明鏡   

鏡のごとく

『時代精神』と言うもの

2010-03-18 23:55:49 | 小説
『時代精神』と言うもの

              ガイストさんとの出会い

                   
「ガイスト(精神)」

 というハンドルネームをネット上のソーシャル・ネットワーキング・サービスの中の足跡で見つけたのが、そもそもの東京行きのきっかけであった。

 その後、ガイストさん繋がりで、ある雑誌に執筆をしないかと同じソーシャル・ネットワーキング・サービスの中で知り合った編集・出版社の方に誘われ、とりあえずガイストさんのトークショーを企画したので、その話を聞きにきた時に執筆の話もしたいという事をメールでいただき、ガイストさんに生で会えると言う事も重なり、喜び勇んで、東京に出かけたのであった。


 ネット上において、ガイストさんの言葉には熱を孕んだ魔力のようなものがあった。


 特に、エルンスト・ユンガーに対する言葉は、その時代に深く入り込み、ただ中に居続けようとした、肉体と精神のようなものが溶けて見え隠れする「言霊」のようなものが浮かび上がり、それを捉えようと、ちらちらともゆる暖炉の火の側で砂時計の流れる音を聞くような「時」を感じつつ生きながらえて来た「ガイスト(精神)」そのもののようであった。

 千坂恭二と言う本名であると後に知ったのであるが、背中を向けて遥かな山々を見ている軍服姿の繪が、トップの画像に貼付けられ、ガイストさんの過去に色々関心を持って来た事、辿って来た変遷等が、書き記されていた。

 かつては、「アナーキスト(無政府主義者)」であったというような言葉を見つけ、なおさら興味深く拝見していた。

 エルンスト・ユンガーの戦場における心情の吐露。数の論理によって、善悪を勝手に押しつけがちな「外部」から語られる歴史ではなく、善かれ悪しかれ、その「内部」に居続けた肉体と精神が抜け出した後々まで語られうるもののように感じられたのである。

 第二次世界大戦後、ナチス独逸、ヒトラー等にも影響を与えていたと言う事で、ユンガーは日本においても語られにくかったのではなかろうかと言うような時代背景を思うにつけ、そこにいて戦った人たちには、言葉を発する事さえ禁じられ続けているような、あえて言うならば、戦勝国でない国のものには、何も言う事が許されないような、同じように、死ぬか生きるかを過ごしていたにも関わらず、一方的すぎる扱われ方に、ある種の抵抗を試みているようにも見受けられ、語られてこなかった「絶対悪」としてのナチス独逸の精神の「核」に触れるようなものを、善かれ悪しかれ、捉え直す事が必要であるということを、率直に言われていた。

 「核」開発問題等で騒がれている、イランのアフマデネジャド等もそういう事を言って圧倒的なほどにメディアを牛耳っている金融資本に支えられている国々に、表向き、反発されたりしている世界の実情、要するにマスメディア等では黙殺か反発という扱われ方をされ、なぜか石油の高騰を煽るような世界の現状の中で、あえて、それを口にする事にどういう意味があるのか。等という事を考えながら、国際状勢というのは、表向きの「向こう側」を知る事に注がれるべきものがあると思わずにはおれない中で、千坂恭二さんには、そのようなものを最初から突き抜けたもの、ある種のガイスト性(精神性)をこそ追い求めているような姿勢が見受けられ、そこが何より興味深く惹き付けられるところであった。

(続く)

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