新・日記どす(DOS)

写真は「ビートルズ」のヘルプごっこ(笑)~音楽からB級スポット訪問記まで、幅広くいろんなことを…笑いをこめて…綴ります~

和泉式部を訪ねて???中山道御嶽宿近く…和泉式部廟所で合掌する!!

2025-02-01 08:11:26 | B級スポット

土岐市から国道21号線を可児市方面へ向かい

鬼岩温泉を越えた、旧中山道(なかせんどう)と国道の合流点のすぐ先の道路右側にあるのが

 

 

和泉式部廟所

 

 

恋多き女性としても知られている和泉式部が心の赴くまま東山道をたどって御嵩まで訪れた際に、病に侵されてしまい、鬼岩温泉で湯冶したが、寛仁三年(1019年) この地で没したと伝えられているとか…

そのお墓がここに…

和泉式部のお墓は京都府木津川市、長野県諏訪市の温泉寺、兵庫県伊丹市等にもあるけれど、まあ髪の毛1本でも埋葬したら、そこが廟所になったりするから…信憑性は分かんないけど…

この中山道(なかせんどう)の御嶽宿から細久手宿の間の、この御嶽宿寄りのこの地で、病に侵され亡くなられたのでしょうか

 

そばには3体の石仏

 

「小倉百人一首」56番

「あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな」と詠んだのがこの和泉式部

貴船神社にも参拝されている和泉式部

このブログも一緒にどーぞ…

和泉式部を訪ねて???…貴船神社に行く!!

 

想像するに和泉(いずみ)式部は

加藤いづみさんのような素敵な方だったんじゃないでしょうか…





(名前が…いずみ…式部…だから…くる勝手な思い込みだけど…)

和泉式部は、和泉守の橘道貞の妻となり、夫の任国と父の官名を合わせて「和泉式部」の女房名をつけられる…その後、道貞との婚姻は破綻

まだ道貞の妻だった頃、冷泉天皇の第三皇子為尊親王と恋に落ちる

さらに、為尊親王の死後、今度はその同母弟敦道親王の求愛を受けたとか…親王は和泉式部を邸に迎えようとし、正妃が家出する原因となったとか

 

その後、40歳を過ぎた頃、藤原保昌と再婚

「ものおもへば 沢の蛍も わが身より あくがれいづる 魂たまかとぞみる」


旦那様である藤原保昌と不仲であった頃
この貴船神社に参拝し御手洗川に蛍が飛んでいるのを見て詠んだ短歌らしい…

その後、二人は夫婦円満…

しかし、晩年の詳細はわからない…

恋愛遍歴が多く、多くの男を「なかせんどう(中山道)」もとい…「泣かせん?どう??」

だったと思われるから、この中山道を旅してたに違いない???

 

碑には

和泉式部の和歌が刻まれていた

「ひとりさえ 渡れば沈む うき橋に あとなる人は しばしとどまる」

 

こうして、中山道を歩いて旅をしているド少納言も、旅の記憶を残すべく、この地で和歌を詠おう…

「ひとり負け 買えば沈む うらはらに 後から来るウマ しばらく止まれ」

和歌の意…

この日も外れ馬券のヤマ、メインレースに逃げ馬から買った私、後ろから追い上げてくる本命馬…しばらく…ゴールまで差さずにとどまっていておくれよ…

 

この気持ちがこもった和歌、実にうまい!い???

競馬…だけにね…

この日は、大負け…懲りて馬券はしばらくは、買うまい…