「人に会っていたら詩が書けると思いますか」と私は尋ねた。「そりゃできるかもしれませんよーどうしてできないか、私にはわかりません。それは体力の問題です」とハーディはいった。しかし、あきらかに彼自身は孤独の方を好んでいた。けれども彼はつねに何か良識と誠実味のあることを言うので、お世辞を言うという明白なビジネスをかなり不愉快なものにした。彼はそうしたことから全く自由であるように見えた。大変活動的な精神。人々を描写することを好み、抽象的な話をすることを嫌う。たとえばロレンス大佐の話をした。骨折をしている腕を「このような工合に」支えて自転車に乗り、リンカンからハーディのところへやってきたのですよ。戸のところで、誰がいるかどうかを知るために耳をそばだてていました。「あの方自殺しないといいけれど」とハーディ夫人は物思わしげに言った。彼女はまだお茶碗の上にかがみこみ、気落ちしたような様子で眺めていた。「彼がそのようなことをよく言うのです。でも多分、そのものずばりは決して言いませんでしたけれどね。でも彼の目の周りには青いくまがありますしね。自分は軍隊におけるショーだ、と言っていますよ。彼がどこにいるのか、誰もわかりません。でも新聞には乗りました。」
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日本の新聞で「ハーディ特集号」を出したので、それを彼は持ってきた。ブランデンの話もした。ハーディ夫人が若い詩人たちのやっていることについて彼に知らせているのだと思う。
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「芸術と思想」
私が考えたことはこれだ。もし芸術が思想を基盤とするものならば、変形させる過程は何であるか。ハーディ夫妻への訪問の物語を自分に語りながら、私はそれを作り始めてしまった。つまり、ハーディ夫人が机の上にもたれていること、ぼんやりと、漠然と外を眺めていることを繰り返し書いた。
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「夫婦関係」
アーノルド・ベネットによると、結婚のいやらしさはその「日常性」にあるという。人間関係のすべての鋭さはこれによって磨滅されてしまう、と。真実はむしろ次のようなものだ。たとえば七日間のうち四日ーは生活は自動的になる。でも五日目に、感覚の数珠繋ぎになったものが(夫と妻の間に)形成される。それは双方で自動的、習慣的、無意識的な日々が続いただけに余計豊かに、鋭敏になる。つまり、一年間には大きな強烈さの瞬間が所々に区切りをつけているというわけだ。ハーディの「ヴィジョンの瞬間」なのだ。このような条件の下でなければ、一つの対人関係がどうやって少しでも続くことができるだろうか。