お兄ちゃん日記

2017年9月14日、今日からこのブログでやってみることにします。

東日本大震災から10年

2021-03-11 06:59:17 | 日記

東日本大震災から10年



10年前の今日、福島・宮城を中心に日本中を震撼させた大地震と巨大

津波の影響で2万人以上の死者行方不明者が出て、今尚4万人以上が避

難生活を余儀なくされている。正に、自然の驚異を思い知らされた。

その時の映像を目の当たりにして「これが本当に現実の世界で起きてい

るのか?」と目を疑いたくなる光景が未だに脳裏からはなれることない

歴史的な大災害であった。

10年が経た今尚、被災者の魂や心が癒されていない。

直後から日本各地からそれぞれの立場で支援の手が差し伸べられた。

 

日本は地震大国で島国であるため津波の影響も受けやすいのは国民の殆

どは承知している。よく「あの自然災害による被害は人災だ」と言われ

ることがあるが、自然の驚異は人類の想像を絶するものも少なくない。

 

国として、自治体として、そして国民の一人として、可能な防止対策と

避難準備を、最大限に強化する必要があるが、残念ながらそれぞれの立

場での、その対策の強化は私自身も含めて十分であるとは思えない。

我々自身が被災者になってからでは手遅れで、可能な限りの防止対策を

国全体で再考し実施する必要性を考えさせらてた10年目である。


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親族はだんだん疎遠になって行く

2021-03-10 07:13:41 | 日記

親族はだんだん疎遠になって行く

 

父は私が13歳の時46の若さで病死し、母は私と姉を連れて実家に戻って

働きながら二人を育て上げた。実家が会社経営していた関係で私も大学

まで出して貰い、卒業と同時に叔父にあたる2代目が経営する会社に就職

退職まで勤めさせて貰った。母も男一人の5人兄妹で当時としては少ない

方で現在は母が一昨年94で亡くなったが後はみんな元気で、その子供が大

きくなって子供ができ、更にその子供にも数年前からあちらこちらで子供

ができ、今では母方の親族は何人いるのかも私にはよくわからない程だ。

 

今は高齢者となってそれぞれの立場で生きて行くのが精一杯と云うのが本音

のところだろう。逆に、あまり関わりたくない人もいるかもしれない。

元々北海道は歴史的にも浅く、本家、分家と云うような組織図的な文化が根深

くなく、血縁関係の繋がりの意識も低い所だと感じている。

 

私自身も親族に関しては、それぞれに様々な想いがあるが、普段は殆ど考える

こともなく、まして連絡を取り合ったりすることも殆どない。

つまり、親族に対して特別意識することもなくなったのは、高齢化のせいもある

が、社会全体が、核家族の形態の割合が多くなり、よって親族との繋がりも疎遠

になって来たのだと思う。少し寂しい気持ちもあるが、意識して積極的に繋がり

を持とうと考えることもないのが本音である。

 


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人間の性格と性質の違いとは?

2021-03-09 06:57:59 | 日記

人間の性格と性質の違いとは?

先日、某SNSの投稿を読んでいて私なりに疑問を感じたことがあった

ので考えて見ようと思い、あまり意味のないテーマだが、考え付くま

まに書いてみることにした。

 

性格は、主に人に対して使われる言葉で、先天的に持っている資質と、

環境などの後天的な要因が混じり合って形成されるもので「性格が異

なる問題」とか「性格が異なる組織」というような人為的に人以外の

事柄にも使われることもある。

一方、性質は、もって生まれた気質で「水に溶けやすい性質」のよう

に、人以外にも広く使われる言葉で、その物事がもともと持っている

特性である。

つまり、性格は、後天的な要因をもってるので今後変化する可能性が

あるが、性質はもともと備っているもので変化する可能性はない。と

云われている。

 

では人間の個々の性質は変わる可能性は絶対にないのだろうか?

 

そんなことを考えてると、ふと「秀才は性格」で「天才は性質」なんだ

ろうか?と思った。

「秀才」の秀でたその才能は、後天的に得られたもの、自らの努力と行

動によって得た才能。

「天才」は、文字通り天から授かったような才能、もともと備わってい

た先天的な能力。

と定義すると、「性格と性質」「秀才と天才」はどちらも、努力と行動

で得るものと、先天的に元から持っているものと云う点では同じように

思える。

ただし、これは性質は絶対に変化しないのか?と云う疑問とは別の話で

あり、思い付いた蛇足的な話である(笑)

 

本題に戻るが「あの人の性格はあまり良くないよね」「彼は性格が変わっ

たようだ」と云うことはよく使われるが、「性質が良くない」「性質は変

わった」と云う表現は殆ど使われない。

 

私的な結論だが、性質とは、世の中の全て生物や物質が先天的に持ってい

る特性で、それらを取り巻く自然社会の環境の変化によって進化すること

で変わる可能性があると考えた。

現実的には、人間が元々持っている個々の特性(性質)に、立場や環境の変

化により変化する性格を上乗せして、一般に性格と呼んでると思う。

 

今回のような、生きて行く上で、全く参考にならない、殆どどうでもいい話

を、どうして書くのか?と問われれば、「それを言っちゃあ~お終いよ」と

答えるのである(笑)

 


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新型コロナは「思考」に感染したウイルス⁉

2021-03-08 08:23:51 | 日記

新型コロナは「思考」に感染したウイルス⁉

 

新型コロナウイルス流行の影響は、全世界に想像以上の衝撃を与え

ている。ここ数ヶ月で一気に重苦しい空気が広がって、少し先の未

来すら想像しづらくなった。

一方、今回のウイルスは、身体的ダメージは比較的小さいようで、

各国によって差ははあるが、致死率も0.0%~2%程度で因みは日本

は0.02%だ。年代により重症化率がかなり異なり注意が必要だとい

うことは云うまでもないが、その「病原体」としての威力以上に、

世界に大きな衝撃を与えているのは何故なのか?

 

私は今回の新型コロナの最大の特徴は、人間の「思考」そのものに

感染することだと思う。つまり、思考の撹乱を引き出すと云う画期

的な「新戦略」で”効果的”に人類にダメージを与えていると思う。

人間の思考を惑わすのに一番効果的なタイプになったと云う意味である。

 

つまり「必要以上の不安にかられ、衝動的な行動を起こしたり、逆

に自らの行動にブレーキをかけ過ぎてないか」を意識することが大

切で、また同時に、そうした思考が知らず知らずのうちに思考に入

り込んだウイルスの影響を、客観視することで「隔離」し、自ら拡

散しないように戦うことだ。これが重要な対策ではないかと考え

ている。

 

私達自身が、自らの思考や行動姿勢を客観的に捉え、反省することで、

そしてその事自体は、私達の社会が抱える多くの問題と共通の根っこ

に繋がる要因なのかもしれない。これを克服することで、私達がこれ

まで抱えていた多くの課題を解決する、糸口を見つけるチャンスかも

しれない。

 


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我が人生に悔いあり

2021-03-07 07:06:09 | 日記

我が人生に悔いあり

 

過去を振り返っても仕方がない。済んでしまったことはやり直すこと

はできない。過去の経験を生かすことは現在の状況とは違い参考には

ならない。

つまり今迄、生きてきた人生(過去)振り返っても意味がない。

それより大切なのは、今この時点から刻々と過ぎていく将来をどう生

るかが大切だとよく云われている。

 

以前にも「人生の岐路での判断は現在の生活感によって評価される」

で書いたが、確かに自らの判断で選んで進んできた道は現在の自身の

満足度によって変わると私は思っている。

 

しかし、人間は、常にこれからの将来にだけ目を向けて生きているの

だろうか?私自身は過去の「記憶」や「思い出」を思い浮かべ、それ

らを参考の一つとして現状の生活に生かして判断している。

つまり、過去に経験した様々な出来事を、上手く現在の社会環境の中

で、どう生かしていけるかと考えことは、決して過去を顧みることに

意味がないとは思っていないからだ。

「我が生涯に一片の悔い無し」とはマンガの世界の話である(笑)

 


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