人間の性格と性質の違いとは?
先日、某SNSの投稿を読んでいて私なりに疑問を感じたことがあった
ので考えて見ようと思い、あまり意味のないテーマだが、考え付くま
まに書いてみることにした。
性格は、主に人に対して使われる言葉で、先天的に持っている資質と、
環境などの後天的な要因が混じり合って形成されるもので「性格が異
なる問題」とか「性格が異なる組織」というような人為的に人以外の
事柄にも使われることもある。
一方、性質は、もって生まれた気質で「水に溶けやすい性質」のよう
に、人以外にも広く使われる言葉で、その物事がもともと持っている
特性である。
つまり、性格は、後天的な要因をもってるので今後変化する可能性が
あるが、性質はもともと備っているもので変化する可能性はない。と
云われている。
では人間の個々の性質は変わる可能性は絶対にないのだろうか?
そんなことを考えてると、ふと「秀才は性格」で「天才は性質」なんだ
ろうか?と思った。
「秀才」の秀でたその才能は、後天的に得られたもの、自らの努力と行
動によって得た才能。
「天才」は、文字通り天から授かったような才能、もともと備わってい
た先天的な能力。
と定義すると、「性格と性質」「秀才と天才」はどちらも、努力と行動
で得るものと、先天的に元から持っているものと云う点では同じように
思える。
ただし、これは性質は絶対に変化しないのか?と云う疑問とは別の話で
あり、思い付いた蛇足的な話である(笑)
本題に戻るが「あの人の性格はあまり良くないよね」「彼は性格が変わっ
たようだ」と云うことはよく使われるが、「性質が良くない」「性質は変
わった」と云う表現は殆ど使われない。
私的な結論だが、性質とは、世の中の全て生物や物質が先天的に持ってい
る特性で、それらを取り巻く自然社会の環境の変化によって進化すること
で変わる可能性があると考えた。
現実的には、人間が元々持っている個々の特性(性質)に、立場や環境の変
化により変化する性格を上乗せして、一般に性格と呼んでると思う。
今回のような、生きて行く上で、全く参考にならない、殆どどうでもいい話
を、どうして書くのか?と問われれば、「それを言っちゃあ~お終いよ」と
答えるのである(笑)