手前からころがしながらよりあげし注連縄でさえ輪を描くもの
中国政府の主張と矛盾=50~60年代、「沖縄」と認識-尖閣「領有意識なし」
【北京時事】1971年7月までに中国で発行された地図の中に、領有権を主張する沖縄県・尖閣諸島の中国名である「釣魚島」の記載がなかった事実が判明した。中国政府は、公式に尖閣諸島の領有権を唱え始めた71年の以前も「釣魚島は古来台湾の一部」であり「固有の領土」と認識していたと主張しているが、地図への未記載は、中国政府の立場と矛盾すると言えそうだ。
中国政府は50年5月、「尖閣諸島」という日本名を明記した上で、尖閣諸島は琉球(沖縄)に含まれるとの認識を示す外交文書を作成。時事通信が入手した文書原文コピーによると、「尖閣諸島を台湾に組み込むべきかどうか、研究の必要がある」と記していた。
しかし、中国政府系の「地図出版社」(現・中国地図出版社)発行の地図を調査したところ、50~60年代に中国が自国の一部とする「台湾省」の付属諸島として「釣魚島」の記載はなかった。中国の国内地図に記載される「台湾省」の概要を解説したページにも、71年以前には「釣魚島」などの地名はない。
尖閣問題に詳しい東海大学海洋学部の山田吉彦教授(海洋政策)は「地図というのは領土・領海について国家の主張や意思を盛り込むもので、中国政府が71年以前に尖閣諸島の領有権を意識していなかった表れだ」と解説。71年まで、尖閣諸島は「沖縄の一部」だという認識が変わらなかったとみている。
その証拠に、53年1月には共産党機関紙・人民日報が「琉球群島は尖閣諸島など7組の島しょから成る」と記述。58年11月の「世界地図集」にも沖縄の一部として「尖閣群島」「魚釣島」という日本名が登場した。
日本との間で尖閣諸島に関する領土争いがあると認識しているならば、地図上に島名を記して主張するはずだが、中国はこの間、一貫してこうした措置を取らなかった。中国で71年以前に発行された「台湾省」の地図は200万~300万分の1の縮尺。日本の地図関係者は「この縮尺であれば通常、尖閣諸島ほどの大きさでも、領土と見なしていれば(中国名が)記載されるはずだ」と指摘した。
日本政府が1895年に尖閣諸島を沖縄県に編入したことに対して中国側は異議を唱えず、1971年12月30日になって、公式に領有権を主張し始めた。68年に国連アジア極東経済委員会が尖閣周辺での石油埋蔵の可能性を指摘したことや、71年6月の沖縄返還協定に基づき米国から日本に施政権が返される対象地域に尖閣諸島が含まれたことが背景にあった。
人民日報は70年12月、「台湾省や、釣魚島などを含めた付属島しょは中国の神聖な領土だ」と主張する評論を掲載。こうした主張に基づき、中国政府は71年7月、地図出版社に地図の書き換えを徹底させたとみられる。(2013/12/29-14:56)