◆数ヶ月前のことになるが、国立新美術館にオルセー美術館展を観に行ったことがある。六本木近くにある。正確には地下鉄乃木坂の駅に近く私はよくそこを利用する。その時は主に印象派の絵を持って来ていて絵画展そのものは十分に楽しめた。美術館の建築の方の設計は黒川紀章、日本設計。行ってみていつも思うのはエントランスを入ったところの片面ガラスの吹き抜け空間が巨大だなということなのである。外部から見てもそのガラスの壁面の大きさは半端じゃない。いいと思わないのだ。巨大だから、ではない。それまで経験した美術館、例えば、世田谷美術館などと比べると、空間の取り方が大味な感じなのだ。スケール感がまるで違う感じを受ける。これは東京ミッドタウンを歩いた時もそう感じたし、以前にblogに載せたビッグサイトの時も似た感じを受けた。中では国立新美術館はまだいろいろと設計に手をかけている方だとは思う。でも、大味でその内部の吹き抜け部分を歩いていると何処か心もとない。巨大空間に対する免疫がないということなのかな、免疫ができるまで慣れないといけないのかなと思ったりするのだがそういうことでもなさそうだ。そのオルセー展には人気が集中し、外で待つ人が多く50分待ちくらいはまだいい方だったようだが、そのくらい多くの人がその吹き抜けのエントランスホールにたむろして、やっとこのくらいのスペースは必要なのかなと理解できるのだった。必要というのは広さとして、機能として必要という意味であって、空間の間の様なものではなく、そこはやはり広く大味で面積だけは確保したという感じがして、日本人というのはこういった巨大スペースはあまり造り方も上手くないし、使い方も慣れていないのではと思ったりした。ダイナミックで巨大だが大味にならないというのもあるはずだと思うのだ。
このように相当な費用をつぎ込んで巨大な構築物を無造作に造っているという印象を受けたのはこれが初めてではなく、過去のある日のことがはっきりと思い浮かべられるのだった。個人的な感想に過ぎないと言われてしまえばそれまでなのだが、それは、Jリーグが発足し、全国各地にサッカースタジアムが乱立し始めた頃と時を同じくする。そのころ、サッカーの試合観戦に、例えば新しくできたと宣伝されていた横浜のスタジアムを訪れた時などがそれだ。外観の巨大な量塊としてのコンクリートが無造作で、それまで観た建築、特に日本の建築とは異質なものを感じたのである。決して良い印象ではなかった。それまでのスケール感を打ち破ったと言えば格好は良いが、実態はとても良いものとは私には思えなかったのだ。スタジアムというのは規模や使い方によっては観戦機能などのほかに観客席の下に入れ込む機能が思いのほか少なかったりするもので、それらをいいことに、無造作なメガストラクチャーまかり通る、といったような造り方をしたその始めの頃だったのではないかと思うのだ。誰かが一つやれば、この国の国民性で後は何も考えず前例があるからという理由をつけて怒涛のごとく乱立したのだろうと思う。あの頃から、違う機能の特に公共的な比較的大きな建築物にもそういった傾向が見られるようになった。テクスチャーも巨大でのっぺりとした大味なものであっても気にならないようなのである。国立新美術館もそういったものと共通のものを感じるのだ。
ところで、にわか仕込みで調べてみると、この国立新美術館はコンセプトが「森の中の美術館」ということだそうだが、どこが森の中なのかさっぱり分からない。近くに桜で有名な青山墓地、青山公園などがあるが、まさかあれに頼ったもの言いなのだろうか、と茫然とするのである。
このように相当な費用をつぎ込んで巨大な構築物を無造作に造っているという印象を受けたのはこれが初めてではなく、過去のある日のことがはっきりと思い浮かべられるのだった。個人的な感想に過ぎないと言われてしまえばそれまでなのだが、それは、Jリーグが発足し、全国各地にサッカースタジアムが乱立し始めた頃と時を同じくする。そのころ、サッカーの試合観戦に、例えば新しくできたと宣伝されていた横浜のスタジアムを訪れた時などがそれだ。外観の巨大な量塊としてのコンクリートが無造作で、それまで観た建築、特に日本の建築とは異質なものを感じたのである。決して良い印象ではなかった。それまでのスケール感を打ち破ったと言えば格好は良いが、実態はとても良いものとは私には思えなかったのだ。スタジアムというのは規模や使い方によっては観戦機能などのほかに観客席の下に入れ込む機能が思いのほか少なかったりするもので、それらをいいことに、無造作なメガストラクチャーまかり通る、といったような造り方をしたその始めの頃だったのではないかと思うのだ。誰かが一つやれば、この国の国民性で後は何も考えず前例があるからという理由をつけて怒涛のごとく乱立したのだろうと思う。あの頃から、違う機能の特に公共的な比較的大きな建築物にもそういった傾向が見られるようになった。テクスチャーも巨大でのっぺりとした大味なものであっても気にならないようなのである。国立新美術館もそういったものと共通のものを感じるのだ。
ところで、にわか仕込みで調べてみると、この国立新美術館はコンセプトが「森の中の美術館」ということだそうだが、どこが森の中なのかさっぱり分からない。近くに桜で有名な青山墓地、青山公園などがあるが、まさかあれに頼ったもの言いなのだろうか、と茫然とするのである。