福島章恭 合唱指揮とレコード蒐集に生きるⅢ

合唱指揮者、音楽評論家である福島章恭が、レコード、CD、オーディオ、合唱指揮活動から世間話まで、気ままに綴ります。

ズービン・メータ バイエルン放送響 「春の祭典」

2018-11-25 23:25:20 | コーラス、オーケストラ

家内を拝み倒し、夕方予定していた家族の用事を午前中に繰り上げてまでミューザ川崎に出掛けた甲斐はあった。メータの実演は四半世紀以上昔、グリーンホール相模大野に於けるイスラエル・フィルとの「シェエラザード」を聴いて以来。今回もウィーン・フィルに散在したばかりなので見送るつもりでいたのだが、「ジュピター」「巨人」プログラムの好評やら車椅子でカーテンコールに応えたことなどを耳にして、どうしても聴いておかなければならないと判断したのである。

前半のシューベルト「ロザムンデ」序曲と交響曲第3番は、メータの全身からシューベルトと音楽への愛が溢れ出る美しい演奏だった。指揮台上の椅子に腰掛けての指揮。舞台中央に辿り着くのにも、杖と介添人を必要とするまでに自力歩行の困難となったメータであるが、そのタクトは必要最小限の動きにして的確、些かの曖昧さもない見事なもの。僅かな運動から楽員の心を鼓舞する力は、どこかクナッパーツブッシュ晩年の指揮姿にも通ずところがある。上述のイスラエル・フィル公演の時のマッチョで雄弁な指揮姿だったと記憶するが、同じ人が齢と経験を重ね、病を得ながらもここまでの域に達するものなのかと胸が熱くなった。

休憩後は、徒に尖ったところのない古典的で温かなハルサイ。シューベルト同様、どこまでも簡潔なタクト。しかし、全身からは音楽のオーラが放たれ、それに応えるバイエルン放送響が見事。機能性や個人技に優れながらも、すべては音楽のため、アンサンブルのために奉仕する姿は爽やかだ。それでいて、怒涛の迫力にも欠くことがないのだから、言うことはない。確かに、世の中には、キューを出しまくって、機械的にアンサンブルを整える「春の祭典」はいくらもあるだろう。しかし、あらゆる完璧さも、今宵の巨匠とオーケストラの熱き心の交流の前には無力とすら感じた。

盛大な拍手の中、振り向きざまに「チャイコフスキー!」とアンコールを告げたメータの声には命の輝き、張りがあった。歩行こそ容易ではないが、全曲完全暗譜の頭脳と的確なタクトさばきとを合わせて考えるなら、まだまだ大丈夫そうだと安堵する。「白鳥の湖」のワルツは夢のようで、まさに極上のデザート。楽員の引き上げた後、車椅子に乗せられてカーテンコールに応えるメータの笑顔には、音楽に身を捧げる者ならではの美しさがあった。この尊い光景を、生涯忘れることはあるまい。