青空に白い月

ゆったりゆるりと生きましょ~よ

2回目の高校へ

2007-03-21 10:32:05 | 学校

私は普通に18歳で工業高校を卒業しそのまま就職した。

高校には当時、

卒業生の人数に対しては多すぎる求人表があり、

大して苦労も無く職に就くのが当たり前だったので、

就職自体は私も例外に無く簡単に決まった。

ところが、就職直後に景気は悪化し、

いわゆるバブル崩壊というやつのおかげで、

週一の朝礼では新入社員にもかかわらず、

赤字があーだこーだとか長々聞かされて、

始めてもらったボーナスも前年度とは激減。

職場の先輩方から聞かされていたものとは程遠い状態で、

毎年もらっていたらしい臨時ボーナスに私がもらったのは、

なんとバターが一個であった。

まぁ~そんな状態であったし、

自分はほとんど関与してもいない

赤字

の話を長々と聞かされるのもバカバカしいので二年で退社。

でも次に働こうにも、

もう既に求人を出している会社も少なく、

求人雑誌をめくって電話をかけてもそういい返事はもらえない状態。

そこで職探しの前に、就職する為の技術を身に着けようと思い、

職業訓練校へ行こうと資料を集め、

高校へ卒業証明書をもらいに行ったりしていたが、

昼間にまた学校通いすることに抵抗を感じてもいたので、

同時にいい所があればと職探しもチラホラとはしていた。

そんな折に電話をした会社で、

簡単に面接してくれるということになり、直ぐに面接日と時間を取り付け、

職業訓練はもうないかと思っていたその矢先、

今度は自宅に大きな封筒が届いた

封筒には一冊の簡単なパンフレットが入っていて、

差出人は卒業したのとは別の工業高校になっている。

内容は

来年度から新しく定時制の専門課程を設けることになったという紹介と、

その入学案内。

つまり概略は、

昼間は働き夜は学校で勉強。

普通の4年制の定時制と違うところは、

5教科などの単位は全日制で単位取得済の者が入学対象で、

授業も専門過程のみなので通学期間は2年間だけという点。

それとおまけに夕食付き

これに食いついた私は、

即入学願書を出し工業高校定時制の面接を受け(テストは無し)、

さっさと入学することになった。

それで、面接を受けるはずだった会社はどうしたかというと・・・

それはドタキャン

そしてその後その会社は強引な勧誘等で訴えられることになり、

結果オーライって感じ。

でもね、一つ分からないことは、

どうしてその定時制の専門課程のパンフが突然うちに届いたかということで、

それは未だに不明。

入学後に先生に聞いても

「分からない」

と言ってたんで、

うーーーーーーーーん

不思議なこともあるもんだ。

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入院期vol2(入院仲間)

2007-03-21 09:35:42 | 入院・病院

髄膜炎はまだ病状が悪い時には、

ウイルスや細菌が免疫力の弱い子供に風邪などとしてうつる危険性がある為、

通常入院する時には小児科の患者であっても、

大人と同じ部屋か、もしくは小部屋かということになりますが、

偶然にも小児科にかかる年齢の子供が複数いる場合には大部屋にまとめて入院することになります。

ですが、

私が小児科で入院していた時期に、

同じく小児の髄膜炎で複数の人が入院していたということが

6回中たったの一回しかありませんでした。

でも偶然ですが、

その6回のうちの一回が、

私を含めて3人が同じ病気で、

入院時期は私が一番最初でしたが、間もなくほぼ同時にもう2人が入院してきて、

年齢は2人共私よりも1つ年下でした。

私はこの時、2度連続で入院していて、

2度目の入院からまだ一週間と経っていなかった為、

また一ヶ月以上も一人なのだと思うととても先が長く感じていたのです。

ですから二人には悪いですが、

入院してきた時には内心は結構うれしかったのです。

具合がよくなると直ぐに仲良くなり、

点滴が取れる頃には、病院内をウロウロといろいろ遊びに行ったり、

漫画を交換して読んだりしてよく遊びました。

でもね、

仲良くなる程にあの頃の年齢の子供にとっては

別れがとても寂しく感じるものです。

連続入院をしていた私は、

髄液の検査結果が完全によくなるまでは退院許可が下りず、

先に2人が退院してしまいました。

賑やかだった部屋が突然静かになりました。

何ともいえない寂しさと、

自分は一体何時になったら退院できるのかという不安が一気にきました。

その後、

2人共次の通院日に見舞いに来てくれ、

私もそれからしばらくして無事退院しましたが、

そのうちの一人がもう一度髄膜炎を繰り返したと噂で聞きましたが、

今は自分と同じ状態になっていなければいいと心から思います。

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