昨年の冬から、職場の近くで生活しているモー。
1か月も姿を見せない時もあったし、毎日通ってくることもあったし、ずぶ濡れ泥だらけで来たり、大けがをしてくることもありました。ごはんが欲しくて甘えた声を出してくるものの、いざ私が近付くと、シャーっと威嚇してきます。
今も、股のあたりの皮が剥がれて真っ赤な肉が見えて痛々しい状態で足を引きずりながら歩いています。オス猫の性でしょうか。ケンカの傷だと思われます。近くには車が頻繁に走る県道もあり、よく猫が轢かれて死んでいるのを見ます。もーちゃんもいつ死んでしまってもおかしくない環境です。
日々、これで最後かもと思いながらモーと触れ合っています。エサを与えることがよくないと思いながらモーの生きる力を信じて、(もう少し人間を信じてくれる日まで)この目の前の命が今日もあるということが感動的なことと思えるようになってきました。
ところで、私たちはこの世界にいろんな命が今日も必死で生きていることに気付いているでしょうか。人間もこの地球に生かされているということを決して忘れてはいけないと思うのです。
自然と触れ合うことの少ない都会の真ん中に生きている人たちってこういう感覚になることってあるんでしょうか。
野良猫もカラスも人間には不都合なゴミだとか思っていませんか?そんな世界で生きる彼らは人間の近くで暮らすことによって生き延びてきた生き物です。長い進化の過程で得てきた生きる術だったのではないでしょうか。私は人間だけが便利な世の中にして、彼らの生きる余地を与えないというのは人間の身勝手な行為だと感じるようになってきました。
今、いろんな場面で相手の立場に立ちいろんなものを認めるということがとても大切ということを感じるこの頃です。そういう考えがしっかり持てればいじめが減り、世界から争い事が減っていくのではないかと思えるのですがどうでしょうか。
モーは厳しい環境の中で生きるために必死です。キミの生きる力に励まされるし、キミと同じこの世界に生きたことは忘れないからね。
1か月も姿を見せない時もあったし、毎日通ってくることもあったし、ずぶ濡れ泥だらけで来たり、大けがをしてくることもありました。ごはんが欲しくて甘えた声を出してくるものの、いざ私が近付くと、シャーっと威嚇してきます。
今も、股のあたりの皮が剥がれて真っ赤な肉が見えて痛々しい状態で足を引きずりながら歩いています。オス猫の性でしょうか。ケンカの傷だと思われます。近くには車が頻繁に走る県道もあり、よく猫が轢かれて死んでいるのを見ます。もーちゃんもいつ死んでしまってもおかしくない環境です。
日々、これで最後かもと思いながらモーと触れ合っています。エサを与えることがよくないと思いながらモーの生きる力を信じて、(もう少し人間を信じてくれる日まで)この目の前の命が今日もあるということが感動的なことと思えるようになってきました。
ところで、私たちはこの世界にいろんな命が今日も必死で生きていることに気付いているでしょうか。人間もこの地球に生かされているということを決して忘れてはいけないと思うのです。
自然と触れ合うことの少ない都会の真ん中に生きている人たちってこういう感覚になることってあるんでしょうか。
野良猫もカラスも人間には不都合なゴミだとか思っていませんか?そんな世界で生きる彼らは人間の近くで暮らすことによって生き延びてきた生き物です。長い進化の過程で得てきた生きる術だったのではないでしょうか。私は人間だけが便利な世の中にして、彼らの生きる余地を与えないというのは人間の身勝手な行為だと感じるようになってきました。
今、いろんな場面で相手の立場に立ちいろんなものを認めるということがとても大切ということを感じるこの頃です。そういう考えがしっかり持てればいじめが減り、世界から争い事が減っていくのではないかと思えるのですがどうでしょうか。
モーは厳しい環境の中で生きるために必死です。キミの生きる力に励まされるし、キミと同じこの世界に生きたことは忘れないからね。