってみていつも思うのはエントランスを入ったところの片面ガラスの吹き抜け空間が巨大だなということなのである。外部から見てもそのガラスの壁面の大きさは半端じゃない。いいと思わないのだ。巨大だから、ではない。それまで経験した美術館、例えば、世田谷美術館などと比べると、空間の取り方が大味な感じなのだ。スケール感がまるで違う感じを受ける。これは東京ミッドタウンを歩いた時もそう感じたし、以前にblogに載せたビッグサイトの時も似た感じを受けた。中では国立新美術館はまだいろいろと設計に手をかけている方だとは思う。でも、大味でその内部の吹き抜け部分を歩いていると何処か心もとない。巨大空間に対する免疫がないということなのかな、免疫ができるまで慣れないといけないのかなと思ったりするのだがそういうことでもなさそうだ。そのオルセー展には人気が集中し、外で待つ人が多く50分待ちくらいはまだいい方だったようだが、そのくらい多くの人がその吹き抜けのエントランスホールにたむろして、やっとこのくらいのスペースは必要なのかなと理解できるのだった。必要というのは広さとして、機能として必要という意味であって、空間の間の様なものではなく、そこはやはり広く大味で面積だけは確保したという感じがして、日本人というのはこういった巨大スペースはあまり造り方も上手くないし、使い方も慣れていないのではと思ったりした。ダイナミックで巨大だが大味にならないというのもあるはずだと思うのだ。
 このように相当な費用をつぎ込んで巨大な構築物を無造作に造っているという印象を受けたのはこれが初めてではなく、過去のある日のことがはっきりと思い浮かべられるのだった。個人的な感想に過ぎないと言われてしまえばそれまでなのだが、それは、Jリーグが発足し、全国各地にサッカースタジアムが乱立し始めた頃と時を同じくする。そのころ、サッカーの試合観戦に、例えば新しくできたと宣伝されていた横浜のスタジアムを訪れた時などがそれだ。外観の巨大な量塊としてのコンクリートが無造作で、それまで観た建築、特に日本の建築とは異質なものを感じたのである。決して良い印象ではなかった。それまでのスケール感を打ち破ったと言えば格好は良いが、実態はとても良いものとは私には思えなかったのだ。スタジアムというのは規模や使い方によっては観戦機能などのほかに観客席の下に入れ込む機能が思いのほか少なかったりするもので、それらをいいことに、無造作なメガストラクチャーまかり通る、といったような造り方をしたその始めの頃だったのではないかと思うのだ。誰かが一つやれば、この国の国民性で後は何も考えず前例があるからという理由をつけて怒涛のごとく乱立したのだろうと思う。あの頃から、違う機能の特に公共的な比較的大きな建築物にもそういった傾向が見られるようになった。テクスチャーも巨大でのっぺりとした大味なものであっても気にならないようなのである。国立新美術館もそういったものと共通のものを感じるのだ。
 ところで、にわか仕込みで調べてみると、この国立新美術館はコンセプトが「森の中の美術館」ということだそうだが、どこが森の中なのかさっぱり分からない。近くに桜で有名な青山墓地、青山公園などがあるが、まさかあれに頼ったもの言いなのだろうか、と茫然とするのである。


                                           
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今日も雨・14Dec2010

2010-12-14 | エッセイ
昨日(12月13日)、フリーソフトCADをダウンロードした。出てきたものをとりあえずダウンロードしたのでZWcadというのにしたのだが、これが奇妙なパソコンの動きであった。ダウンロードのボタンをクリックすると、名前、電話番号、アドレス、住所(県名まで)などを入力しないと始まらないらしいのであった。これに記入し、さてダウンロードのボタンをクリックすると、全く画面が固まって動かなくなってしまうのだった。完全なフリーズ状態であった。意味のつながらない漢字が使ってある部分もあったから中国のサイトだと思う(私は個人的に中国人は好きである。かつて、外国のチャイナタウンでも短い時間ではあるが良い友人ができたりした。)。しばらく見ていたがやはり動かないので画面を閉じ、別の作業をした。ふと思い出しすぐにまた同じ手順を踏んでいくと、今度は先程の個人情報を入力しないでも、ダウンロードスイッチが表示されるのだった。どうしてこうなるのだろう? それでは最初の個人情報記入は必要なかったのではないか? その後は何度やっても、個人情報記入はなくて、ダウンロード画面が出る。これが正解なのではないか。ちなみにソフトの発信元はダウンロード前に出るものの発行元はダウンロード後も不明なままだ。デジタル署名もない。こういうことはよくあることなのだろうか。簡単に製作者や発行者の側で記入できるはずなのになぜ未記入のままなのだろうか。
 最近、個人情報を何らかの方法で記入させるサイト(主に企業側)がそれらを悪用して事件になるケースが多いと聞く。それらの情報をもとに別のアドレスから迷惑なスパムメールを送るのも立派な嫌がらせだ。断りのメールを逆に返信するのはよくない、などというアドバイスも善良な人たちの間で交わされているようだが、まともな人間が返信するだけで大変なことになるようなやり方そのものがそもそも狂っているのだ。コンピューターで大量に送りつけている場合もあるらしいから聞く耳を持たない者と同じなのだが、止めるように言っても何度も送りつけてくるようなら、警察に言っていってもよいと思う。もちろんスパムの内容など状況にもよると思うけれど。私もそういう目に合ったことがあり、そういう意見をネット上に書いたことがある。丁度その頃、警察が悪質なインターネットの犯罪行為について捜査に入る、ということが新聞紙上に出て、多くの人が私と同じように迷惑な被害に合っているのだなと思った。何万回も迷惑メールを送られてやっと警察へ通報したという人もいるらしいが、私は数回でも怒る。
 警察がインターネット上の捜査に頻繁に入ることは、通信の秘密や表現の自由などに多くの不具合を生じる可能性があり控えられたに越したことはないとは思うが、そういった意味でもインターネット上の犯罪行為は重い。インターネットは楽しく使いたいものだと思う。
 CADのダウンロードの時の個人情報の記入はその後の手順を思うといったい、何のためだったのだろう? 見てみると良質な企業のようだが少し不審感が残った。

                                                                                                                                                                                                                                                                
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