久ぶりの体調不良
昨夜から頭痛が酷くて、今朝は、なかなかベッドから起きられません。
久しぶりの不調です。これから病院に行ってきます。
入院だけは勘弁して欲しいです。
やはり歳を取ると心身も疲れが取れなくなってきたんでしょうね。
まずは、健康を維持することが一番だということを身に染みて感じている
今朝の私です。
そんな訳で、今日のブログはお休みさせて頂きます。あしからず!
久ぶりの体調不良
昨夜から頭痛が酷くて、今朝は、なかなかベッドから起きられません。
久しぶりの不調です。これから病院に行ってきます。
入院だけは勘弁して欲しいです。
やはり歳を取ると心身も疲れが取れなくなってきたんでしょうね。
まずは、健康を維持することが一番だということを身に染みて感じている
今朝の私です。
そんな訳で、今日のブログはお休みさせて頂きます。あしからず!
休日の昼下がり
昨日は、久しぶりの快晴で一昨日の雨で空気中の埃が消されたかのよ
うで空気が澄んで、街中が太陽の光に照らされてキラキラしてるよう
な感じがした。気温も上がって来たので、散歩がてら駅前のショピン
グモールまで、合わなくなってきた眼鏡を買いに行って来た。
隣の大きな公園にも沢山の子供達やペットを連れて遊ばせてる方等で
賑やかでコロナなど、すっかり忘れたかのような光景だった。
これが本来の姿だよな~と思いながら、マスクをしっかりしたわたし
は暫し眺めていた。
ショピングモールも沢山の客で1階と2階にあるテラス席も満席状態
で、春本番の爽やかさを感じてるかのようで、皆さん日曜日の昼下がり
を満喫していた。そこにもコロナ感が殆ど感じられなかった。
それでもモール内の人は誰一人としてマスクをしてない人はいない。
しかし、モール内の婦人服店にはマスクをしたマネキンは一体もない。
つまり、元々マスク自体は、オシャレをした女性には似合わないもので
誰もが着用しないで済む社会を心待ちにしているのは当然である。
しかし現在の社会ではみんなが、なんの抵抗もなく必需品の一つとて
付けてる光景を自然に思うのは、ちょっと不気味で異様な気分を感じ
なからゆっくり歩いて帰ってきた。
コロナ感染症の今後の見解予想
今日は久ぶりの訪問看護の日で30分の体調報告で、一応、体温・spo2・
血圧・聴診器による気管、肺、腸の検聴を終え、その後は新型コロナの
今後の見通しを聞いた。看護師の彼は以前ICU担当だったそうで、感
染症に関しては、かなり詳しいと感じた。やはり彼の見立ては私と同じ
で悲観的である。
今回、我々の住んでいる神奈川県も1都3県の一つで緊急事態宣言が2週間
延長になって、現在1週間が過ぎた時点で東京都を始め各県でも下げ止ま
りの状況で21日の解除は延期されと云うのが二人の見解で、彼は5月の連
休まで続く可能性があると彼はいう。ワクチンも11日までに約18万人が接
種を終えたようだが、諸外国とは桁が違う。私のような高齢者3600万人が
終わるころには、最短でも秋頃になるだろう。副反応の「アナフィラキシー」
も心配の種である。
結局、政府や自治体の対策と云えば、緊急事態宣言でズルズル国民に我慢を
強いるだけで、不要不急の外出自粛・テレワークの普及の強化・飲食店の時
短要請と、お決まりのことの繰り返しである。
医療体制を増やす努力をするでもなく、PCR検査も増やすどころか減らす始末。
残念ながら、対策の限界であるとしか思えない。
今日の二人の話の結論は、東京五輪は中止、1都3県の緊急事態宣言は5月の
連休までは続く、ワクチンの接種完了は早くて年内いっぱい、最終的な収束
はあと1年との見解であった。ここ1年ですっかり変わってしまった、国民の
コロナアレルギーとも云える実態は国民総マスク時代という、正に思考に感染
された象徴であると改めて考えさせられた。
他人に対して人は様々な状況下で程度には個人差はあるが、少なからず
気は使うものだ。夫婦、親子、兄弟、親友、恋人、同僚などの間であっ
ても気を使うことがあるので、それ自体は決して自分をコントロールで
きれば問題はない。しかし本当に気を使うことをしなくて済むならそれ
に越したことはない。
人は他人に気を使うことで、自分を良く見て欲しいと云う気持ちの現れ
である。ただし一度、他人に気を使い始めると終わりがなく、存在し
ている限り気を使い続けることになるので、従って気が休まる時がない。
何事も過ぎることは自分に跳ね返ってくるものだ。
気の使い過ぎも同じで、自分自身を身動きが取れなく、がんじがらめに
していまう。
では他人に気を使うのをやめるには、どうしたらよいかと考えると、他
人に親切にすることを考えたほうが、結果として人間関係がよくなり、
そして他人の目を気にする不安が消える
気を使っても反応はありませんが、好意には反応があると思う。
たとえ、反応がなくても「自分のために=人のために」という意識で親
切にすることで自分のために他人を思う気持ちにで接することができる。
だが親切に好意を見せていくことで、気を使うことはしなくなると思うの
だが、そう上手くいかないのが人間関係の難しい所なのかもしれない。
コロナ禍とグローバル化に於ける生活保護のあり方
新型コロナの感染拡大で仕事を失うなどした生活困窮者への支援策が
問題視さてるが先日、菅総理は「最終的には生活保護もある」と発言
し波紋が広がった。
そもそも、生活保護とは経済的に困窮する国民に対して、国や自治体が、
健康で文化的な最低限度の生活を保障する公的扶助制度である。
つまり、これは最後の手段で生活保護に陥らないよう支援するのが政府
の務めで,いきなり生活保護を持ち出すのは無策を露呈したようなものだ。
そして生活保護の支給には様々な問題点があり、まずそのハードルが高く、
要件の簡素化と手続きのスリム化が急務で、それは社会の崩壊を防ぐ最低
限の措置として認識すべきだと思う。
そしてもう一つは、生活保護に対する偏見。
生活保護についての行為や言葉が生活保護を必要としている誰かを傷つけて
いたら、それは正に「生活保護ハラスメント」と呼ばれても過言ではないだ
ろう。世界がグローバル化して、不安定になってきている現代社会では、日
本でも「努力さえすれば報われる」という時代は残念ながら終わり、富める
人はより富み、貧しい人はより貧困に陥る、貧富の二極化が急速に進み、そ
こに世界中に蔓延した新型コロナパンデミックが、追い打ちをかけ、益々こ
の流れは更に急速化するだろう。
だからこそ、ますます重要になってくるのが、生きていくための「生活保護」
は、コロナ禍とグローバル時代の重要なセーフティーネットである。
そして、この「生活保護ハラスメント」という言葉が何かを捉え現状が変わっ
て行くことが、私の少しの希望である。