終演とともに地鳴りのようにコンセルトヘボウの床が震えた。
ホールは興奮の坩堝。満員の聴衆が一斉に立ち上がり、ブラヴォーの大合唱。今年1月の訪問とここ数日の滞在で、アムステルダムの聴衆は、そこそこの演奏にもスタンディングオベーションを送る習慣があることに気付いていたところだが、今日のスタンディングは決して儀礼的なものではなく、魂の底からの感動が成せる業であった。
立役者は3人の女声歌手、すなわちエレクトラのエレーナ・パンクラトローヴァ、クリソテミスのアスミク・グリゴリアン、クリュテムネストラのダリア・シェヒターであることに間違いはない。
特に凄かったのは、クリソテミスのグリゴリアンである。シュトラウスとしても最大級の編成によるオーケストラ(しかも、ピットでなくステージ上)をものともせず、突き抜け、響きわたる驚異の声。復讐に燃えるエレクトラとは違い、普通の女性として生きたいと願う健気な想いが聴こえるのだ。彼女の声を浴びながら、何度も脳天から背中に電気が走った。こんな経験は何年ぶりだろう。
エレクトラのパンクラトローヴァは、昨年のバイエルン国立歌劇場来日公演に於ける「タンホイザー」ヴェーヌスの優れた歌唱が記憶に新しい。今回も譜面を置かず、父アガメムノンを殺した母クリテムネストラとその情父エギストへの常軌を逸した復讐心の塊と化した。全篇ほぼ歌い通しのこのタフな役に於いて、疲れを見せないどころか、尻上がりに声の調子を上げるという強靱さに恐れ入る。
一方、クリュテムネストラのシェヒターは性格俳優と呼べるほどの芝居の上手さが光った。夫を殺した後ろめたさ、息子オレストに殺されるのではという恐怖、オレストの死の情報に邪悪な歓喜の雄叫びを上げる場面など、多くの聴衆の心を凍らせてしまうほど。
そして、シェヒターとパンクラトローヴァの凄絶なる鍔迫り合いを目の当たりにするにつけ、エレクトラには紛れもなくクリテムネストラの血が流れていることを実感させるのだ。なんと恐ろしいことだろう。
一方、男声陣はやや弱かった。オレストのセメレディの声は悪くないのだが、目の前に居る女が実の姉エレクトラだと分かったときの「エレクトラ! エレクトラ! エレクトラ!」の声に、俄かに高まりゆく情感や魂の震えるような歓びが感じられないのは惜しい。
エギストのピフカに至っては、まるで村の小学校の校長先生か? というような場違いな雰囲気での登場で、エギストの持つ狡猾さ、残忍さ、小人物さを全く感じさせなかった。
しかし、エレクトラは圧倒的に女声のオペラ。主要女声3人に重点を置き、出番の少ないエギストへの予算の配分が少なくなるのもやむを得ないのかも知れない。
マルクス・シュテンツの指揮は格別に素晴らしいものだった。全身から音楽が溢れ、音楽に生命の息吹を与え、オーケストラと聴衆を忘我の境地へと誘った。
統率力、バランス感覚ともに申し分なく、読響、新日フィル、N響などへの客演が評判であったことが頷ける。今後、注目していきたい指揮者である。取りあえず、大阪フィル事務所に推薦しておこう(笑)。
リヒャルト・シュトラウス
楽劇「エレクトラ」(全1幕、演奏会形式)
オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団
Radio Filharmonisch Orkest
オランダ放送合唱団
Groot Omroepkoor
指揮 Dirigent
マルクス・シュテンツ
Markus Stenz
メゾ・ソプラノ/クリュテムネストラ
Mezzosopraan, Klytämnestra
ダリア・シェヒター
Dalia Schaechter
ソプラノ/エレクトラ
Sopraan, Elektra
エレーナ・パンクラトローヴァ
Elena Pankratova
ソプラノ/クリソテミス
Sopraan, Chrisothemis
アスミク・グリゴリアン
Asmik Grigorian
バス/オレスト
Bas, Orest
カロリー・セメレディ
Károly Szemerédy
テノール/エギスト
Tenor, Aegisth
トーマス・ピフカ
Thomas Piffka
ほか