うつくしいときでとまったしであれど こどもらのなか くりかえすとき
カジノを巡り、地域振興を狙う自治体間の誘致合戦が熱を帯びてきた。2020年の東京五輪の開催で海外旅行者の増加が見込まれ、国会ではカジノを含む統合型リゾート(IR)施設の整備推進法案が提出されるなど環境が整いつつあり、千葉県内でも千葉市などが手を挙げている。東京都や大阪府の活動が目立つが、幕張新都心への誘致を目指す企業が疑似イベントを開くなど機運を盛り上げ、遅れ気味の県内誘致に向けた議論に弾みをつけたい考えだ。【岡崎大輔】
◆経済効果は1兆円
2月14日夜。幕張新都心や東京ベイが一望できるホテル最上階が「カジノ」に一変した。ルーレットやブラックジャックなどが並ぶ。約70人が1プレーごとにため息をつき、歓声をあげた。カジノの楽しさを味わってもらおうと市内の企業が企画したイベントだ。
経済効果は1兆円ともいわれるカジノ。地域経済活性化の起爆剤となり得るだけに、地元経済界は誘致に必死だ。県内では幕張のほか、成田と木更津両地区も誘致を検討。ある経済界関係者は設置場所の環境について、視察で訪れたシンガポールで人気のIR施設を念頭に「空港の近くで、コンベンションセンター(展示会や会議を行うことを事業主体とする複合施設)の一角に作ること。会議で訪れた人たちに遊んでもらうのが理想」と話し、成田空港やコンベンションセンターがある幕張を抱える千葉県の優位性を強調する。
◆出遅れに焦り
法整備に向けた動きも加速し始めた。先の臨時国会では、自民党などがIRの整備を政府に促す推進法案を衆院に提出、現在開会中の通常国会で成立を目指している。さらに東京都や大阪府・市、北海道、宮崎、沖縄両県などが、こうした動きにいち早く反応。国と水面下で接触し、政府による国家戦略特区の絞り込みも進むなど、自治体の誘致に向けた動きが激しさを増している。
その一方で、千葉県内は決して一枚岩とはいえなさそうだ。森田健作知事は昨年2月、「(視察した)シンガポールは国レベルの事業で、規模でかなわない」と述べ、成田空港の活用策にカジノを導入する構想について慎重姿勢に転じた。だが、IR誘致に前向きな千葉市の熊谷俊人市長は「県がイニシアチブを取ってやるべきだ。3年ぐらい前、威勢のいいことを言っていた森田知事はどうしちゃったんだという感じ」(昨年10月24日の記者会見)と指摘。関係者の一人は「他の自治体は靴も履き終わり、スタートラインに立っている。(カジノ報道で)千葉の名前が漏れているのを見てじだんだを踏んでいる」と焦りの色を隠せない。
◆「メガフロート」案
危機感から積極的に動き出したのは地元企業だ。2月14日のカジノ体験イベントの他に、地元企業で構成する「幕張新都心MICE・IR推進を考える会」が人工浮島「メガフロート」を活用する案をまとめた。幕張沖に約640億円を投じてメガフロートを整備し、IR施設を建設するというもので、自治体の議論を促し、誘致活動に本格的に取り組んでもらう契機にするのが狙い。既に地元で勉強会も実施し、県や市に提案する方針だ。
企業以外では、県議会がIR推進議連によるIR整備に向けた決議案を可決し、国会議員にその実現を要望。千葉市も幕張へのIR誘致に向けた調査費として、2014年度当初予算案に500万円計上した。しかし、治安が悪化する懸念を指摘する声もあり、誘致先の住民合意など実現に向けたハードルは高い。
………………………………………………………………………………………………………
■ことば
◇自治体のカジノ誘致
日本では刑法上の賭博とみなされ、設置には特別法などの制定が必要。海外では120以上の国や地域で合法化されており、主要8カ国(G8)で全面的に禁じているのは日本のみ。最近は、ホテルや国際会議場などを備えた統合型リゾート(IR)が主流となっている。石原慎太郎・東京都知事(当時)が1999年の就任直後から構想を掲げ、地域活性化に向け議論が活発化した。現在、20を超す自治体が誘致活動に取り組んでいるとされる。
毎日~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
今の日本にはカジノはいらない。金儲けより、技術や教育である。今の政治家は最悪である。
◆経済効果は1兆円
2月14日夜。幕張新都心や東京ベイが一望できるホテル最上階が「カジノ」に一変した。ルーレットやブラックジャックなどが並ぶ。約70人が1プレーごとにため息をつき、歓声をあげた。カジノの楽しさを味わってもらおうと市内の企業が企画したイベントだ。
経済効果は1兆円ともいわれるカジノ。地域経済活性化の起爆剤となり得るだけに、地元経済界は誘致に必死だ。県内では幕張のほか、成田と木更津両地区も誘致を検討。ある経済界関係者は設置場所の環境について、視察で訪れたシンガポールで人気のIR施設を念頭に「空港の近くで、コンベンションセンター(展示会や会議を行うことを事業主体とする複合施設)の一角に作ること。会議で訪れた人たちに遊んでもらうのが理想」と話し、成田空港やコンベンションセンターがある幕張を抱える千葉県の優位性を強調する。
◆出遅れに焦り
法整備に向けた動きも加速し始めた。先の臨時国会では、自民党などがIRの整備を政府に促す推進法案を衆院に提出、現在開会中の通常国会で成立を目指している。さらに東京都や大阪府・市、北海道、宮崎、沖縄両県などが、こうした動きにいち早く反応。国と水面下で接触し、政府による国家戦略特区の絞り込みも進むなど、自治体の誘致に向けた動きが激しさを増している。
その一方で、千葉県内は決して一枚岩とはいえなさそうだ。森田健作知事は昨年2月、「(視察した)シンガポールは国レベルの事業で、規模でかなわない」と述べ、成田空港の活用策にカジノを導入する構想について慎重姿勢に転じた。だが、IR誘致に前向きな千葉市の熊谷俊人市長は「県がイニシアチブを取ってやるべきだ。3年ぐらい前、威勢のいいことを言っていた森田知事はどうしちゃったんだという感じ」(昨年10月24日の記者会見)と指摘。関係者の一人は「他の自治体は靴も履き終わり、スタートラインに立っている。(カジノ報道で)千葉の名前が漏れているのを見てじだんだを踏んでいる」と焦りの色を隠せない。
◆「メガフロート」案
危機感から積極的に動き出したのは地元企業だ。2月14日のカジノ体験イベントの他に、地元企業で構成する「幕張新都心MICE・IR推進を考える会」が人工浮島「メガフロート」を活用する案をまとめた。幕張沖に約640億円を投じてメガフロートを整備し、IR施設を建設するというもので、自治体の議論を促し、誘致活動に本格的に取り組んでもらう契機にするのが狙い。既に地元で勉強会も実施し、県や市に提案する方針だ。
企業以外では、県議会がIR推進議連によるIR整備に向けた決議案を可決し、国会議員にその実現を要望。千葉市も幕張へのIR誘致に向けた調査費として、2014年度当初予算案に500万円計上した。しかし、治安が悪化する懸念を指摘する声もあり、誘致先の住民合意など実現に向けたハードルは高い。
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■ことば
◇自治体のカジノ誘致
日本では刑法上の賭博とみなされ、設置には特別法などの制定が必要。海外では120以上の国や地域で合法化されており、主要8カ国(G8)で全面的に禁じているのは日本のみ。最近は、ホテルや国際会議場などを備えた統合型リゾート(IR)が主流となっている。石原慎太郎・東京都知事(当時)が1999年の就任直後から構想を掲げ、地域活性化に向け議論が活発化した。現在、20を超す自治体が誘致活動に取り組んでいるとされる。
毎日~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
今の日本にはカジノはいらない。金儲けより、技術や教育である。今の政治家は最悪である。
ベトナム南部最大の商業都市ホーチミンから、飛行機で約1時間北上するとクイニョンに到着する。南シナ海に面したこの港町は今、静かなリゾート地として旅慣れた観光客の間で人気のスポットになりつつある。
そのクイニョンの中心地から、かつてゴダイ集落と呼ばれた農村部へと向かうと、リゾートの雰囲気は一変。そして気付かされる。ここがベトナム戦争時、韓国軍による「ゴダイの大虐殺」があった血なまぐさい戦場であったことを──。
ベトナム問題に詳しいフォトジャーナリストの村山康文氏は、先月末までベトナム戦争時の激戦地を訪れた。このゴダイ集落を訪れた時、韓国軍による大虐殺の凄まじさを知ったという。
その集落の村のひとつ、タイヴィン村があった場所には、現在、カラフルな壁画が建てられている。その鮮やかな色使いとは裏腹に、描かれている内容は悲惨そのもの。軍服を着た兵士たちの銃口が火を吹き、銃弾が村人たちの体を貫く。火あぶりにされる裸体の女性の姿も描かれており、まさに阿鼻叫喚の地獄絵図だ。
“つり目”で表現された武装した軍人たち。彼らこそ、大虐殺の当事者である韓国軍である。右腕には、ゴダイ集落を襲撃した「猛虎部隊」の紋章である虎が描かれている。
集落全体では、1966年1月23日から2月26日にかけて、1004人の民間人が虐殺されたという。
15発もの銃弾を受けながら奇跡的に生き残ったタイヴィン村のグエン・タン・ランさん(62)が、当時を振り返る。
「韓国軍が村に来たのは朝9時ごろ。100人以上の歩兵が次々と村に入り、全25世帯、65人の村人を一か所に集合させました。韓国兵はその中から、年頃の娘を見つけると、彼女を集団から引き離し、村人の前で輪姦を始めたのです。
兵士たちに銃を突きつけられた娘はなす術なく、代わる代わる暴行されました。そして、最後の兵隊が事を済ませると、彼女を撃ち殺したのです。その一部始終を見せつけられた村人が怒り狂い、韓国兵に襲いかかろうとしましたが、その場で射殺されました。韓国兵は私たちを1度に殺さず、数人単位で射殺していきました。私の両親や親族も殺されました」
この壁画は、タイヴィン村での虐殺を忘れないための記念碑のようなものだという。その傍らにはゴダイ集落で虐殺された380余人の名前が刻まれた慰霊塔も建っている。そこには「韓国軍が行なった非道は忘れない」という内容の文字も書かれていた。
※週刊ポスト2014年3月28日号
~~~~~~~~~~~~~
「誤りを認めない指導者に、新しい未来を開いていくことなどできない」──3月1日、独立運動記念式典で韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領は日本をそう批判した。その言葉、そのまま朴氏にお返ししよう。韓国軍こそ、ベトナムで何をしたのか。現地取材で判明した韓国軍による蛮行を明かす。
ベトナム戦争で派遣された韓国軍は、1966年1月から2月にかけてビンディン省ゴダイ集落で1004人の民間人を虐殺した。
ベトナム中部のクアンナム省のフォンニャット村は、非常に小さな農村だ。ここでも韓国軍によって虐殺が行なわれた。当時14歳だったトワン・ヴァン・ディエップさん(60)が涙ながらに語った。
「早朝、100人以上の韓国兵が突然押し入って来た時、私は慌てて家の中に逃げ込みました。家には両親と6歳の弟がいましたが、動揺した弟は私たちの制止を聞かず家の外に飛び出てしまい、韓国兵に撃ち殺されました。まだ幼い弟を殺された両親と私は恐怖と悔しさに震え、ただ家の中で息を潜めるしかなかった。
隙間から外の様子を窺うと、40人ほどの村人が一か所に集められ、銃弾を浴びせられているのが見えました。やがて私たち一家も見つかり、外に連れ出され、両親を目の前で射殺されました。
逃げようとする私にも銃を乱射してきました。右足に銃弾を受けて倒れ込んだ私は、死んだふりをして韓国軍の襲撃をやり過ごすことができたのです。韓国軍は民家に火を放ち、村全体を焼き払いました」
フォンニャット村周辺では74人が犠牲になった。わずかな生存者となったディエップさんは過去を忘れようと努力したが、「40年以上経った今でも心の傷は癒えない」と声を震わせた。
さらに北上すると、ベトナム戦争最大の激戦地のひとつ、ダナンに着く。そこから20キロメートルほど南へ下るとハミ村がある。1968年2月25日、135人もの民間人が無差別に殺された「ハミの虐殺」の地である。
犠牲者の慰霊廟が建てられていた。荒れ果てた野原に建つ慰霊廟の横には、犠牲になった135人全員の名前が彫られた石碑があった。女性が97人も含まれ、生年月日から紐解くと0~9歳までの子供が57人も確認できた。
殺戮と破壊──これがベトナム戦争で韓国軍が行なったものだと、現地の人々は口をそろえた。
※週刊ポスト2014年3月28日号
~~~~~~~~~~~~~~~~
今、韓国では先のベトナム戦争に参戦した韓国軍の蛮行が、にわかに問題視され始めている。
3月7日、かつて日本軍の慰安婦だったという女性とその支援団体代表がソウルで会見を開いた。ベトナム戦争に参戦した韓国軍による「ベトナム人女性に対する性暴力や民間人虐殺」について、「韓国政府が真相を究明し、公式謝罪と法的責任をとるように」と訴えたのである。
これまで日本に「謝罪」と「賠償」を求めてきた彼女たちの矛先が自国へと向けられたのだ。
韓国がベトナム戦争に参戦したのは1964年のこと。1973年まで、のべ32万人もの兵士を南ベトナムに派遣した。当時、アメリカの同盟国として、オーストラリアやフィリピンなどのSEATO(東南アジア条約機構)加盟国も参戦していたが、万を超える兵を派遣したのは、アメリカを除けば韓国だけだった。韓国事情に詳しいジャーナリストがいう。
「朴槿恵(パク・クネ)大統領の父親である朴正熙(パク・チョンヒ)大統領が、ベトナム戦争への自国軍の派兵をアメリカのケネディ大統領に提案した。アメリカに擦り寄ることで韓国の軍事独裁政権を認めさせるため、そして戦争特需による外貨獲得が狙いだった」
韓国軍は、後に激戦地となったダナンに海兵隊第二旅団「青龍部隊」を、クイニョンに首都ソウル防衛師団「猛虎部隊」を、そしてニンホアに第9師団「白馬部隊」を駐屯させた。彼らが、各地でベトナム人に対し虐殺やレイプを繰り返したのである。ベトナム戦争当時にサイゴン支局長を務めていた元朝日新聞記者の井川一久氏がいう。
「当初の韓国軍の主な任務は『ベトコン掃討作戦』でしたが、1968年以降は『農村の無人化作戦』に変わりました。わかりやすくいえば、反米の南ベトナム解放戦線が大半を支配していた農村部を壊滅状態にすることです。
戦場でベトナム人を見つけたら、女、子供問わず抹殺するのが仕事。彼らはベトナム人を人間だと思っていなかった。女性を見つけたらレイプした。単独ではなく輪姦です。そして用が済めば殺す。もはやマニュアル化していたように、彼らは凶行を繰り返していた」
こうした韓国軍の行為が明らかになるにつれ、反韓感情がベトナム人の間で湧いていったという。井川氏が続ける。
「ベトナム人たちにとって韓国軍は“アメリカの金を目当てにやってきた傭兵”という認識でした。彼らには何の大義もない。それどころか犯罪者集団だという人もいた。支局時代、ベトナム人の助手に、韓国軍の取材に行くといったら、“私は行けません。彼らの前に立つだけでも吐き気がする”と拒否されました」
※週刊ポスト2014年3月28日号
そのクイニョンの中心地から、かつてゴダイ集落と呼ばれた農村部へと向かうと、リゾートの雰囲気は一変。そして気付かされる。ここがベトナム戦争時、韓国軍による「ゴダイの大虐殺」があった血なまぐさい戦場であったことを──。
ベトナム問題に詳しいフォトジャーナリストの村山康文氏は、先月末までベトナム戦争時の激戦地を訪れた。このゴダイ集落を訪れた時、韓国軍による大虐殺の凄まじさを知ったという。
その集落の村のひとつ、タイヴィン村があった場所には、現在、カラフルな壁画が建てられている。その鮮やかな色使いとは裏腹に、描かれている内容は悲惨そのもの。軍服を着た兵士たちの銃口が火を吹き、銃弾が村人たちの体を貫く。火あぶりにされる裸体の女性の姿も描かれており、まさに阿鼻叫喚の地獄絵図だ。
“つり目”で表現された武装した軍人たち。彼らこそ、大虐殺の当事者である韓国軍である。右腕には、ゴダイ集落を襲撃した「猛虎部隊」の紋章である虎が描かれている。
集落全体では、1966年1月23日から2月26日にかけて、1004人の民間人が虐殺されたという。
15発もの銃弾を受けながら奇跡的に生き残ったタイヴィン村のグエン・タン・ランさん(62)が、当時を振り返る。
「韓国軍が村に来たのは朝9時ごろ。100人以上の歩兵が次々と村に入り、全25世帯、65人の村人を一か所に集合させました。韓国兵はその中から、年頃の娘を見つけると、彼女を集団から引き離し、村人の前で輪姦を始めたのです。
兵士たちに銃を突きつけられた娘はなす術なく、代わる代わる暴行されました。そして、最後の兵隊が事を済ませると、彼女を撃ち殺したのです。その一部始終を見せつけられた村人が怒り狂い、韓国兵に襲いかかろうとしましたが、その場で射殺されました。韓国兵は私たちを1度に殺さず、数人単位で射殺していきました。私の両親や親族も殺されました」
この壁画は、タイヴィン村での虐殺を忘れないための記念碑のようなものだという。その傍らにはゴダイ集落で虐殺された380余人の名前が刻まれた慰霊塔も建っている。そこには「韓国軍が行なった非道は忘れない」という内容の文字も書かれていた。
※週刊ポスト2014年3月28日号
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「誤りを認めない指導者に、新しい未来を開いていくことなどできない」──3月1日、独立運動記念式典で韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領は日本をそう批判した。その言葉、そのまま朴氏にお返ししよう。韓国軍こそ、ベトナムで何をしたのか。現地取材で判明した韓国軍による蛮行を明かす。
ベトナム戦争で派遣された韓国軍は、1966年1月から2月にかけてビンディン省ゴダイ集落で1004人の民間人を虐殺した。
ベトナム中部のクアンナム省のフォンニャット村は、非常に小さな農村だ。ここでも韓国軍によって虐殺が行なわれた。当時14歳だったトワン・ヴァン・ディエップさん(60)が涙ながらに語った。
「早朝、100人以上の韓国兵が突然押し入って来た時、私は慌てて家の中に逃げ込みました。家には両親と6歳の弟がいましたが、動揺した弟は私たちの制止を聞かず家の外に飛び出てしまい、韓国兵に撃ち殺されました。まだ幼い弟を殺された両親と私は恐怖と悔しさに震え、ただ家の中で息を潜めるしかなかった。
隙間から外の様子を窺うと、40人ほどの村人が一か所に集められ、銃弾を浴びせられているのが見えました。やがて私たち一家も見つかり、外に連れ出され、両親を目の前で射殺されました。
逃げようとする私にも銃を乱射してきました。右足に銃弾を受けて倒れ込んだ私は、死んだふりをして韓国軍の襲撃をやり過ごすことができたのです。韓国軍は民家に火を放ち、村全体を焼き払いました」
フォンニャット村周辺では74人が犠牲になった。わずかな生存者となったディエップさんは過去を忘れようと努力したが、「40年以上経った今でも心の傷は癒えない」と声を震わせた。
さらに北上すると、ベトナム戦争最大の激戦地のひとつ、ダナンに着く。そこから20キロメートルほど南へ下るとハミ村がある。1968年2月25日、135人もの民間人が無差別に殺された「ハミの虐殺」の地である。
犠牲者の慰霊廟が建てられていた。荒れ果てた野原に建つ慰霊廟の横には、犠牲になった135人全員の名前が彫られた石碑があった。女性が97人も含まれ、生年月日から紐解くと0~9歳までの子供が57人も確認できた。
殺戮と破壊──これがベトナム戦争で韓国軍が行なったものだと、現地の人々は口をそろえた。
※週刊ポスト2014年3月28日号
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今、韓国では先のベトナム戦争に参戦した韓国軍の蛮行が、にわかに問題視され始めている。
3月7日、かつて日本軍の慰安婦だったという女性とその支援団体代表がソウルで会見を開いた。ベトナム戦争に参戦した韓国軍による「ベトナム人女性に対する性暴力や民間人虐殺」について、「韓国政府が真相を究明し、公式謝罪と法的責任をとるように」と訴えたのである。
これまで日本に「謝罪」と「賠償」を求めてきた彼女たちの矛先が自国へと向けられたのだ。
韓国がベトナム戦争に参戦したのは1964年のこと。1973年まで、のべ32万人もの兵士を南ベトナムに派遣した。当時、アメリカの同盟国として、オーストラリアやフィリピンなどのSEATO(東南アジア条約機構)加盟国も参戦していたが、万を超える兵を派遣したのは、アメリカを除けば韓国だけだった。韓国事情に詳しいジャーナリストがいう。
「朴槿恵(パク・クネ)大統領の父親である朴正熙(パク・チョンヒ)大統領が、ベトナム戦争への自国軍の派兵をアメリカのケネディ大統領に提案した。アメリカに擦り寄ることで韓国の軍事独裁政権を認めさせるため、そして戦争特需による外貨獲得が狙いだった」
韓国軍は、後に激戦地となったダナンに海兵隊第二旅団「青龍部隊」を、クイニョンに首都ソウル防衛師団「猛虎部隊」を、そしてニンホアに第9師団「白馬部隊」を駐屯させた。彼らが、各地でベトナム人に対し虐殺やレイプを繰り返したのである。ベトナム戦争当時にサイゴン支局長を務めていた元朝日新聞記者の井川一久氏がいう。
「当初の韓国軍の主な任務は『ベトコン掃討作戦』でしたが、1968年以降は『農村の無人化作戦』に変わりました。わかりやすくいえば、反米の南ベトナム解放戦線が大半を支配していた農村部を壊滅状態にすることです。
戦場でベトナム人を見つけたら、女、子供問わず抹殺するのが仕事。彼らはベトナム人を人間だと思っていなかった。女性を見つけたらレイプした。単独ではなく輪姦です。そして用が済めば殺す。もはやマニュアル化していたように、彼らは凶行を繰り返していた」
こうした韓国軍の行為が明らかになるにつれ、反韓感情がベトナム人の間で湧いていったという。井川氏が続ける。
「ベトナム人たちにとって韓国軍は“アメリカの金を目当てにやってきた傭兵”という認識でした。彼らには何の大義もない。それどころか犯罪者集団だという人もいた。支局時代、ベトナム人の助手に、韓国軍の取材に行くといったら、“私は行けません。彼らの前に立つだけでも吐き気がする”と拒否されました」
※週刊ポスト2014年3月28日号