柏崎に行って来ました。
ドナルドキーンセンター内にあるブルックリンのコロンビア大学近くの自宅を再現した部屋がありました。
本棚を見ていると、不意に福島氏の著書を見つけ、その本をキーンさんも読まれたのかと思うと、何か複雑な気がしてまいりました。
もしかして、三島本人から何かお聞きしていたのかもしれませんが、それをキーンさんは語ることはないのでしょう。
三島の最後の手紙も展示されており、拝見してみたいと思っていたので、やはり、思い切って、ここまで来てよかったと思いました。
それにしても、キーンさんの柏崎とのご縁は、古浄瑠璃「越後国柏崎・弘知法印御伝起」の復活のご提案から始まったといいます。
柏崎駅降りてすぐにどーんとでっかい建物のお菓子のブルボンさんが、その後スポンサーのようになって、このセンターを作ったということ。
2007年、中越沖地震で被災した柏崎にとって、復興のチャンスを、へこたれてはいけないという使命のようなものを関わった方々にも広げていかれたということ。
東日本大震災においても、同様に、寄り添うように日本に来られたキーンさんであったことを思うと、何があろうと、へこたれることはないと、思わずにはおれないのでありました。
しかし、自転車で街を探索していると、ところどころ、祈りの場があり、津波の時の逃げ場を提示している看板を見るにつけ、道端の仏さんや神社仏閣ができるのは、そもそもが、亡くなった方々に祈りを捧げるためであることに、今更ながら気づいたのでした。
ドナルドキーンセンター内にあるブルックリンのコロンビア大学近くの自宅を再現した部屋がありました。
本棚を見ていると、不意に福島氏の著書を見つけ、その本をキーンさんも読まれたのかと思うと、何か複雑な気がしてまいりました。
もしかして、三島本人から何かお聞きしていたのかもしれませんが、それをキーンさんは語ることはないのでしょう。
三島の最後の手紙も展示されており、拝見してみたいと思っていたので、やはり、思い切って、ここまで来てよかったと思いました。
それにしても、キーンさんの柏崎とのご縁は、古浄瑠璃「越後国柏崎・弘知法印御伝起」の復活のご提案から始まったといいます。
柏崎駅降りてすぐにどーんとでっかい建物のお菓子のブルボンさんが、その後スポンサーのようになって、このセンターを作ったということ。
2007年、中越沖地震で被災した柏崎にとって、復興のチャンスを、へこたれてはいけないという使命のようなものを関わった方々にも広げていかれたということ。
東日本大震災においても、同様に、寄り添うように日本に来られたキーンさんであったことを思うと、何があろうと、へこたれることはないと、思わずにはおれないのでありました。
しかし、自転車で街を探索していると、ところどころ、祈りの場があり、津波の時の逃げ場を提示している看板を見るにつけ、道端の仏さんや神社仏閣ができるのは、そもそもが、亡くなった方々に祈りを捧げるためであることに、今更ながら気づいたのでした。