福島章恭 合唱指揮とレコード蒐集に生きるⅢ

合唱指揮者、音楽評論家である福島章恭が、レコード、CD、オーディオ、合唱指揮活動から世間話まで、気ままに綴ります。

ネゼ=セガン指揮フィラデルフィア管によるブルックナー「第4交響曲」

2016-06-10 14:07:23 | コンサート


「芸術は職業ではない。信仰と絶対の奉仕を強いる、聖なる司祭の業なのだ。そして崇高な芸術が精神的なものの一番高いものなのだ。」
(「ルオー」高田博厚著 筑摩書房 1976 )

これは、ギュスターヴ・モロオが弟子のジョルジュ・ルオーに語ったとされる言葉だ。ルオーの友でもあった高田博厚は「さながらルオー自身の言葉」と紹介しつつも、さらには高田博厚の言葉ともなっていることは言うまでもない。

先日、このモロオ=ルオー=高田博厚の言葉から最も遠いと思われる演奏を聴いた。

ネゼ=セガン指揮フィラデルフィア管によるブルックナーの第4交響曲である。目の前にクレッシェンドがあれば煽っては加速し、フォルテシモがあれば暴力的な音を響かせ、隠れたパートを浮き立たせるという新奇に走る。作曲家への献身とも作品への奉仕とも無縁。ブルックナーの瞑想や祈りなどあるはずもなく、ただの自己顕示欲と営業的なショーマンシップがあるばかり。

なにもネゼ=セガンに朝比奈やヴァントと同じ種類の感動を期待したわけではない。新しい世代による別の価値観によるブルックナーを聴かせて欲しかったのだが、期待した方が悪かったのかも知れない。

「私が自分を探して苦しみすぎたとしても、まだ自分を見出したとは言えない。・・・内部を引き裂くものは、不安や高い野心のためではない。・・・たとえ私が三〇〇年生きても、尚私は無限の歩みを感じるだろう」(ルオー「シュアレスへの手紙」、上掲の書より)