お兄ちゃん日記

2017年9月14日、今日からこのブログでやってみることにします。

ブログを書くことを楽しもうと思う

2021-03-21 07:05:32 | 日記

ブログを書くことを楽しもうと思う

 

こうして毎日ブログを書くようになってから早12年目になる、途中から

gooのサイトに移って、タイトルもシンプルに変え「お兄ちゃん日記」

として再スタートして4年目だが、最初の内は自分に向ってその時

の体調や行動記録を書き留めてた、正に日記そのもので、勿論、読者

などは、全く気にならず閲覧数も一桁で多くてもやっと二桁に届く程度

だった。

 

今年の元旦から某SNSにちょっとした言葉と写真と共に、ブログのURLも

一緒に投稿している。どんな人が見に来てくれてるのか、少し気になった

のと、このことで、どれだけの人が見に来てくれるかを実験的に行って今

も続行中だ。現時点では、読者数も以前よりは少し増えたが、大きな変化

はない。

 

つまり、この実験的試行によって、私のグログに対する興味度は殆ど変わ

らないことが判った。これからも、アクセス数に一喜一憂せずに、私自身

の心の内を晒すことで、毎日ブログを書くことが楽しみに思えるようにな

ろう。

 


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年金制度の改正と政府の目論見

2021-03-20 06:42:52 | 日記

年金制度の改正と政府の目論見

 

今回、政府は少子高齢化や長寿化に対応した、年金制度の改正法案を

閣議決定した。今回の改正で支給開始年齢を70歳から75歳まで引き下

げれた本当に狙いは何処にあるのだろう。

現在は、65~70歳の間で選ぶ年金の受給開始年齢を65~75歳に広げる

と云うことだ。政府は、現在65歳からとなっている公的年金の支給を

最終的には70歳に引き上げる意図が窺がわれる。

つまり、定年を65歳まで延長させ、その後70歳までの7割が働く社会

を想定し最終的に年金支給を70歳からにするための環境を整えるため

に75歳までの受給開始年齢を引き下げると云う布石とも考えられる。

 

また、「人生100年時代」を想定し100歳まで生きるとすれば、75歳か

ら国民年金を受給すると、受取総額は約3728万円。一方、65歳から受

給した時の総額は約2805万円で、その差は実に1000万円近くになる。

しかし、100歳まで健康で楽しい老後の生活を送れる人は殆どいない

だろ。

 

そう考えると日本人の平均寿命は男女によってかなり差はあるが平均

の85歳まである程度の老後生活が楽しく暮らせて、その後は生きてい

ても、そう沢山のお金は必要としないだろう。老体に鞭打って働くよ

り、多少生活レベルが下がっても年金受給は、その時の開始時から受

けた方がいいのではないかと私は思う。

しかし現在の社会保障からして、決して老後の生活は経済的に明るく

安定した暮らしが補償された年金制度とは言えないようだ。

 

 

 

 


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私にとっての富士山の存在は

2021-03-19 05:39:54 | 日記

私にとっての富士山の存在は

北海道から神奈川に越して来てから既に6年目になるが、最初は川崎

だったので富士山とは無縁の間柄だった。半年後に茅ケ崎の移ってか

らは14階のベランダから晴天に日には、その雄大な姿で世間を見下ろ

してるかのような気さえして圧倒された。

 

昔から日本の自然観や日本文化に大きな影響を与えてきた山として「

信仰の対象と芸術の源泉」として2013年に世界文化遺産の登録された

のも頷ける。そんな富士山も昨年、私は藤沢市辻堂の12階に越して来

ても、その雄姿は良く見ることができる。

空気が澄んでハッキリと見える日は、暫く見惚れている。美しい姿と

存在感は、わたしにとっては、一日のパワーを貰えたような気がする。

 

某SNSにブログのURLを付けて投稿しているが、写真の殆どは富士山の

雄姿である。既に5年間見続けているが、決して飽きることはなく、季

節によってその姿も様々に変化してくれる。

私にとっての富士山は、その美しさと一日の原動力的存在で,勇気と活

力を与えてくれる頼もしい存在である。

 


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親友は不思議で大切な存在

2021-03-18 05:45:31 | 日記

親友は不思議で大切な存在



親友とは簡単に云うと「信頼のできる親しい友」であり、友達より

もっと深い関係である。しかし自分が親友と思っていても相手は唯

の友達としか思ってなかったり、又その逆もある。生涯に於いて、

お互いに心から信じ合える親友と呼べる人は何人ほどできるのだろ

うか?当然に個人差はあるが、私自身の場合この歳になっても親友

と思っているのは現在3人ですが、彼らも私のことを親友と思って

くれてると私は信じている。

 

しかし、彼らとは、ここ数年間殆ど会ってなく、たまに電話でお互

いの近況や世間話をする程度だがその後は何故か心が落ち着く。

同じ価値観とか金銭感覚、時間の使い方が同じという友人だってい

るのだから、そのような基準で親友になることはない。

 

なんとなく、お互いが気になる存在で何十年まえからの親友でも、

今でも毎日2~3回は思い出し、気になって電話する時もある。

別に他愛のない会話を10分程するだけである。

そして、お互いの性格を良く知っててズバリ本心を指摘されること

もあるが不思議とすんなり受け止めることに違和感はない。

勿論、お互い見返りを求めたりはしないし考えたこともない。

 

こんなことを考えていると、親友との関係は、なんとなく心が通じ

合ってることを無意識の内に感じている不思議で大切な存在である

と思っている。

 

 


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人間は一人で生きていくことはできない

2021-03-17 07:50:15 | 日記

人間は一人で生きていくことはできない

 

人間は生まれてから死ぬまで、成長と共に様々な環境の変化の中で

家族・友人知人・同僚・他人などの助けや支えを受けながら生きて

いる。その程度は様々で、あるいは本人が知らない内に助けられて

いることもある。他人から心配されていつこともその一つである。

 

現役時代は、それが日常のように感じられ感謝しながら自分自身も

逆の立場に立ったりして、お互いに切磋琢磨して生き抜いている。

しかし退職し社会生活の歯車から離れるとその生活は一変してし

まう。自身を取り巻く人間関係が急に減少し、それ自体は当然のこ

とと理解するしかない。だからと言って、生活して行くうえでは決

して一人では生きていくのは難しい。

 

自分を取り巻く人達は、なんらかの形で支えになったり協力をしてく

れることで生きていけると私自身は実感しているし、今後益々、心身

共に支えられて生きていくことに感謝しながら老いていくことで、決

して一人では生きていけないと思っている。


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