明鏡   

鏡のごとく

ペシャワール会・石風社・福元さん・哲さん・石牟礼さん・甲斐さん

2019-12-18 22:28:24 | 茅葺
ペシャワール会の事務局もされている石風社の福元さんを倅と一緒に訪ねた。


10年ほど前に詩や小説を持って伺った後に、伊藤さんが亡くなり、ずいぶん、ご無沙汰していたので気になっていたのだが、今度の中村哲さんのこともあって、やっと決心がついて伺った。


髪が白くなっても、以前と変わらない、優しい福元さんであった。


私に福元さんの本をくださり、漫画を描いている倅には漫画の本をくださった。


哲さんのお別れ会のようなものを来年、西南大学のチャペルでするのでおいでと言ってくださった。

哲さんに会いに行きたいと思う。

それから、10年越しの私の本の出版の話をした。

詩は手直しはしない約束だったが、小説の方は、戦争の話だったこともあり、唐突に書かれたもののような、そぐわないようなというふうな話をされたのを思い出した。

あれから今まで、書き続けてきて、住む環境も激変し、書くことも、少しずつ変化していき、今なら何を書き残したいのかを自分に問いかけるように、本を作ろうと思った。


今、石牟礼道子さんの集大成の本を作っていると、福元さんはおっしゃっていた。


それが終わると、取りかかれるということだったので、自分としては、何とも、ありがたいことであった。

私の本の表紙をペシャワール会のカレンダーの絵を描いていらっしゃる甲斐大策さんに描いていただきたいと思っていたら、甲斐さんが今年の一月に亡くなっていたということをお聞きし、愕然とした。


また、甲斐さんにお会いして、甲斐さんのお母様に単位でいるので大学時代で始めたピアノの話や甲斐さんの絵の話などもしたかったのであるが、もう、あの射抜かれるような眼差しを直接感じることはできないのだ。

イスラム教徒だったけど仏教でお葬式したと福元さんは、いった。

哲さんはキリスト教徒だったけど、イスラームの国で、イスラームと共に暮らしていた。

宗教も、人も、心情も、無意識も、意識も、その人の心の中で生かさていればいいのだと思った。

私の中では、今も人としての、哲さんも、石牟礼さんも、甲斐さんも、生きているままである。


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