カッキーYAMA   akihiko tange

手始めに、日常的なことを気の向いたときに載せていくつもり。

夜の報道番組

2010-12-26 | エッセイ
TV朝日の報道ステーションを寝っ転がって見ていた。夜もその時間になると目線がだんだんと床と同じレベルになってくる。古館の番組だ。サッカーの国際審判員のうち、超A級と言われる人が世界で12人ほどいるらしく、その中に我が日本人の審判も若干1名だか(たぶんその人ひとりだろう)含まれているということで、それをまた流行りのカリスマナントカみたいな形で取り上げるのかと思っていると、果たしてそうだった。最近のTVは直ぐにヒーロー扱いを始める。TVを見ていてそうなりそうな番組の造りの時は、事実を歪曲化しているような気がし、それを茶の間の何百万人(何万人くらいかな)の人々が何の気なしに見て(仕事などで疲れているだろうし、そうだと思う)なんとなく納得してしまっているのだろうなと思うと、余計な事と分かっていながら少しイライラする。そして多くの場合、チャンネルを替える。このイライラはマスメディアが発達して以来の現象だろう。私だけが特別ではないはずで、その証拠にTV局に問い合わせ、抗議の電話、メールなどは頻繁にあるそうだから、多くの人が何かを感じているのだ。そしてストレスを溜めることがあるのだ。
 ところでその番組はその審判員のジャッジをスーパージャッジとして褒めあげているのだった。古館という人間が口をとがらせあの語りでやるものだから、もう超褒めあげMAX、と言った感じになるのだ。あまりいい感じがしない。で、内容はどうだったかというと、どうも疑問が残る内容なのだった。ワールドカップでのモチベーションが上がりきった、スーパーチームのスーパープレイヤー同士の試合中の一瞬のファウルを的確に捉えた、と持ち上げているのだった。両チームの二人の選手がボールを取り合って一人が転び、相手方の一人がそれを踏みつけてしまった一瞬を見逃さず、踏みつけた選手に毅然としてレッドカードを出したことを、古館がべた褒めに褒めているのであった。番組の造りもまさにそうであった。スローで見るとそこのところがよく分かる。軽くではあるが故意に踏みつけているともとれそうな感じだ。だが、私はここから違う感じを持ったのだった。よく見ると倒れた選手はボールを一瞬だが抱え込んだ形で倒れているのだ。一瞬のことだがどちらもスーパープレイヤーだ。その一瞬に本来なら有利になるためのあらゆる複雑な動きができるはずで、スローだと流れは分かりにくくなるかもしれないがそれがよく分かる。お互いボールを奪い合って戦っているのだ、世界の舞台で。踊りなどの演技なら別だろう。でもそうではない。反則を取られた選手は一瞬ではあるがあれではボールをプレイできない。そのコンマ何秒かはその試合のその時ではとてつもなく重要だったかもしれない。倒れた方は故意ではなく倒れてしまったのだから、悪意もないということで言い訳は立つ。倒れちゃった、分けだ。ボールを抱え込んで倒れた選手を、思わず踏みつけた。こいつ、と思ったかもしれない。怪我はしない程度だがボールへ行っている分けではなく相手の足を踏んでいるからそう言われても仕方がない。一流の一瞬のプレイだ。結果、一発退場の判定が下され、レッドカードが高々と揚げられた。
 踏んだのは悪い。どう理屈をつけても仕方がない。でもあれでは一瞬かもしれないが本来プレイできるはずのところがプレイできない。よりによって、ボールの上に抱え込むように倒れなくてもよさそうなものではないか。私はスローでゆっくり見ながらだったからこう言うことができた。「欧米か?」ではなくて、「おまえはゴールキーパーか?」
 イエローカードぐらいで良かったのではないだろうか。


                                                                             
コメント
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